フェラーリがあるのにアルファロメオを選ぶ人がいる。パテック フィリップを知ったうえで、ジャガー・ルクルトに手を伸ばす人がいる。ゴールドマン・サックスで17年、兆円規模の投資案件を動かしてきた田中渓は、そういう人だ。20代で機械式時計にのめり込み、30代で手放し、いまは365日ガーミンを腕に巻いている。王道の隣にある本物を嗅ぎ分ける鼻。それは投資家としての審美眼そのものなのかもしれない。
連載「My watch, My life」Vol.4
腕時計は人生を映す鏡である。そして腕時計ほど持ち主の想いが、魂が宿るものはない。この連載では、各業界で活躍するクリエイターやビジネスパーソンに愛用腕時計を紹介してもらい、“腕時計選び”から見えてくる仕事への哲学や価値観などを深掘りする。時計師がする時計を、27歳は選んだ
社会人2年目、リーマンショック。ゴールドマン・サックスの投資部門は壊滅的な打撃を受け、在籍部署の9割が人員削減の対象になった。いい時計を巻いていた先輩たちが、ひとりまたひとりと姿を消していく。そのなかで田中は生き残った資金を個人投資に回した。日経平均7000円割れ。あの底だ。
投資は当たった。3年目、なにか形に残したいと思った。
選んだのがジャガー・ルクルト「レベルソ グランドサンムーン」。パテック フィリップでもロレックスでもない。クルマでいえば、フェラーリやポルシェを素通りしてアルファロメオの前で足を止めるような感覚だという。「銀行屋がする時計がパテック、時計師がする時計がルクルト」という言葉を周囲から聞いたことがあった。パテック フィリップやオーデマ ピゲのムーブメントの一部をジャガー・ルクルトが製造してきた歴史を知れば、その意味がわかるだろう。1930年代のアールデコを纏った長方形のケース。ムーンフェイズを備え、裏返せばムーブメントが覗く。格があって、チャラくない。その立ち位置が、27歳の手首にぴたりと収まった。
通常のレベルソより一回り大きいグランドサンムーン。ジャケットは麻布テーラーのオーダーもの。
ルクルトへの傾倒は1本で終わらなかった。次に手にしたのは「マスター コンプレッサー ダイビング クロノグラフ」。レベルソがフォーマルの相棒なら、こちらは休日の腕元を任せる1本だ。
28歳。業界でやっていける手応えがようやく固まり始めた頃。当時はクロノグラフの全盛期でもあり、オフに巻けるスポーティーな時計が欲しくなった。背中を押したのは、ジャガー・ルクルトとアストンマーティンの長年のタイアップだ。「アストンマーティンってかっこいいしスポーティーだし。で、フェラーリじゃないし」。また出た、フェラーリじゃないし。根っからの性分なのだろう。
しかもこの時計、純正のラバーストラップを外して表参道のISHIDAでレザーベルトを特注している。文字盤の色に合わせた白と水色のダブルステッチ、中に空気を含ませたふっくらとした仕立て。周囲にそんな遊び方をする人間はほとんどいなかったが、本体の値段に比べれば数万円のことだ。好きな時計を、もうちょっとだけ自分のものにしたい。その気持ちは、時計好きなら誰にでもわかるのではないだろうか。
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ゴールドの覚悟、カーボンの矜持
20代の終わりに、まったく性格の異なる2本が加わった。
「ブルガリ・ブルガリ カーボンゴールド クロノグラフ」。世界限定999本、定価は50万円を切る。時計の世界では控えめな価格だが、田中が惹かれたのはまさにそこだった。カーボン素材のマットな黒にピンクゴールドのインダイヤルが映え、メタリックな光沢がどこにもない。文字盤に刻まれた都市名は「マドリード」。入社後の研修で訪れたスペインの空気が、この時計を見るたびによみがえる。新品は市場から消えており、中古時計店を探し回って手に入れた。カーボンゆえに驚くほど軽い。つけているのを忘れて眠ってしまうこともあった。
もう1本はIWC「ポルトギーゼ」のゴールド。30歳を超えて、金の時計に手を伸ばすのには少しだけ勇気がいったようだ。一歩間違えれば「不動産の人」に見えてしまう。それでも茶ベルトとゴールドの組み合わせが美しく、40歳、50歳の自分に似合う男になればいい。そう思えたのだろう。航海用クロノメーターに由来するポルトギーゼの来歴もまた、物語の好きな田中の心をつかんだ。
高級時計は全8本。ほかにカルティエ、パネライ、ラドーのセラミックなども所有するが、1本も手放したことがない。
時計遍歴をたどると、ひとつの法則が浮かぶ。ロレックスもオメガも買っていない。理由はシンプルで、メタリックな光沢が好きじゃないから。マットな質感、落ち着いた色味、そしてなにより手仕事の物語があるかどうか。
この基準は時計に限らない。スピーカーならバング&オルフセンより英国の老舗B&W。歴史と文脈と機能性、どれだけ職人が手をかけているか。値段や知名度やステータスでは選ばない。それは投資先を見極める目線と、どこか重なるものがある。
ゴールドマン時代、この感覚は人との距離を縮める道具にもなった。同年代に時計好きは少なかったが、一世代上の先輩や顧客には目利きが揃っていた。ジャガー・ルクルトを巻いていると「お、ルクルトしてんの」と話が始まる。そこからワインの銘柄になり、週末に泊まった宿の話になり、気づけば笑い合っている。一流のものを知っていることが、人との関係を深くした。誰もが知る名前を腕に載せるより、相手の「おや」を引き出す1本のほうが、会話の扉は開きやすいのかもしれない。
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365日、身体と同化した時計
ガーミン「エンデューロ」。朝3時45分のアラームは振動で届く。「周りに迷惑をかけない」のもこの時計のいいところだ。
現在の田中の左腕にあるのは、ガーミンの「エンデューロ」。10年以上、365日24時間、充電と買い替え以外で外したことがない。1回の充電で約2カ月。ムーンフェイズの代わりに心拍数を表示し、ギョーシェ彫りの代わりにVO2maxを刻む。もはや体の一部だ。
移行は突然ではなかった。毎朝3時45分、まだ暗い部屋で振動アラームが手首を叩く。そこから25kmを走るか、70kmを漕ぐか、9000mを泳ぐ。ライフスタイルがアスリートに傾くにつれ、データを記録できるスマートウォッチが自然と手放せなくなった。
ただし理由は利便性だけじゃない。お金を出してモノを買い、それで豊かになるという感覚そのものが、自分のなかから薄れていったのだという。メディアに出る際のイメージも気にかけている。「僕のプロフィールで高級時計をつけていたら、すごく嫌な感じになる」。言葉の誠実さと腕元の印象が矛盾しないよう、気を配っているのだ。とはいえ機械式時計を捨てたわけじゃない。フォーマルな場ではいまもそっと付け替える。8本を使い分けてきた頃の感覚は、ちゃんと残っている。
「似合う大人になっていると思えればまた」。将来の選択肢としてA.ランゲ&ゾーネやヴァシュロン・コンスタンタンの名が挙がった。
これまで1本も時計を手放していない。売ったこともない。
理由を聞いて、少し胸が温かくなった。「いい大人になって、自分が一生支援したいと思える若者に出会ったら、あげてもいいと思うようになりました」。自分はもうつけないけれど、次の誰かの腕で動き続けてほしい。投資家として人に賭け続けてきた田中らしい考え方だ。機械式時計は止まっても、手を加えればまた動き出す。渡す相手はまだ見つかっていないが、急いでもいない。
いま、欲しい時計はあるかと聞くと、少し間があった。いまのアクティブな生活では必要ない。ただ、もう少し歳を重ねて、内に向かっていく季節が来たら。A.ランゲ&ゾーネ、ヴァシュロン・コンスタンタン。その名前がふっと口をついて出た。
20代で時計の深淵を覗き、30代で手放し、40代のいまは毎朝暗闇のなかを走っている。あの8本は箱のなかで次の出番を待っている。27歳の自分が選んだジャガー・ルクルトは、50歳になっても似合うだろうか。もし似合ったなら、それはきっと、いい歳の取り方をした証だ。
