『左ききのエレン』作者のかっぴーが、ロレックスマラソンするほどハマった"時計沼" 【My watch, My life】

  • 写真:丸益功紀(BOIL)
  • 文:倉持佑次
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かっぴー●1985年、神奈川生まれ。株式会社なつやすみ代表。武蔵野美術大学を卒業後、大手広告代理店のアートディレクターとして働く。WEB制作会社のプランナーに転職後、趣味で描いた漫画「フェイスブックポリス」をnoteに掲載し大きな話題となる。2016年に漫画家として独立。代表作『左ききのエレン』は2019年にドラマ化、現在もnoteで連載中。漫画原作では自身の体験をもとにした『ブラパト! ブランドパトロール 本日も異常なし! 』『大人大戦』がある。

広告代理店を舞台にした漫画『左ききのエレン』をはじめ、漫画家として多くの読者を魅了する作品を送り出し続ける、かっぴー。

『左ききのエレン』は2016年に『cakes』で連載をスタート。その後17年から22年にかけて『少年ジャンプ+』でリメイク版(作画:nifuni)を連載し、2億PVを超える大ヒットを記録、2019年にはテレビドラマ化もされた。現在は、かっぴー自身の『note』で連載を続けている。大手広告代理店「目黒広告社」に勤める駆け出しのデザイナー・朝倉光一と天才グラフィティアーティスト・エレンを中心に、広告業界やクリエイティブの世界をリアリティをもって描き、熱狂的なファン生み出している作品だ。

そんな人気漫画の作者である彼が、ある日「時計沼」に足を踏み入れた。そのきっかけや人気モデルを手に入れるまでの奮闘記、自身の創作との関わりなど、腕時計について幅広く話を聞いた。

連載「My watch, My life」Vol.2

腕時計は人生を映す鏡である。そして腕時計ほど持ち主の想いが、魂が宿るものはない。この連載では、各業界で活躍するクリエイターやビジネスパーソンに愛用腕時計を紹介してもらい、“腕時計選び”から見えてくる仕事への哲学や価値観などを深掘りする。

はじまりは広告代理店時代の「原体験」から

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10本ほどの腕時計を所有し、自身の作品にもキャラクターを描写するアイテムとして腕時計が登場する。

かっぴーの腕時計とのつながりは、漫画家になる前に遡る。6年間勤めていた広告代理店で百貨店の仕事を担当した際、富裕層向けの販促物を制作する中で高級腕時計との出合いがあった。

「時計のことをちゃんとわかっていないと、仕事相手と会話ができないんです。だから勉強もしたし、好きにもなって。その時にガツンと心に残ったのがオーデマ ピゲの『ロイヤル オーク』。本当にかっこよくて、少年心をくすぐられました」

当時、広告代理店の給料では高級腕時計の購入は現実的ではなかった。それでも、パンフレットや広告で腕時計を扱う中で、知識を蓄え、いつか手に入れたいという思いが芽生えていった。

「営業部の同期が、出世したいからと80万円するタグ・ホイヤーの腕時計をローンで買ったと聞いて、戦慄しましたね。『なんで俺の同期で同じ給料のはずなのに、80万円の時計が買えるんだ!?』って」

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2024年に念願叶って手に入れた、オーデマ ピゲ「ロイヤル オーク オートマティック」。

頑張った自分にご褒美! 鼻息荒く腕時計を物色するも……

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『左ききのエレン』。広告業界とアート業界を舞台にした群像劇。2016年に『cakes』で連載をスタートし、2017年〜22年に『少年ジャンプ+』でリメイク版を連載。現在は自身の『note』で連載中。

本格的に腕時計収集を始めたのは、漫画家としての道を歩み始めてから。『左ききのエレン』のリメイク版を連載した後、ひと区切りついた時期だった。同時期にアニメ化も決まり、二重の喜びを味わっていた頃だ。

「毎週追いかけてくる連載から解放され、自由を謳歌したかった(笑)。長い道のりを完走したような達成感もあって、『時計が欲しかったな』と思い出したんです」

そこから本格的に腕時計選びを始めたかっぴーは、1日3時間以上、本や雑誌で腕時計について勉強し、情報収集に没頭した。しかし、探し始めた2022年頃は、腕時計の価格が高騰していた時期。憧れの「ロイヤル オーク」も「アクアノート」も手が届かない価格になっていた。しかしそれでも諦めることなく、百貨店の紹介でパテック フィリップのイベントに参加する。そこで、コンプリケーションのカレンダーモデルを選び、購入希望者としてウェイティングリストに登録した。

「その時計を待っている間に、ロレックスの『デイデイト』を買い、ショパールの『アルパインイーグル』を買って……待っている間に、気づいたら結果的に所有する腕時計が増えていったんです」

ところが1年以上経っても百貨店から連絡はなく、確認してみるとそのモデルはすでにディスコン(廃盤)になっていた。「あの時計はもう来ないんだと気づいた瞬間、これでパテックとの物語は平和的に決着がついた、第一部完」と笑うかっぴー。当初の計画とは違えど、この偶然が彼の腕時計人生を彩ることになった。

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それから数年後に購入することができたパテック フィリップ「アクアノート」。

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「ロレックスマラソン」と「APウェイティング」の狭間で

高級腕時計を求めるコレクターたちの間では、「ロレックスマラソン」という言葉がある。これは、希少モデルを手に入れるため正規店に通い詰める行為を指す。かっぴーも例外ではなかった。

「初めてロレックスに行ったら、『エクスプローラー1』を買うことができたんです。1回目で買えるんだと思って、俺とロレックスは相性がいいのかも、相思相愛なのかもと勘違いしました」

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左:父親から遺品であるロレックス「デイトジャスト」 中:初来店で手に入れたロレックス「エクスプローラー1」 右:マラソン「ナビゲイター パイロット」。マラソンはカナダ初のミリタリーウォッチブランドで、10万円以下の手頃な価格でミルスペック準拠の実用時計が揃う。

この成功体験から、彼は定期的に店舗を訪れるようになる。実際、「GMTマスター Ⅱ」も正規店で購入することができた。しかし、その後に狙ったロレックス・デイトナ「ル・マン」モデルでは、現実の厳しさを知ることになる。

「ル・マン マラソンするぞと意気込んでいたら、販売員の方が『買えません』って。当時、日本にまだ入荷してないんじゃないかという話でした。でも僕が店に行くペースを落としたタイミングで、銀座で1本出たという噂を耳にしたんです。最初の調子で通ってたら自分が買えたんじゃないかって、精神的に相当揺さぶられました。その後、YouTubeでヒカキンさんがプレミア価格で購入している動画を見て、諦めがつきました(笑)」

一方、オーデマ ピゲの「ロイヤル オーク」とは、運命的な出合いがあった。

「AP(オーデマ ピゲの略称)の正規店で初めて購入した一本が『ロイヤル オーク』でした。普通は暗黙の了解で、何本か購入してからでないと『ロイヤル オーク』は買えないんですよ。フラッグシップモデルで圧倒的な人気ですから。ここでまた『俺はAPと相性がいい』って勘違いしちゃいました」

かっぴーは「ロレックスマラソン」と「APウェイティング」を対比して説明する。

「ロレックスは積極的に店舗に通い、顔馴染みになって信頼関係を築くという、まさにどぶ板営業のような戦い方が必要なんです。一方、オーデマ ピゲは大企業の社長にアポイントを取って会うような感じ。ロレックスが自分から動いて獲得する時計だとしたら、APやパテックは待つ時計なんです」

購入までの苦労を赤裸々に語るかっぴーだが、自身の近作『ブラパト! ブランドパトロール 本日も異常なし!』でも描いているように、素敵なものが欲しいという「物欲の肯定」は、彼にとって最近のテーマの一つだ。

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自身のロレックスマラソンの経験も反映された作品『ブラパト! ブランドパトロール 本日も異常なし!』(原作:かっぴー、漫画:大久保ヒロミ)。東京で働く黒子カナは昔から憧れていたバッグ「フォーキン」を手に入れようと一念発起するが、一筋縄では購入できないという事実を知る。以後、「フォーキン」を求めて、ファッションブランド・ブライトのブティックに通う=パトロールする日々が始まる。

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5万円から500万円まで。価格を超えた腕時計哲学

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かっぴーの所有する腕時計は10本ほど。下段の右から2番目が、かっぴーが冒頭の写真で着用するロレックス「デイトナ」。

かっぴーが語る腕時計選びの哲学は、単純な価格やステータスに限らない。約10本ある彼のコレクションには、高級モデルから実用的なものまで幅広い。彼はこれを「コレクション」とは呼ばない。

「コレクションじゃないし、資産でもないんです。金額的にはそうかもしれないけど、資産として買ってるわけじゃない。あくまで実用の道具としての腕時計に魅力を感じているんです」

この哲学は彼の最新プロジェクトにも反映されている。現在、かっぴーは日本の時計メーカーのヴァーグウォッチカンパニーとコラボレーションし、自身の代表作にちなんだ「エレンウォッチ」を制作中だ。 

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かっぴー自身がデザインした腕時計。『左ききのエレン』に登場するキャラクター、エレンが着用するイメージでつくられた。

「いまつくっているエレンウォッチは、あえてクオーツの仕様を選びました。これは高級時計を持っている人にも、もう1本気軽に楽しんでもらえるようなポジションを意識しています。時計の価値は必ずしも価格だけじゃないですから」

彼が所有する腕時計の中で特別な1本は、亡くなった父から受け継いだロレックスの「デイトジャスト」だという。客観的な価値よりも、個人的な意味が大きい一例だ。

「この時計自体はなんてことないんですよ。でも父の形見である点で唯一無二の存在。意外とダイヤルもいい顔してるなと思って」

かっぴーが語る腕時計選びの基準は、必ずしも価格帯で妥協するものではない。

「500万円の時計が買えないからといって、200万円の時計を買うべきではないと思うんです。半額で一個下のものを手に入れるくらいなら、5万円の時計のよさを探したほうがいい」

こうした考えが体現されているのが、彼の時計の使い分け方だ。高級モデルから実用的なものまで、場面や気分に応じてローテーションしている。日常使いの定番から特別な機会まで、それぞれの時計に明確な役割がある。

「本当になにも考えずに手に取るのが『エクスプローラー1』。子どもを保育園に送り迎えする時も、コンビニに行く時も。『デイトジャスト』も同じ感じ。この2本は、シャツかパーカーかくらいの感じの差です。『アクアノート』は時計好きの友達と会う時に。この時計を着けていると『今日はすごくいい時計を着けてるぞ』とシャンとした気持ちになれる。『ロイヤル オーク』は、高いレストランに行く時や格式のある場所、おもにパーティシーンで着けています」

漫画のキャラクターに宿る「腕時計」の物語 

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『左ききのエレン』より
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『左ききのエレン』より
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『左ききのエレン』より
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『左ききのエレン』より
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『左ききのエレン』より
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『左ききのエレン』より
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『左ききのエレン』より
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『左ききのエレン』より
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『左ききのエレン』より
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『左ききのエレン』より

漫画家としてのかっぴーは、キャラクターの服装や小物にこだわることで知られる。腕時計もその一部で、作中でも印象的に登場する。

「時計に詳しくなったからこそ、どのキャラクターがどんな時計を着けるべきかをちゃんと選べるようになりました。スニーカーや洋服と同じで、キャラクターにはその人に似合う時計があるんです」

以前『左ききのエレン』の作中で、2005年頃のシーンでニューヨークの美術ディーラーに「ノーチラス」を持たせたことがあるというが、いまになって当時の設定に後悔の念を抱いている。

「いま思うと、2005年の『ノーチラス』ってそういうポジションだったっけって。その当時、『ノーチラス』がステータスシンボルだったかどうか。ちょっと時代が早すぎたかも」

時計ブームの時系列をここまで厳密に考察する姿勢からも、かっぴーの時計への造詣の深さと、作品に登場する小物の時代考証にまでこだわる漫画家としての真摯な姿勢がうかがえる。

機械式の魅力は「靴紐を結ぶように」      

取材も終盤に差し掛かるころ、最近腕時計に興味を持ち始めた人へのアドバイスを求めると、かっぴーは機械式時計の魅力を独自の視点で語ってくれた。

「機械式時計はドレスシューズみたいなもの。靴紐をキュッと結ぶ手間、ワンアクション入るけど気が引き締まる。このルーティンが心地いいんです。一方クオーツ時計は、ローファーみたいなもの。紐がないけどすごく気楽で楽しめる。時計がなくても生活できるけど、着けて見ると気合いが入る。それは自分の気分に合っていればよくて、5万円でも500万円でもいいんです」

かっぴーの「時計沼」体験は、高級腕時計への憧れと現実的な選択肢の間で揺れ動きながらも、自分だけの価値観を築いてきた軌跡だ。それは『ブラパト!』で描かれた憧れのバッグへの情熱と同様、"心躍るモノ"への真摯な姿勢の表れかもしれない。

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この日着用したのは、ロレックス「デイトナ」のエルプリメロ内蔵モデル。

連載「My watch, My life」