Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。
“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第33回のキーワードは「部屋を綺麗に保つ方法」。
「散らかった部屋を綺麗にするコツはなんですか?」という質問に、「一度使ったものをもとの位置に戻す」とか「収納を上手に活用する」とか「掃除機をまめにかける」とか答えている人は、いますぐに考えを改めてほしい。こういった誤情報が、部屋が汚い人を長年苦しめてきた。そもそも「一度使ったものをもとの位置に戻す」ことができないから部屋が散らかるのだ。「収納を上手に活用する」というアドバイスにいたっては、むしろ害悪と言ってもいい。散らかった部屋に住む者が「収納を上手に活用する」と、以前より部屋の状態が悪化することもある。長年、散らかった部屋に住み続け、いまは(自分基準で)それなりに整頓された部屋に住んでいる僕自身の経験からすると、部屋を綺麗に保つ方法はふたつしかない。「広い部屋に住む」か「ものを大量に捨てる」。そのどちらかだ。
すごく極端な話をすると、たとえば足の踏み場もない四畳半の部屋に住んでいる人が、サッカーコートに引っ越したとすると、一気に足の踏み場だらけになる。あるいは、部屋中のあらゆる物体をすべて捨ててしまえば、理論上は入居時と同じ状態になる。部屋が散らかった状態というのは、そこに住んでいる人間の怠惰によって引き起こされる精神的な現象ではなく、部屋の大きさに対して物品の量が多すぎる場合に発生する物理的な現象なのだ。
僕の部屋が散らかっていたのは、部屋の広さに対して過剰な冊数の本を所有していたからだ。とはいえ僕は本を手放すことができなかったので、引っ越しのたびに以前より広い家に移ることで部屋が散らかることを回避している。経験者として文句を言うと、「収納を上手に活用する」と、確かに一時的に部屋は整頓される。しかし、一度使ったものをもとの位置に戻すことができないので、その状態は長く続かない上、一時的な整頓状態にかまけて新しい物品を買ってしまい、より部屋が散らかっていく。
部屋が散らかっている人にとって、いわゆる整理整頓術は役に立たない。整理整頓術が役に立つのは、もともと部屋を整理整頓する素質のある人が、己の整理整頓スキルをさらに向上させる場合だけだと思う。
同じことがいわゆる仕事術とか営業術とかアイデア術とかにも言えるのではないかと疑っている(疑っている、と弱気な表現をしたのは、僕がそういった本を読んだことがないからで、実際には僕の前提を踏まえた本が出版されているのかもしれない)。
「To-Doリストをつくりましょう」とか「ロジカルシンキングをしましょう」とか「毎日読書をしましょう」とか「伝える力を鍛えましょう」とか、それが継続できなくて困っている人に、理屈の上で最適な方法論を語っても空疎だと思う。
では、あらゆる術を統べる、より根本的な解決方法はなんなのだろうか。
僕は結局、「広い部屋に住む」か「ものを大量に捨てる」しかないと思う。つまり、頭を使う行動がうまくいかない根本的な理由は、頭の中が散らかっているからだ。頭の中が散らかった状態では、自由に思考するスペースが少なくなっていて、発想が貧困になったり、目の前のチャンスに気づかなかったりしてしまう。そんな時にすべきことは、自分の頭のゆとりを増やすか、思考の邪魔をする存在を捨てるか、そのどちらかだ。
思考の邪魔をする存在を捨てるための方法は簡単だ。あなたを悩ます人間関係を切ってしまえばいい―そんなことができない、という人は、頭のゆとりを増やすしかない。では、どうやって増やすか。……小説というものがありましてね。
小川 哲
1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『スメラミシング』(河出書房新社)がある。※この記事はPen 2025年9月号より再編集した記事です。