Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。
“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第37回のキーワードは「コスパ・タイパ」。

先日、電車に乗っていると車内広告で「割に合わないことをやりなさい」というようなタイトルの本が出版されていることを知った。詳しく見たわけではないので曖昧な記憶を頼りに書くと、「会議はオンラインでしろ」とか「無駄な飲み会には出席するな」とか、一般的に「コスパ・タイパがいい」とされていることなどしなくていい、という主張のようだ。素直に考えれば、「会議は対面でしろ」「無駄な飲み会に出席しろ」という主張をしているように思える。
著書を読まずに広告を見ただけの感想なので、実際に著者がなにを考え、なにを言おうとしているのかはわからない。その事実を踏まえた上で、広告を読んで最初に考えたのは、「『割に合わないことをしろ』という主張は、そもそも可能なのか」という点だ。
たとえば僕は、いままで一度も出版社と原稿料の交渉をしたことがない。「そんなのおかしい」と言う人の気持ちもわかる。「仕事を発注された時、単価がわからなければ受注するかどうか決められない」と思うのは普通の感性だ。「搾取されたらどうする」と心配する気持ちもわかる。その通りだと思う。実際に原稿料の交渉をする同業者もいる。交渉の結果、原稿料が上がったという報告を受けたこともある。では僕は「割に合わないことをしている」のだろうか。
原稿料の交渉をしないことにも、ほんのわずかにメリットがある。「やりとりが減る」という点だ。原稿料の交渉をするためには、出版社相手にメールや電話をしなければならない。ただ単に原稿を書いて渡すよりも手間がかかる。このやりとりは僕だけの手間ではなく、依頼してきた編集者の手間にもなる。依頼ごとに原稿料の交渉をしてくる作家に対し、編集者は面倒だと考えるかもしれない。何通かメールのやりとりをして2万円の原稿料が2万5千円になったとしても、次からはもう依頼されなくなってしまうかもしれない。
もちろん「原稿料の交渉をすべきではない」と考えているわけではない。いろんな先人たちが粘り強く交渉してきてくれたおかげで、僕は満足な額の原稿料をもらえているという側面もあるだろう。でも僕は、自分の方針が「割に合わない」とは思っていない。一見すると割に合わないように見えるかもしれないが、最終的には自分が得をしていると思っている。2万円の原稿料を2万5千円にすることで、100万円の仕事を失うこともあり得るし、「この作家は金額で仕事を選んでいない」と思ってもらったほうが得なこともあるだろう。つまり僕は「コスパがいい」と思っているから、あえて原稿料の話をしていない。
「オンラインではなく、対面で会議をする」というのはタイパが悪いのだろうか。「無駄な飲み会に参加する」ことに価値があるなら、本当にその飲み会は無駄なのだろうか。
オンライン会議を推奨している人だって、対面で得られる情報が重要だと思うなら(そっちのほうが「割に合う」と考えるなら)、対面で会議をするだろう。僕は経験したことがあるからわかるが、「無駄な飲み会」は本当に無駄だ。知性も品性もなく、ただ年齢が上であるだけの人間が数時間ひたすら自慢話をする飲み会に参加することを、冒頭の著者は推奨しているのだろうか。もし「飲み会でつくった人間関係が、その後の仕事に役立ちます」みたいな主張であれば、そもそもその飲み会は無駄ではない。
人生のいろんな瞬間で、これまで無駄だと思っていた経験に救われることがある。割に合うか合わないか、コスパ・タイパがいいか悪いか——そんなものは、死ぬ最後の瞬間までわからない気がする。
小川 哲
1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『火星の女王』(早川書房)がある。