スポーティなファッションの流行であまりスポットライトが当たらなかった「デニム」が最近、復活の兆しを見せている。考えてみれば「デニム」は永遠の輝きをもつもので、流行やブームとは異なるポジションにあるものだ。今回はそんな「デニム」の名品の魅力を追う。
デニムの名品① リーバイス®︎ 501®︎

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「ジーンズをはいて死にたい」と言ったのは不世出のアーティストであるアンディ・ウォーホル。天才ファッションデザイナーのイヴ・サンローランは「ブルージーンズを発明したかった」と自分が求めるスタイルをジーンズで代弁した。
「ジーンズ」「デニム」「5ポケット」など、最近ではさまざまな呼び名があるが、本来「デニム」とは生地=素材を指す言葉で、「ジーンズ」はその生地が形になったものだ。しかし近年、特にアメリカや日本ではデニム生地、あるいはそれに類する生地でつくられた衣類すべてを「デニム」と呼ぶ場合が多い。ちなみに日本人がよく使う「ジーパン」は和製英語。アメリカの軍人=GIがジーンズをはいていたことから「ジーパン=Gパン」と呼んだ。命名したのは上野アメ横にあったジーンズショップ、マルセルの店主檜山賢一氏と言われているが、海外では通じないのでご注意を。
そんな「デニム」の元祖と言える存在が、リーバイス®︎が創造したジーンズである「501®︎」だろう。欧州のババリア(現在のドイツ付近)で生まれたリーバイス®︎の創業者リーバイ・ストラウスが、ゴールドラッシュに沸くアメリカ西海岸のサンスランシスコにやってきたのは1853年のこと。そこで雑貨商を開業したリーバイは、「フォーティーナイナーズ」と呼ばれる金鉱掘りや開拓者のために生地としても販売していたキャンバス地を使った仕事用のパンツを商品化した(後に素材はデニムに変更された)。
【続きはこちらから】リーバイス®︎ 501®︎を通してデニムの歴史を学ぶ
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デニムの名品② リー「アメリカン ライダース101Z」

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そもそもジーンズに代表されるデニム衣料は、金鉱で働く労働者のために創造されたワークウエアとして始まった。オーバーオールなどのワークウエアで評判を集めたデニムブランドがリーだ。
ヘンリー・デイヴィッド・リーがアメリカの真ん中に位置するカンザス州サライナに、高級食材を扱う会社を興したのは1889年のこと。正式名称はH.D.リー・マーカンタイル・カンパニー。彼が立ち上げた会社は成功をおさめ、扱う商品もどんどん増えていったが、そのひとつにワークウエアもあった。東部のメーカーからオーバーオールなどのワークウエアを仕入れていたが、度重なる入荷の遅れに業を煮やした彼は、これでは商売にならないと自分たちで縫製工場を建てて、ワークウエアの製造に乗り出した。1911年のことだ。彼がつくった8オンスのデニム生地を使った胸当て付きのオーバーオールは、農夫や鉱夫、あるいは石炭で汚れることも多かった鉄道員たちから大きな支持を得た。
ヘンリーは成功の証として早くから自家用車を持っていた。運転手がクルマの修理をしているときに、シャツの袖をクルマの油で汚してしまった。それをヒントにヘンリーは「ユニオンオール」と呼ばれる「つなぎ」をデザインした。上着とパンツがひとつになったワークウエアで、これならば下に着た服を汚すことなく作業が行える。このワークウエアは大ヒットし、第一次世界大戦ではアメリカ陸軍のオフィシャルユニフォームとして採用されるまでになった。
ワークウエア市場でほかのメーカーを圧倒したリーが次に取り組んだのが、5ポケットのジーンズだ。しかもアメリカ人の心の故郷とも言える「ウエスタン」「カウボーイ」に着目したジーンズを目指した。実際に馬に乗っているカウボーイやロデオ選手の意見を取り入れ、1924年に「カウボーイパンツ」と名付けたモデルが発表される。翌年には紡績会社と共同で「ジェルトデニム」と呼ばれる従来のデニムよりも耐久性がある素材を開発、翌年の1926年についにリーは革新的なモデルを発表する。前開きにジッパーを採用したモデルで、ジーンズにジッパーを使ったのはリーが初めてだった。1944年には「カウボーイパンツ」が「リー ライダース」と改名され、このモデルは現在でもリーを象徴するジーンズとして多くの人に愛用されている。
【続きはこちらから】ワークウエアから始まったリーの歴史を、名品「アメリカン ライダース101Z」とともに振り返る
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デニムの名品③ アナトミカ「618 MARILYN #1 DENIM」

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『完本 ブルー・ジーンズ』(出石尚三著 新潮社)によれば、ジーンズには5つのレスがあるという。①セックスレス(超性別) ②エイジレス(超年齢) ③クラスレス(超階級) ④ボーダーレス(超国境) ⑤ルールレス(超規則)。生まれながらにしてジーンズが備えている「レス」が、ジーンズが老若男女、世界中で多くの人に愛され続けた理由と言えるだろう。
そもそも、働くための道具として考案されたジーンズ。当初ジーンズを中心にしたデニム衣料を使っていたのはほとんど男性で、女性が気軽に身に着けるようなアイテムではなかった。では、女性がジーンズをはくようになったのはいつごろからだろうか。同書には「第二次世界大戦がひとつのエポックとなるだろう。第二次世界大戦以降、ゆっくりとではあったが、女性たちの間でもジーンズが注目されるようになった」と書かれている。
リーバイス®︎が女性向けのラインである「レディー・リーバイス」を発売したのは1938年のこと。ロットナンバーは「701」。それは基本的なデザイン、ディテールはそのままに、シルエットを女性向けにしたものだったという。男性同様に女性たちがこのジーンズをはくようになったが、アメリカのヴァッサーカレッジで演劇を学ぶ女子大生たちもはいていたと書かれている。激しく動く演劇実習では床に直接座り込んだりもするので、ジーンズが適し、楽だったのだろう。いつの時代も若者たちは新しいモノを取り入れるのが早い。
男性用ジーンズと同じく、最初はその機能性から受け入れられたのだろうが、ファッションとして女性がジーンズをはくきっかけをつくったのは誰だろう。それはマリリン・モンローだろうと、同書でファッション評論家の出石は断言する。
『帰らざる河』(54年)で酒場の歌手ケイを演じたマリリンは、劇中でジーンズをはいて登場。遺作となった『荒馬と女』(61年)でクラーク・ゲーブルと共演をした際も、ジーンズ姿を披露する。グラマラスな彼女のボディに、見事にジーンズがフィットしている。世界中の男性がこの場面に注目したに違いない。ちなみにこの作品の舞台となったのはネバダ州のリノだ。ヤコブ・デイビスがリベットをキャンバス地に打ち付けたジーンズの故郷ともいうべき土地。これも何かの縁に違いない。
【続きはこちらから】ジーンズを女性にファッションアイテムとして広げたのは、マリリン・モンローだった?
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デニムの名品④ エドウイン「503 レギュラーストレート」

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もはや年間を通してはける定番となったホワイトジーンズ。どんなトップスにも合い、清潔感を感じさせるデニムアイテムの筆頭だ。ドレッシーにもカジュアルにも装うことができる。イタリア人たちはジャケットにタイドアップして、革靴とホワイトジーンズを合わせておしゃれを楽しむ。最近では男性よりも女性がホワイトジーンズをはくケースをよく目にする。
ではデニムの歴史の中で、ホワイトジーンズの登場はいつごろだろうか。
そもそもブルージーンズはアメリカ西海岸のサンフランシスコで生まれて仕事着のひとつとして着用されるようになったが、なかなか東海岸の人たちには普及しなかったと聞く。第二次世界大戦前はワークウエアの印象が強く、戦後になってもマーロン・ブランド主演の映画『乱暴者』(53年)に見られるように、ジーンズは不良少年がはくものと見られていた。そんな印象を払拭するべく、リーがホワイトジーンズの先駆けである「リー ウエスターナー」を発売したのが1959年。続いてリーバイス®︎は、61年に「ホワイト リーバイス」というラインを発表した。これはホワイトデニムだけでなく、ノンデニム、いわゆるブルーデニム以外のカラーを揃えたラインだったが、特に人気を集めたのは通称ピケ素材を使った「カリフォルニアンズ」。どちらのジーンズも純白に近いものではなく、生成りに近いカラーだった。
【続きはこちらから】「ホワイトジーンズ」はいつ登場し、定番アイテム化していったのか?
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デニムの名品⑤ リーバイス®︎「MADE IN THE USA トラッカージャケット 3rd」

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「ジーパン」「Gパン」と同じく、「Gジャン」も和製英語、つまり日本でつくられた言葉だ。英語では「デニムジャケット」、あるいは「ジーンジャケット」と呼ばれることが多い。ファッション評論家出石尚三が書いた『完本 ブルー・ジーンズ』(新潮社)によれば、ジーンズと共地のジャケットは「ウエスタン・ジャケット」とも呼ばれていたと書かれている。さらに「着丈の短い、ジャンパー形式のジャケット。原則としてシャツ襟、前開きボタン、両胸にパッチ&フラップのポケット、背中にヨークが付く。今日のウエスタン・ジャケットは、一九〇五年にリーヴァイ・ストラウス社が登場させた、九オンス・デニムの“ブラウス”が原型となっている。—中略—リーヴァイスが“ブラウス”に代えて“ジャケット”の名を採用するのは一九三八年以降のことである」(ブランド表記等は原文ママ)と、このジャケットの詳細を解説する。
出石氏が書くようにデニムジャケットは、ジーンズと同じくリーバイス®︎が1936年に発売した「TYPE Ⅰ」と呼ばれるジャケットがオリジナル。当初は薄手のデニムが使われていたことからか、ブラウスと呼ばれていたらしい。その後1953年には「TYPE Ⅱ」、1967年には「TYPE Ⅲ」と進化を遂げていくが、いずれもリーバイス®︎を代表するアイコン的なデニムジャケットになっている。
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デニムジャケットではなくトラッカージャケット? そのルーツと呼び方の変遷を振り返る
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デニムの名品⑥ ラングラー×F/CE.「127MW DENIM SHIRTS by F/CE.」

リーバイス、リーと並ぶアメリカの3大デニムブランドのひとつがラングラーだ。
ラングラーの母体となった会社は、C.C.ハドソンと弟ホーマーが1904年に創業した「ハドソン・オーバーオール・カンパニー」だと言われる。事業が拡大し、19年に「ブルーベル・オーバーオール・カンパニー」と社名変更、自社工場を建設するまでに発展した。自社で47年に発売したブランドが「ラングラー」。ラングラーとは「牧童」を意味していた。ブランドを立ち上げるときに協力を仰いだのは、当時ハリウッドの西部劇映画の衣装デザイナーであったロデオ・ベンで、彼は「13MWZ」という名作ジーンズをデザインする。
『デニム・バイブル』(グラハム・マーシュ、ポール・トリンカ、ジューン・マーシュ著 ブルース・インターアクションズ)には、1970年代にアメリカのデザイナー、カルバン・クラインが女優ブルック・シールズをキャンペーンガールに起用し、初めてデザイナージーンズをつくったと書かれている。しかしロデオ・ベンはそれよりも30年早く、デザイナーとしてジーンズを製作したことになる。余談になるが、ロデオ・ベンはウエスタンシャツのスマイルポケットやスナップボタンを考案した人物で、もともとはテーラーだったと聞く。
ラングラーのデニムはブランド名の由来通り、ウエスタンやカウボーイに因んだ特徴を多くもつ。ジーンズのリベットは鞍(サドル)が傷つかないように、表面から突起をなくしている。ウォッチポケットの位置も独特で、ウエストバンドのすぐ下に付いている。これは馬に乗って激しい動きをしても、中に入れたものが飛び出さないようにと考えられたもの。鞍に座った状態で楽なように股上も深くデザインされている。その「13MWZ」は、75年には全米プロ・ロデオ・カウボーイ協会から公式ジーンズとして認定されている。
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デニム3大ブランドの1つ、ラングラーの名品シャツをF/CE.が大胆にアレンジ!
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