襟を正して心ほどける神保町の灯台「兵六」。 今宵、入りづらい古典酒場へ...

襟を正して心ほどける神保町の灯台「兵六」。 今宵、入りづらい古典酒場へ!第2夜。

襟を正して心ほどける神保町の灯台「兵六」。 今宵、入りづらい古典酒場へ!第2夜。

どうしても、東京に行きたかった。同級生たちに比べて、1年遅れて高校を卒業した僕は一次志望の大学にことごとく落ち、浪人という選択を余儀なくされていた。しかし、一応は県内の公立では進学校だった生徒としては、浪人するなら九州の国立大学と言うのが暗黙の了解になっていた。

まずい、このままでは上京できない。僕は馴染みのない進路相談室を初めて覗いて、二次試験がある大学を探した。答えはすぐに見つかった、千代田区三番町!神保町に近い!
僕は、たった1軒の酒場のために人生を決めた。神保町、辞書の三省堂のほど近く、「兵六(ひょうろく)」だ。

九州の港町、唐津で育った僕は中学の頃から「現代詩手帖」や「ユリイカ」を愛読するいけ好かない少年だった。金子光晴を耽読し、当時発行されていた現代詩文庫を愛読した。その中でも、暗唱できるほど好きだったのが岩田宏の「神田神保町」だった。

「神保町の交差点の北五百メートル
52段の階段を25歳の失業者が思い出の重みにひかれて ゆるゆる降りて行く(中略)ここ 九段まで見えるこの石段で 魔法を待ちわび 魔法はこわれた」

主人公、伊達得夫の事務所は、今もそのまま残っている神保町でいちばん古い路地、「ラドリオ」や「ミロンガ」が並ぶ小路にあった。「ミロンガ」の2階に今も残る小さな部屋から、たくさんの良質な言葉が世に届けられた。
そして、薄暗いその小路を抜けると、嵐の夜の灯台のように黄色い提灯が見えてくる。兵六の灯りだ。

襟を正して心ほどける神保町の灯台「兵六」。 今宵、入りづらい古典酒場へ!第2夜。

大学に入り、暗唱していた詩の街に僕は昼休みも放課後も通った。古本屋を何軒か冷やかして、腹が減ると今は無き「いもや」や、「キッチン南海」、「スヰートポーヅ」に飛び込んだ。懐が暖かい時は、飯田橋に越した「おけ以」や「ランチョン」で酒を飲む。

だが、憧れの兵六だけは、なかなか1人では入れなかった。当時はまだ女人禁制、女子供が出入りする場所ではない。ある日、酒場で知り会った明大生のフラマン(フラットマンドリン)弾きに頼み込んで「兵六」の縄のれんを潜った。2つ上の彼は、若くして店の常連だった。その日から40余年、僕は未だ兵六という学校の末席に列を連ねる劣等生のままだ。

襟を正して心ほどける神保町の灯台「兵六」。 今宵、入りづらい古典酒場へ!第2夜。

「兵六」の初代、平山一郎氏は藤島武二が師事した四条派の画家平山東岳の子孫にあたり鹿児島に生まれている。後年、国際都市上海に渡り東亜同文書院に入学。諸氏と交流し、かの魯迅とも邂逅した。当時、大志を抱く青年たちは、小さな島国に飽き足らず大陸という荒野を目指した。今でも、兵六の縄のれんの上には、初代が敬愛した魯迅の詩と肖像写真が掲げられている。

「横眉冷對千夫指 俯首甘為孺子牛」
(眉を横たえて、冷やかに対す、千夫の指。首を伏せて、甘んじて孺子の為、牛とならん)。幾多の論敵の非難には、冷やかに眉を挙げて決して屈しないが、人民の為なら首を伏せ低姿勢で甘んじて牛になろう。
その決意のままに、安保闘争盛んな頃には、店に逃げ込んで来た学生たちを匿った。日本のカルチェラタンに兵六あり。いつか兵六は伝説の酒場になって行く。

敗戦後、無一文で引き揚げた初代は、氏の故郷である薩摩の芋焼酎、同じく九州の球磨焼酎、麦焼酎を1種ずつ並べ焼酎酒場を開く。現在の焼酎ブームからは想像し難いが、当時、ビールもなく乙類の本格焼酎だけを出す店など皆無だった。
つけあげ(薩摩揚げ)やキビナゴなど各種の薩摩料理と共に、炒豆腐(チャードウフ)や炒麺(チャーメン)、皮から手作りする餃子が並ぶのは上海時代の青春の名残だ。

世界一の古本屋街、出版社が立ち並ぶ街の中枢だったから、店にはたくさんの作家や詩人、編集者たちが集った。多少、敷居が低くなったとは言え、現代に通じる酒場の品格は当時から変わることはない。
うるさい客や酔っぱらいは容赦なく帰した初代、その伝統は現代の兵六を仕切る三代目の真人さんにも脈々と引き継がれている。

襟を正して心ほどける神保町の灯台「兵六」。 今宵、入りづらい古典酒場へ!第2夜。

「今すぐ帰ってくれますか!ウチには貴方に飲ませる酒は一滴も置いてありません」。
12月のある日、いつもは物静かな真人さんが電光石火の早業で、義経の八艘飛びの如くコの字カウンターを乗り越えたことがあった。
その男性が前に来た時、同席していた同僚が飲酒運転して帰ったらしい。当然、男性は車で来ていたことを知っていたはずだ。

「僕にも息子たちがいるんで、そんな酔っぱらいに轢かれたりしたら我慢できません」。
その時、真人さんの後ろに、いつも凛と座っていた初代の姿が見えたような気がした。

1988年に初代が亡くなった後、兵六は一時、その支柱を失って漂流した。
氏の子息や何人かのアルバイトのことごとくは、店と客たちに淘汰され、誰もうまくいかなかった。その時、ただ1人、初代の威厳と格調を店に呼び戻したのが真人さんだ。
真人さんは、初代の2回り下の弟の子。祖父ほど歳は離れているが、初代の甥になる。
そのまま、厨房は初代の次女である邦さんこと茅野邦枝さんが、高校時代からの親友と守り続けている。

襟を正して心ほどける神保町の灯台「兵六」。 今宵、入りづらい古典酒場へ!第2夜。
襟を正して心ほどける神保町の灯台「兵六」。 今宵、入りづらい古典酒場へ!第2夜。

コの字カウンターの中央で、真人さんは今日も背筋を90度に伸ばして静かに座り続ける。その姿は遠い昔にお見かけした初代の姿に生き写しだ。彼の姿勢に合わせて、丸木のベンチシートに座る客たちの背筋もいつか真っ直ぐ伸びて行く。
真人さんの頭上には、今では煙草の煙ですっかりセピア色になった(現在は禁煙)色紙、「兵六四戒」がある。

「他座献酬 大声歌唱 座外問答 乱酔暴論」
他の席の人にお酌をしない。大声で歌わない。他の席の人と議論しない。酔って暴論を吐かない。
今も昔も、兵六の秩序を守って来た「四戒」は、同時に1人で静かに酒を楽しみ、至福の時間を楽しもうとする客たちを守る盾でもあった。そのことは、つまり、常連にも一見にも一切のラインを引かないと言う店の証しでもある。

「四戒」の周りにずらりと並ぶ色褪せた色紙も、芸能人や食通たちのものではない。
林芙美子に、高村光太郎、壺井繁治、吉屋信子。どれもが昭和を代表する文人たちだ。林芙美子は「花のいのちは短くて」の名文句を慣れた字で書き、高村光太郎は細く角張った字で『智恵子抄』の一説を記している。

「秋が来て 友の差入れてくれた 林檎一つ掌(てのひら)にのせると 地球のように
重い」、思想犯として投獄された、詩人・壺井繁治が獄中で詠んだ詩を読むたび、いつも目頭が熱くなり、芋焼酎の杯が進む。
酒場とは身銭を切って学ぶ、男たちの学校だ。円周率も九九も、女たちの捌き方も習えないが、真っ当な人生で必要なものの殆どすべては、酒場の喧噪の中に、無造作に放り出されている。

襟を正して心ほどける神保町の灯台「兵六」。 今宵、入りづらい古典酒場へ!第2夜。

兵六は最も敷居が高い古典酒場の代表格だ。しかし、恐れることはない。実はここほど心が安らぐ酒場は、都内にいくつもはない。
芋のお湯割りは、予めガスで燗をつけ、小さな薬缶に入った白湯を添えて出される。ゆったりと自分好みの濃さで嗜む、「さつま無双」のお湯割りは極上の旨さだ。

暖簾を潜る時、とんでもない決意が必要な古典酒場は、その懐に飛び込んでしまえば限りなく優しく、いつか常連になりたいと思う場所ばかりだ。だから、勇気を出して新しい世界へ踏み出そう。もちろん、最上級の敬意と自尊心だけは決して忘れないように。歴史を刻み込んだ兵六のカウンターから、パラダイスの入口を覗いてみよう。

襟を正して心ほどける神保町の灯台「兵六」。 今宵、入りづらい古典酒場へ!第2夜。
襟を正して心ほどける神保町の灯台「兵六」。 今宵、入りづらい古典酒場へ!第2夜。

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