Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。
“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第38回のキーワードは「メンタル神経」。

「運動神経がいい」という言葉がある。一般的に、運動神経がいい人は足が早かったり、初めて挑戦するスポーツでもすぐにコツをつかんだりする。運動神経がいい、という状態を僕なりに別の言葉で置き換えると、「自分の身体を思い通りに動かすことができる」ということなのではないかと思う。
たとえば、「速いボールを投げる」という行為について考えてみる。速いボールを投げるためには、力をうまくボールに伝えなければならない。軸足に体重をのせたまま、上体を可能な限り後ろに残し、肘を肩の高さまで上げ、踏み込んだ足に体重を移動させながら腰を回し、腕を振り下ろす瞬間にボールを手放す——これらの行為を正確に行うことで、全身の力をしっかりボールに伝えることができる。運動神経がいい人は、他人の手本を見ながら、あるいは熟練した人物の説明を頭で理解しながら、一連の動作をスムーズに行うことができる。逆に運動神経が悪い人は、自分のイメージと実際の動きに乖離があるので、教えられた通りに身体を動かすことができない。
「運動神経」という言葉があるのなら、「メンタル神経」という言葉もあるだろう——と思ってざっと調べてみたが、どうやら一般的ではないらしい。仕方がないので僕がいまから定義する。「メンタル神経がいい」とは、「自分の精神を思い通りに動かすことができる」という状態だ。心のあり方を正確に把握し、それらをコントロールしながら、自分の思考や行動や発言を理性的に行うセンスのようなものだ。運動神経にいい悪いが存在するように、メンタル神経にもいい悪いが存在する。
なにか失礼なことをされて頭に来た時、感情のまま行動することが今後なにを引き起こすのかを一度冷静に考え、どうすべきかを検討し、最善の行動を選ぶ。誰かの話を聞いてなにか釈然としない印象を抱いた時、なにに釈然としていないのか、自分の不理解をそのままにしていいのか、といったことを検討して気持ちを相手に正確に伝える。そういった能力がメンタル神経にあたる(と、いま僕が定義した)。
たとえば、「これから1時間、企画書を作成するために資料を読む」という行為について考えてみる。この行為は、速いボールを投げるのと同じくらい難しい。机の上に資料を置くが、気が進まない。そこで気が進まない原因を把握する。スマホが気になるので、手の届かない場所に置く。眠気が邪魔をしているので、コーヒーを飲んだり、仮眠を挟んだりする。「使われている用語が理解できていないから内容が頭に入ってこないのだ」と考え、わからない用語について調べる。「いまのうちに資料を読んでおけば、明日は1日中遊べるはずだ」と考えたり、「資料を読まずに企画書を作成すれば会議の場で恥をかくかもしれない」などと考えたりして、途切れそうになる集中力を維持しようとする。そうやって自分の心をなだめながら、退屈な資料を読み込む。
メンタル神経がいい人は、こういった作業を難なくこなせる。正確には、自分の心の上手な動かし方を知っている。逆に、メンタル神経がよくない人は、頭ではわかっていることが実行に移せない。ほかのことが気になって資料を読み進められなかったり、別の娯楽に気を取られて集中できなかったりする。そんな自分に嫌気がさし、自信を失っていく——いや、計画した通りの行動を選択できないことを気に病む必要はないと思う。逆上がりができないことの原因が怠惰だとは限らないのと同じだ。僕たちが怠けてしまうのは、自分の心を上手に動かすことができないからだろう。
小川 哲
1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『火星の女王』(早川書房)がある。