第10話 伊坂幸太郎から学ぶ、過程と結果の青くさい話。ーおいしい日本酒を支える和らぎ水の存在ー

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    おおたしんじの日本酒男子のルール
    Rules of Japanese sake men.

    絵と文:太田伸志(おおたしんじ)
    1977年宮城県丸森町生まれ、東京在住。東京と東北を拠点に活動するクリエイティブプランニングエージェンシー、株式会社スティーブアスタリスク「Steve* inc.(https://steveinc.jp)」代表取締役社長兼CEO。デジタルネイティブなクリエイティブディレクターとして、大手企業のブランディング企画やストーリーづくりを多数手がける他、武蔵野美術大学、専修大学、東北学院大学の講師も歴任するなど、大学や研究機関との連携、仙台市など、街づくりにおける企画にも力を入れている。文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品、グッドデザイン賞、ACC賞をはじめ、受賞経験多数。作家、イラストレーターでもあるが、唎酒師でもある。
    第10話
    伊坂幸太郎から学ぶ、過程と結果の青くさい話。
    - 美味しい日本酒を支える和らぎ水の存在 -

    名作『フィッシュストーリー』

    僕の好きな作家のひとりである伊坂幸太郎氏の作品で『フィッシュストーリー』という名作が存在するが、フィッシュといっても刺身や鮨の話はまったく出てこない。軽く概要にだけ触れると、ある青くさいバンドがつくった曲のおかげで命が助かる人物がいる。その人物がやがて子どもを産む。その子どもがある人物を……と、結果として世界を変えるという「風が吹けば桶屋が儲かる」的な連鎖反応が、天才的な構成力で組み合わされている名作である。

    いわゆるバタフライエフェクト。僕は小さい頃からずっと思っていたのだが、スーパーヒーローが世界を救う系の話は、そのスーパーヒーローがすごいというよりは、そのきっかけをつくったさまざまな要因がすごいなと感じている。桃太郎は桃太郎が凄いというよりは、赤ちゃんを包んでいた桃のサイズすげーな。であり、その重い桃を家まで持ち帰ったばあちゃんのパワーすげーなであり、赤ちゃんを避けて包丁を一発で入れたじいちゃんの技術すげーな。である。だからこそ桃太郎の存在があり、結果、鬼退治の成功という結果に結びついたのだ。

    『フィッシュストーリー』はまさにそれである。結果だけが重要なのではなく、その結果を導き出したさまざまな要因との、綿密な繋がりと過程を理解することが重要なのだと教えてくれる。今回は「あぁ、今日の日本酒はおいしかった」という結果につなげるために重要な過程である「和(やわ)らぎ水」について話そう。

    今宵の月のような和らぎ水

    くだらねえとはつぶやかないが、今宵もおいしく日本酒を飲めたなぁと、美しい月の光にやさしく照らされた帰り道を、気持ちよい夜風に吹かれて歩きながら思う。

    そもそも、こうやっておいしい日本酒を楽しめるのは、たまたまレアでおいしい純米酒がその店にあったからという結果だけではなく、めんどくさい話を広げてくれたお店の大将がいてくれたからであり、その店を紹介してくれた友人がいてくれたからであり、くたくたになるまで全力で挑める仕事があったからである。そしてなにより、日本酒を飲んでいる時は必ず「和らぎ水」を飲んでいたからといっても過言ではない。

    「日本酒を飲むと二日酔いになるしなぁ」

    ビールやサワーをたくさん飲めるはずの人がこんなセリフを言っていたら、和らぎ水の存在を知らない可能性もあるので教えてあげよう。和らぎ水とは日本酒と一緒にのむ水のことで、日本酒を飲む時は必ずその量と同等もしくはそれ以上飲むべきとされている。合間に水を飲むことで、胃腸におけるアルコールの吸収速度が穏やかになり、肝臓の負担を軽減できる。さらに言えば、アルコールの利尿作用によって脱水症状に陥りやすくなる身体への水分補給にもなる。日本酒を飲むときは和らぎ水も一緒に。これはきれいごとではなく、日本酒男子の常識である。

    リズムを染み込ませよ

    和らぎ水には別の効果もある。飲む酒の種類を変えるタイミングで水を飲むことにより、口の中がリフレッシュされ、次の一杯にまた集中できるのだ。そう、僕は単にリスのモノマネをするためではなく、一杯ごとに日本酒を最大限に味わうため、蔵人の努力へ感謝と敬意を膨らませながら、和らぎ水でほっぺを膨らませているのだ。酒、リス、酒、リス、酒、のリズムを体に染み込ませてほしい。

    ちなみに、日本酒自体の成分の約80%は水といわれている。ゆえに、おいしい日本酒つくるためにはそもそも、おいしい水が必要だ。酒づくりに使われる水のことを「仕込水」と呼ぶが、実は居酒屋のこだわりが強かったり蔵元と仲がよかったりすると、この仕込水を和らぎ水として店で出している場合がある。そもそも水に自信がないと仕込水を提供なんてしないんだろうなぁ、と思うほど、どの酒蔵の仕込水もうまい。店で見つけたら「とりあえずビール」の前に「とりあえず仕込水」である。

    また、水は硬水、軟水、すなわちカルシウムとマグネシウムの含有量などが地域によって差があるため、酒の好みは水の好みが大きく影響しているのではないかとも思える。「水が合う」という言葉があるが、東北の酒を飲むと純粋な味だけではなく、なぜか身体が安心する感覚になるのは水が合うせいなのかもしれない。いま思えば上京したての1カ月ほどは、シャワーを浴びる度に肌がカサカサになっていたのだが、地元の酒蔵の仕込み水を沸かした風呂に入っていたら、しっとり潤っていたのだろうか。いや、そんな昔話はもう水に流そう。

    心地よい嘘よりも青くさい真実を

    さて、『フィッシュストーリー』は先述したとおり、結果ではなく過程の物語。結果が起きるためには必ずそこに至る過程があり、さまざまな小さな要因が繋がる必要がある。伊坂さんは小説のあとがきにこの作品を「長い時間と場所を漂う物語」と表現していたが、まさにどのエピソードが欠けていても、壮大なラストシーンにはたどり着かない、緻密な時空を超えたパズルのような作品。

    2009年に公開された映画版も最高だ。多部未華子の初々しさも爽やかでよいが、バンドのボーカル役の高良健吾が最高によい。小説では活字だった青くさい言葉がさらに青くさく、静かに、悲しく、切なく、けれど心の底からの憤りと怒りと魂を込めて正論をぶつけている。世の中はたとえ嘘だとしても、自分にとって心地よい響きの言葉であれば人は簡単にそっちに惹かれてしまったりする。正論ばかりじゃ損をする。そんなことはわかっているけど、やっぱり俺らは青くさく正直に生きたいんだ。そんな強い想いをヒリヒリと感じる名シーンである。

    第9話で話した通り、僕は青くさいネギは苦手だが「青くさく正直に生きる」ことには大賛成である。不器用に青くさく生きているやつと、青くさい話をしながら飲む酒なんかは最高だ。フィッシュストーリーとは英語で「ホラ話」という意味だが、伊坂氏はきっと小説というフィクションの世界でありながらも、嘘ではなく本当のことを追い求める大切さを伝えたかったのではないだろうか。あなたがもし居酒屋で、こいつは本気だな。本当の思いをしゃべっているなと思ったら、和らぎ水をたくさん飲みながら、もう少しだけ長い時間、青くさい話を聞いてあげてほしい。そいつのその経験が、いつか世界を変えるきっかけになるかもしれないのだから。もしかしたら、あなた自身にとっても。