【アートブックとは】アートブック書店POST店主とうらわ美術館学芸員がその歴史を徹底解説

  • 文:中島佑介(POST)
  • 解説:滝口明子(うらわ美術館)
  • 協力:うらわ美術館
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アートブックの源流と、その表現がいかに展開してきたか。アートブックの専門書店POSTを営む中島佑介とうらわ美術館学芸員でアートブック研究の第一人者である滝口明子が名作を手掛かりに、それぞれの視点から歴史を読み解く。(本文:中島、解説:滝口)

自由かつ多彩な表現をかたちにしたアートブックがいま、面白い。本特集では、数々の傑作をたどりながら、つくり手たちの言葉を紐解き、さまざまなアートブックに出合える書店やフェアまで網羅した。自分だけの一冊を見つけ、奥深いアートブックの世界をともに語り尽くそう。

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19〜20世紀に見る、アートブックの源流

アートブックの専門店をオープンしてから20年が経つ。たくさんのアートブックに触れ、その一冊一冊に宿る思想や美意識をこれまで体感してきた。ここでは、そうした経験を踏まえながら、アートブックの歴史と潮流について考えてみたい。 

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『骰子一擲』原稿
ステファヌ・マラルメが1897年に著した詩集『骰子一擲』。書名はフランス語で『Un coup de dés jamais n'abolira le hasard』。「サイコロの一振りは決して偶然を排さない」を意味し、詩と偶然性をテーマにした。「視覚詩」の起源ともいえ、詩とタイポグラフィを巧みに組み合わせている。原稿では手書きで文字の大小や、ローマンキャピタル、イタリック体を使い分け、印刷業者へのレイアウトやタイポグラフィの指示が書き込まれている。
 

書籍というものには大きく3つの特徴がある。

第1に「情報を伝えるメディアであること」

第2に「三次元的に体感できる物体※1であること」

第3に「印刷や製本というプロセスを経て、ある程度の部数が量産される※2プロダクトであること」

この3点を備えた上で成立するのが書籍という形式であり、その中のひとつのジャンルとして「アートブック」が存在する。一般的には「芸術を題材にした書籍」を指す言葉だが、ここではもう少し狭義のアートブックについて考察したい。

僕がアートブックと呼ぶ書籍は、作品の単なる複製や図版集ではなく、書籍全体の構造が表現として成立しているものだ。その源流をたどると、19世紀フランスの詩人ステファヌ・マラルメに行き着く。象徴主義を代表する彼の詩作は、言葉を紙面に配置すること自体が表現行為であり、ページをキャンバスのように扱う構造的意識を持っていた。書物という形式の中で、文字や余白、見開き、綴じといった要素が一体となって詩を構築しており、まさに「本そのものがひとつの作品」であるという点で、アートブックの原型と呼ぶにふさわしい。

20世紀に入ると※3 、イタリアの前衛芸術運動「未来派」が登場する。彼らはスピードや機械文明への賛美をテーマに掲げ、従来の書物のかたちを破壊するような実験的出版を展開していった。金属板をボルトで綴じた書籍など、物質としての書を極端に拡張した試みは、のちのアートブックに多大な影響を与えた。

続くダダ※4やシュルレアリスムといった前衛芸術運動の流れの中でも、マルセル・デュシャンの『グリーン・ボックス※5は特筆すべき存在だ。彼の代表作『大ガラス』の制作過程や思考の記録を記したメモを複製し、ひとつの箱に収めたこの書物は、読む者が自らの手でメモを組み合わせ、独自の物語を生成できる構造になっている。ページの秩序を解体し、読者の手に委ねたこの発想は、アートブック史上の画期的な出来事だった。

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ステファヌ・マラルメ(1842-1898)●フランス生まれ。19世紀フランスにおける代表的詩人。代表作に『骰子一擲』がある。印象派の画家などとの交流でも知られる。
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『未来派の自由態の言葉 触覚的、熱的、嗅覚的』
トゥッリオ・ダルビゾラ、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ(文)、1934年。未来派の創始者であるマリネッティが詩を、ダルビゾラがグラフィック・レイアウトを手掛けた。詩やイラストが印刷された15枚の金属板が円筒形の金属で綴じられている。© Urawa Art Museum
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『未来派デペーロ 1913-1927』
フォルトゥナート・デペーロ、1927年。近代社会の機械の美しさやスピード感をたたえる前衛芸術運動「未来派」のひとりである、画家でデザイナーなどマルチに活躍したデペーロが手掛けた。絵や広告といった彼の仕事を収録し、大胆にボルトとナットで本を綴じている。© Urawa Art Museum
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『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(グリーン・ボックス)』
マルセル・デュシャン、1934年。1915〜23年にかけて制作されたデュシャンの代表作『大ガラス』。その制作過程で記されたメモなどの資料を克明に複製し、緑の箱に収めた作品。縦33×横 28.3×高さ2.5 cmの箱に94枚の資料が収められる。© Urawa Art Museum


※1. 三次元的に体感できる物体

書籍は、ただ文字を読むためのものではない。ページをめくる手の動き、紙の質感や重さ、そしてほのかな匂い—そうした複数の感覚が重なり合うことで、読むことは五感を通した体験となる。その立体的な構造や厚み、開閉する動作までもが書物を空間的な存在として意識させ、私たちの記憶に深く刻まれていく。(以下、解説:滝口)

※2. ある程度の部数が量産される

書籍は、比較的安価に同じ内容を複数部刊行できる。さらに郵便を利用すれば世界中へ届けられる。こうした特性により、本はアーティストにとって「作品を発表する場」となった。作品を本というかたちにすることで、アーティストと鑑賞者はより近い関係を結び、アートブックは親しみやすく、親密な表現領域として広がっていった。

※3. 20世紀に入ると

20世紀に入ると、フランスでは画商や出版者とアーティストが協働して制作する豪華本、いわゆる「リーヴル・ダルティスト」(またはリーヴル・ド・パントル)が盛んに刊行された。絵画と詩文が融合したその書物は、美術と出版の新たな関係を築き、のちのアートブックの展開にも大きな影響を与えたと考えられる。

※4. ダダ

マラルメの詩作や未来派の実験的な言語操作をさらに進めたのが、トリスタン・ツァラらによるダダである。ダダでは、言葉の断片や偶然の配置が重視され、従来の詩の規則や意味づけは大きくゆさぶられた。これらの前衛的実践に共通するのは、「言葉」「ページ」というかたちを根本から見直す姿勢である。この考え方はアートブックにも影響した。

※5. グリーン・ボックス

『グリーン・ボックス』は、大作『大ガラス』の制作過程で描かれた図面やメモなどを書きつけた紙94枚を、複製して箱に収めたものである。本来は『大ガラス』を理解するための補助としてつくられたが、デュシャンによる「作品より思考が先にある」という言葉を考えると、この箱に収められた紙片こそが作品の中心であるとも言える。

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表現活動の場は、ヨーロッパからアメリカへと移行

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「作品集」シリーズ』
ディーター・ロート、1969〜79年。アーティストブックのほか、版画、彫刻、インスタレーションなど多様な活動を行ったロート。彼の1950年代以降の作品を体系的に収録した作品集。ロート自身が積極的に関与し、過去作を改変しつつ新たな文脈で編み直している。盟友・ハンス=ヨルク・メイヤーが編集、印刷、出版を担当した。© Urawa Art Museum

戦争によって美術活動が停滞した1930〜40年代を経て※1戦後にはスイスの芸術家ディーター・ロート※2が登場する。絵画や映像、音楽など多分野で活動した彼は、アートブックを主要な表現媒体のひとつとし、膨大な数の書物を制作していった。なかでも『Gesammelte Werke(作品集)』シリーズは象徴的で、全40巻を構想しながらも刊行順や番号の意味が一貫せず、欠番もあり、理解不能な構造を意図的に含んでいる作品だ。同一サイズの判型で整然と並ぶ体裁と、その内部に潜む混沌。この両義性こそ、ロートのアートブックの魅力である。

第二次世界大戦を経て、亡命によって多くの芸術家がアメリカへ渡ったこともあり、アートブックの中心はヨーロッパからアメリカへと移っていった。

そのなかでも60年代に興ったコンセプチュアルアートの作家たちは、アートブックを思想の実践の場として用いた。ソル・ルウィットによって名付けられた「概念芸術」は、作品の物質的価値よりも、背後にある思考や概念を重視する運動だった。唯一無二のオブジェとしてのアートから、複製可能なメディアとしてのアートへ。その転換の象徴が「本」という形式だった。印刷によって均質に複製され、世界中に同じものが届く本は、従来の美術制度に対する挑戦そのものだったのである。

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『26のガソリン・スタンド』
エドワード・ルシェ、1969年(第3版)。初版は1963年発行。白黒写真にガソリン・スタンドの名前と場所をテキストで付したシンプルな構成ながら、図版の位置、余白のとり方まで実は綿密なレイアウト作業により制作されたという。イメージの連なりが、旅のリズムやアメリカ西部の風景を映画的な時間の流れの中に静かに立ち上げている。© Urawa Art Museum

その潮流の中で、特異な存在感を放ったのがエドワード・ルシェだ。60年代初頭から一連の写真集を自費出版した彼は、『26のガソリン・スタンド※3など、徹底的に感情を排した構成で日常の風景を淡々と記録した。26枚のガソリンスタンドの写真を並べただけの本だが、その無機質さの中に、説明できない魅力が宿っている。世界中のアーティストが彼の書物をオマージュやパロディとして引用し続け、100冊以上の派生作品を生んだシリーズとなった。ルシェの本は、オープンソース的な精神を持ったアートブックの象徴と言える存在だ。

さらに、同時期の重要な芸術運動として「フルクサス※4がある。パフォーマンスを中心に活動を展開した彼らは、既製品を改変したり、日用品を封入したりしたアートブックを数多く制作した。紙を束ねたり綴じたりするという一般的な書籍の形態をとらないものも多いが、いずれもウィットやユーモアに富み、独特のグラフィックデザインによるパッケージに包まれている。「フルクサス」という言葉の意味さえ知らなかった頃に、彼らの出版物に触れたことが、僕自身がアートブックに強く惹かれるようになった原体験となった。その時に感じた驚きと戸惑いはいまも鮮明で、アートブックという概念そのものがゆらぐような体験だった。

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『6つの幾何学的な形とそれら全てのダブル・コンビネーション』
ソル・ルウィット、1980年。ミニマルアートやコンセプチュアルアートの先駆者として知られるルウィット。本書では円、正方形、三角形、長方形、台形、平行四辺形という6つの幾何学的図形の重なりあいによって生まれる図像を提示した© Urawa Art Museum
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『フルックスキット』
ジョージ・マチューナスほか、1964年〜。フルクサスの創始者であるマチューナスとその周辺で活動するアーティストなどによる、量産されたアート作品や印刷物のコレクションが収められている。アタッシェケースに収納された作品は、制作された時期によって内容物が異なる。© Urawa Art Museum

※1. 1930〜40年代を経て

2度の大きな戦争によるヨーロッパの荒廃と政情不安の中で、先進的な活動を行っていたアーティストたちやその支援者(パトロン)はニューヨークへ渡った。これが、現代美術の中心がパリからニューヨークへ移っていく大きな要因のひとつとなり、アメリカにおけるアートブックの発展にも大きな影響を与えたと考えられる。

※2. ディーター・ロート

アーティスト・ブックのパイオニアのひとりとされるディーター・ロートは、生涯で200点以上のアーティスト・ブックを制作した。学生時代から、友人とともに当時最先端であったコンクリート・アートやコンクリート・ポエトリーを紹介する芸術誌を刊行するなど、積極的に活動を行っていた。その背景には、戦中から大戦直後のヨーロッパにおいて、構成主義やバウハウス以降の潮流の影響を受けつつ、詩と視覚芸術の境界を横断する実験が活発化していた状況があったと考えられる。こうした多様な前衛的実践との接触が、ロートの独創的な造本観や素材への探究を早くから育んだと言える。

※3. 26のガソリン・スタンド

ルシェは、自身初のアーティスト・ブックのモチーフとして、アメリカ近代文化の縮図とも言われるルート66沿いのガソリンスタンドを選んだ。簡素なタイポグラフィや均質なページ構成といった発想を自身の表現に取り入れ、“古き良きアメリカ”の黄昏の気配を、独自の表現によって静かな寂寥感へと昇華している点に注目したい。

※4. フルクサス

日常生活と芸術活動を同じものとして捉え、なんでもアートになり、誰でもアートを行うことができる、そのような考えのもと、パフォーマンスやメール・アートなど、多様でウィットに富んだ表現を展開したのがフルクサスである。主唱者ジョージ・マチューナスは、家具ブランドKnollで仕事を得るほどの優れたデザイナーであり、そのデザイン力はフルクサスの出版物にも存分に発揮された。出版物に使われたプラスチック製の箱や小さなトランクは、マチューナスが近所の古道具店や日用品問屋で買い集めたものであったという。こうした日用品を用いて、それ自体を作品の一部へと昇華させた点は、フルクサス特有の精神をよく示している。それを可能にしたのは、アーティストたちの自由な発想力と、マチューナスの深い作品理解と卓越したデザイン力にほかならない。

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印刷物でしか味わえない、身体的な体験

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創業当時のPrinted Matter。©Printed Matter

流通の観点から見れば、1976年にニューヨークで設立された非営利書店「Printed Matter」の存在も大きい。ソル・ルウィットや批評家ルーシー・リパードらが設立し、商業流通に乗らないアートブックを扱う場として機能した。現在ではNY Art Book FairやLA Art Book Fairを主催し、世界中のアートブック文化を支える基盤となっている。

80〜90年代には一時的に停滞期※1が訪れる。コンセプチュアルアートの退潮、工業化による書籍の均一化、作家不在を感じさせる図録的出版物の氾濫、要因はいくつも考えられる。この時期、アートブックは〝再定義〟のための静かな準備期間だったのかもしれない。

写真集の歴史もアートブックの文脈と深く結びついている。MoMAの写真集部門ディレクターを務めたエドワード・スタイケン、続くジョン・シャーカフスキーが写真を芸術の領域へ引き上げ、写真集を「オリジナルプリントの忠実な複製」と定義した。世界的にその思想が広まり、60〜90年代の写真集は多くが均質な余白を持つ構成に統一された。

しかし日本では異なる展開を見せた。ページ構成やトリミングを大胆に用い、写真を連ねて流れで見せる表現が重視されたのである。こうした〝日本的写真集※2の存在を世界に知らしめたのが、写真家でありコレクターでもあるマーティン・パーだった。彼が90年代以降、日本の写真集を紹介したことで、その独自性が国際的に再評価され、以降の写真集に決定的な影響を与えた。

21世紀※3に入ると、インターネットの普及により書籍の存在意義が問われ始める。情報の媒体としての地位がゆらぐ中で、アートブックは「体験のメディア」へと変化した。ページをめくる行為、紙の質感、綴じの構造といった要素が意味を持つようになり、印刷物でしか得られない触覚的・空間的体験が表現の中心になっていった。

この20年、アートブック文化の発展を支えてきたのが、世界各地で開催されるアートブックフェアである。NY Art Book Fairを皮切りに、自身も運営に携わるTOKYO ART BOOK FAIRをはじめ、ロンドン、パリ、ソウルなど、毎月のようにどこかで開催されている。つくり手と読者が直接出会い、アートブックという共通言語で交流する場が、出版と表現の新しい循環を生み出している。

最後に触れておきたいのは、「芸術を題材にしていないアートブック※4の存在である。古い図鑑や工場のマニュアル、紙飛行機のつくり方の本など、それらが「芸術」ではなくとも、造形や構成に心を動かされることがある。アートブックか否かを決めるのは、主題ではなく、読む人の感性そのものなのかもしれない。

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『飛行官能』
恩地孝四郎、1934年。日本的写真集の一例。版画家で装丁家の恩地孝四郎が、北原白秋とともに飛行機に乗った体験をもとにつくられた。恩地による詩と木版画、そして北原鐵雄(白秋の弟)や新聞社による写真を組み合わせて構成された一冊。© Urawa Art Museum

※1. 停滞期

1980年代になると、アーティスト・ブックは次第に形式化していき、ある種の飽和状態を迎えたと考えられる。それに代わるように、当時の社会状況やカウンターカルチャーの気運に敏感に反応した若者たちは、自発的に「ZINE」をつくり始め、これをコミュニケーションツールとして積極的に用いるようになった。

※2. 日本的写真集

大正期より日本の写真表現が大きく変わり始めた。それまでの記録中心の写真から、芸術としての写真を追求する動きが強まり、写真をまとめた冊子や写真集が少しずつつくられるようになった。このことは日本におけるアートブックの歴史にもリンクしている。たとえば恩地孝四郎は、写真を単なる記録媒体としてではなく、詩的で構成的なイメージを生み出すための表現手段として用い、自らの版画作品において探究してきた抽象性やリズム感を写真にも応用した。1934年に発表された『飛行官能』は、その姿勢を端的に示す作品であり、のちのアートブックに見られる「ページを空間として扱う」考え方と深く通じている。つまり、単写真の提示を超えて、一連のイメージを本という形式の中で体験させるというアートブック的発想の萌芽を示しているのである。

※3. 21世紀

21世紀、電子化によって書籍は衰退したと言われるが、その一方でアートブックは、むしろ新たな展開を見せている。デジタル化が情報伝達の主要手段となり、文字を読む行為が画面上で完結するようになったいま、書物の在り方そのものを問う表現として、アートブックの重要性は増している。さらに近年は、デジタル技術を用いたメディアアートとの関わりが深まり、デジタル印刷、AR(拡張現実)、プログラム生成など、多様な技法が作品に取り込まれつつある。

※4. 芸術を題材にしていないアートブック

厳密には「芸術を題材にしていない」と断言できないが、展覧会図録は本来、展覧会の記録物であり、その芸術性を問うべきものではない。しかし、1960年代以降、造本やデザインに独自性を持たせ、美術館の理念や時代背景を反映するような図録が見受けられるようになった。たとえば、1968〜69年にMoMAで開催された『ザ・マシーン』展は、芸術と機械の関係を主題にした企画である。この図録はブリキ装丁を採用し、機械的な質感をもって展覧会の趣旨を体現している。こうした造本への強い意識は、同時期に隆盛したアートブックの潮流と無関係ではなく、本を「情報の器」ではなく「表現媒体」として扱う姿勢が波及した結果といえる。

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約束の場所で:ブック・アートで広がるイマジネーション

「本をめぐるアート」を収集方針に掲げるうらわ美術館のアートブックコレクションと、海外の大学で長年研究されてきたイギリスのブックアーティストたちの作品を組み合わせた展覧会。国や文化、時代を超えて、本を媒介にしたクリエイションにふれられる。

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うらわ美術館
住所:埼玉県さいたま市浦和区仲町2-5-1 浦和センチュリーシティ3F
開催時期:〜2026/1/18
開館時間:10時〜17時(金・土は〜20時、入場は閉館30分前まで)
休館日:月(1/12は開館)、年末年始、1/13 
www.city.saitama.lg.jp/urawa-art-museum

文:中島佑介(POST代表)

2005年にアートブックなどを扱うリムアートを開業し、11年に東京都恵比寿に書店POSTをオープン。ブックセレクトや展覧会企画、書籍出版などを幅広く手掛ける。15年からTOKYO ART BOOK FAIRのディレクターに就任。

解説:滝口明子(うらわ美術館学芸員)

2015年より現職。アートブックの調査、展覧会企画に携わる。これまで、『未来の発見の仕方−フルクサスの場合』展(16年)、『美術への挑戦 1960's -80's:秘蔵されていたアート・ブック』展(2018〜19年)などを担当。

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