本誌では書けなかった裏エピソード

焦って訪れた知床は、容赦なく「冬」だった。

担当:副編集長I
世界遺産名:知床

11月下旬、取材チームの先陣を切るように、知床を訪れました。東京はまだ晩秋の時期でしたが、知床では冬支度がすでに本格化し、半島の横断道路も封鎖済み。12月に入ってしまったら、はっきり言って取材できるものはほとんどありません。冬の名物である流氷が訪れるのは、1月下旬。それを待っていては遅すぎます。北海道出身の編集Yにも「早く行かないとまずいんじゃないですか。どんどん取材できるところがなくなっていきますよ」と優しくアドバイスされる始末。追い立てられるように飛行機を手配し知床へたどり着いたのは、知床五湖が冬季閉園となる、まさにその日のことでした。人生で初めて訪れた憧れの知床は、しかし残念なことに急悪化した空模様によって、美しくも厳しい雪景色となっていたのです。

石川 焦って訪れた知床は、容赦なく「冬」だった。

シャーベット状の寒々しい知床五湖越しに、知床連山(の方向)を眺めて。

ウトロの町から除雪もままならない雪道を走破して着いたのは、上写真の知床五湖。
……おわかりになりますか? この霧の向こうに知床連山が並んでいて、私の希望的想定ではその麗しい姿を湖面に映しているはずでした。木道にもしんしんと雪が降り積もり、観光客の姿はもちろん皆無。これではヒグマだって姿を見せるはずがありません。 NYから訪日中のフォトグラファーY氏をここまで連れ出したにもかかわらず、“使える写真”が撮れる可能性がきわめて低い状況となり、「ごめんね、ごめんね」と言い訳がましく繰り返すしかありませんでした。

石川 焦って訪れた知床は、容赦なく「冬」だった。

知床五湖の高架木道。まるで地球以外の惑星に来たかのような雰囲気でした。

ひとの気配を感じない草原のまっただなかで感じたこと。それは、“最果ての地”知床は、ひとの営みにとっての限界地点でもあるのだということ。われわれが暮らす都会では、自然は人工的環境のなかでかろうじて保たれていますが、ここではむしろひとの営みを凌駕する圧倒的自然のなかで、人こそがかろうじて生かされているのです。……少し大げさな印象かもしれませんが、それは道中で会話にのぼった、火星に置き去りにされた宇宙飛行士を描いた映画『オデッセイ』のせいかもしれません。

石川 焦って訪れた知床は、容赦なく「冬」だった。

オホーツク海の潮がまじった、塩っぱい雪が吹き荒れていた「フレペの滝」。

その後に訪れたフレペの滝でも、通常なら片道20分ほどの散策路を太ももまで雪に埋まりながら彷徨うなど、都会に慣らされた軟弱な身体にはなかなかハードな取材でした。しかしわずか2泊の滞在で、圧倒的な野生の力を体感できたと思えば、かなり有意義なものだったと誇れるのかもしれません。