Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。
“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第34回のキーワードは「“変な人”への憧れ」。
高校1年生の時、授業中にクラスメイトのS君の携帯電話から爆音で「G線上のアリア」が鳴った。授業が中断し、英語教師が「誰の携帯だ!」と怒鳴り、教室内に緊張が走った。当時、友人たちの間で流行っていたイタズラだった。休み時間にこっそり誰かの携帯を盗み、マナーモードを解除して着信音をマックスにする。どういうわけか、着信メロディが「G線上のアリア」に設定されることが多かった。僕もそのイタズラの被害に遭ったことがある。被害を経験しているからわかるのだが、設定を変えられているので最初は自分の携帯だということに気づけない。しばらく「G線上のアリア」を聞いているうちに、自分の鞄から音が出ていることに気づく。慌ててマナーモードに設定し、「すみません」と先生に謝る。授業が終わってから、着信履歴に表示された犯人に「ふざけんな」と怒る。
S君もこのイタズラのターゲットにされて、授業中に携帯電話が鳴ったのだった。僕と同様に、最初はS君も自分の携帯が鳴っていることに気づかなかった。
そこからが僕と違っていた。しばらくしてS君は「あ、俺の携帯だ」と宣言し、鞄から携帯を取り出すと、そのまま「もしもし」と電話に出た。当然ながら通話相手はいないのだが、S君は「ああ、けっこうです」となにかのセールス電話を断るボケをしてから電話を切った。授業中に携帯が鳴っただけで怒鳴っていた教師は、通話まで始めたS君を授業後に呼び出した。こっぴどく叱られたらしい。
そんなS君の姿を目の当たりにした僕は、「すげえ」と感激してしまった。僕は授業中に突然携帯が鳴って焦り、いち早く音を消すことしか頭になかった。クラスメイト全員から注目され、教師が怒っている状況で電話を取り、小ボケをする発想など頭にはなかった。思春期の僕は“変な人”に憧れていた。“普通の人”になってしまうことが怖くて、どうやったら“変な人”に見られるか、日々研究しているつもりだった。しかし、自分がどうしようもなく“普通の人”であることをS君にまざまざと見せつけられてしまった。
とはいえ、僕の“変な人”への憧れはそれなりに功を奏したところもあった。突然川に飛び込んだり、ゴミ捨て場に置いてあったジャック・スパロウのコスプレを拾ってその場で着たり、“普通の人”として論理的に導いた“変な人”アピールが周囲の友人に響くこともあって、「お前、変わってるな」と言われることも増えた。誰かから「変わってるな」と言われた時、僕は半分喜びながら、残りの半分は「お前が騙されてるだけだ」と感じ、どことなく居心地が悪かったように思う。僕の脳裏には常に、S君をはじめとする本物の変人の姿があった。
大人になると“変な人”への憧れもなくなり、アピールのために無理をすることもなくなった。“普通の人”として小説を書き、エッセイを書く日々を過ごしていた。
なのに、僕の文章を読んだ人から「変わってますね」とよく言われるのだ。たとえば「これからカレーをつくることがスーパーのレジの人にバレたくないから、買い物カゴにブロッコリーやシチューのルウを入れる」みたいな話は、全人類とは言わないまでも、それなりの人に共感してもらえる話だと思っていたら、そうでもないらしい。
結局、“普通の人”なんていないのだろう。人間は自分という物差ししか持っていないから、自分の変なところには気づきづらいだけだ。S君だって「電話がかかってきたから取っただけで普通だろ」と思っていたのかもしれない。
小川 哲
1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『スメラミシング』(河出書房新社)がある。※この記事はPen 2025年10月号より再編集した記事です。