海外の日本車好きに訊く、僕らが古い日本車にはまった理由。【イタリア編②】

  • 写真:Frankie Vaughan
  • 文:Yuko Noguchi

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海外の人々にとって日本車は「輸入車」。そもそも自動車に対する価値観も異なる。我々とは違う古い日本車の楽しみ方を、「アメリカ」「イタリア」「イギリス」で探った。




このクルマは、ホンダの母のような存在なんだ。

マウリッツィオ・アンブロジェッティ/ミラノ(イタリア) 1948年ミラノ生まれ。70年代にラリーレースに熱中。100戦以上を戦い、73年にはイタリアンGTラリーチャンピオンを獲得。96年に「J.A.S. MOTORSPORT」を設立。ホンダのレーシングカー制作とサービスを行う。

「茂木にあるホンダコレクションホールでの出合いが始まりでした」とマウリッツィオは語り始めた。

実業家でもあり、ラリーに熱中していたマウリッツィオが、ツーリングカーレースの世界に足を踏み入れたのは1996年。「J.A.S. MOTORSPORT」を設立し、98年からホンダ・アコードで戦うようになった。マシンの制作からディストリビューション、サポートを行い、現在ではホンダのワークスチームも運営する。そんな彼はホンダレーシングの本拠地、栃木県茂木で見たオールドホンダに衝撃を受けた。

「僕も集めるべきだと思いました。N360をレストアし所有する。ホンダへの愛の証です」

自身とともに戦ったツーリングカーは社内の展示スペースに年代順にきれいに並べられている。世界選手権で見事優勝したクルマ、スタードライバーがハンドルを握ったマシン……。だがマウリッツィオにとってこのN360は、レーシングカーとは異なる存在。

「N360はホンダにとっての母のような存在。だから欲しかったのです」。マウリッツィオとホンダの深い仲は、レース以外でも続いていきそうだ。

レストアされたN360のインテリア。世界中でパーツを探しレストアを完了させた。

社内には歴代のレーシングカーの展示場がある。取材時にはトム・クリステンセンが運転したアコードに加え、13年にチャンピオンになったWTCCシビック(右)も置かれていた。

オフィスのミーティングスペースにはトロフィが並んでいる。1996年にフィアット・オート・コルセから支給されたアルファロメオ155DTMでチームを組織し、マシンのサポートを行ったのがツーリングカーの世界に入るきっかけ。98年からはマシンをホンダ・アコードにスイッチ。数々のレースで素晴らしい戦績を残してきた。2012年からはホンダのワークスチームとしてWTCCを戦っている。

こちらの記事は、Vマガジン Vol.02「世界に誇る名ヴィンテージ こんな日本車を知っているか?」特集からの抜粋です。気になった方、ぜひチェックしてみてください。アマゾンで購入はこちらから。