第9話 ネギ抜きと言ったはずなのに、なぜネギが入ってしまうのか。ー日本酒で辛口好きな人が多い理由に迫るー

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    おおたしんじの日本酒男子のルール
    Rules of Japanese sake men.

    絵と文:太田伸志(おおたしんじ)
    1977年宮城県丸森町生まれ、東京在住。東京と東北を拠点に活動するクリエイティブプランニングエージェンシー、株式会社スティーブアスタリスク「Steve* inc.(https://steveinc.jp)」代表取締役社長兼CEO。デジタルネイティブなクリエイティブディレクターとして、大手企業のブランディング企画やストーリーづくりを多数手がける他、武蔵野美術大学、専修大学、東北学院大学の講師も歴任するなど、大学や研究機関との連携、仙台市など、街づくりにおける企画にも力を入れている。文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品、グッドデザイン賞、ACC賞をはじめ、受賞経験多数。作家、イラストレーターでもあるが、唎酒師でもある。
    第9話
    ネギ抜きと言ったはずなのに、なぜネギが入ってしまうのか。
    - 日本酒で辛口好きな人が多い理由に迫る -

    ネギ嫌いは肩身がせまい

    僕は立ち食いそば屋が好きだ。高級なそば屋でなくて良い。駅の構内にあるようなちょっとした立ち食いそば屋である。注文は概ね月見そば。あの、美しい正円の黄身を箸で優しく上から押して、つゆにふわりと浸す瞬間は、アポロ11号が月面にふわりと着陸し、人類史上初めて月面に降り立った船長、ニール・アームストロングが言ったあのセリフをいつも思い浮かべる。「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩だ」と。

    そんな偉大なシーンに水をさす出来事がある。「ネギ抜きでお願いします」注文時に確かにそう言ったのに、ネギが入っているという奇妙な現象である。頭に浮かぶのは「NASA」ではなく「NAZE?」の4文字である。ネギ好きの方は信じられないかもしれないが、僕の経験上、実に50%ぐらいの確率でネギを入れられてしまうのだ。時には、そば屋のおばちゃんに「あぁ、はいはい」と、月の重力よりも軽いノリで、ネギを入れた後に取り除いたりされる。そうなるとやっかいである。つくり直すと言われても「もったいないので、よいですよ」と、苦手なネギ香が口内に広がるのを感じつつ、文字通りほろ苦い思いで余裕のある男を演じてしまうほど、ネギ嫌いは肩身が狭い。

    今回のテーマは「いや、太田さんはおいしいネギを知らないからですよ」という議論をしたいのではなく「ネギ嫌い」だけどそばが好き。そんな存在も認めてほしいという話。生物多様性の時代、「辛口の日本酒は苦手です」と、はっきり言う人がいてもよいのだ。

    日本酒一大勢力の辛口派

    日本酒はやっぱり辛口じゃないとね。と言う人は圧倒的に多い。日本酒好きの多様性を考える前に、まずはこの辛口人気の秘密は、いったいなんなのかという点を掘り下げてみたい。

    私の父はウイスキー派だが、日本酒を飲むときは決まって辛口だと言う。調べてみると、どうやら父に限らず、あの世代には特に辛口好きが多いようだ。その秘密は、戦後の米不足の時代に三倍増醸清酒(さんばいぞうじょうせいしゅ)、いわゆる三増酒(さんぞうしゅ)と呼ばれる酒が多く出回っていたことに紐づく。これは米と米麹に、水で薄めた質の悪い醸造アルコールを加え、水飴や調味料などで無理やり味を整えようとしたもの。こうしてできた酒は、本来の量の約3倍に増量されているためこう呼ばれていたらしい。

    三増酒は、水飴などの糖類を加えた甘ったるい味が多かったため「甘い酒=悪い酒」といったイメージが定着。日本酒は悪酔いする、息が臭くなる、甘ったるいという偏見や誤解が増えたのもその影響が大きかった。その反動として、ビールの辛口ブームが始まった1980年代頃から、日本酒も辛口じゃないとだめだ!という流れが始まり、いままでその流行りが続いている説が有力なようである。

    辛口派はバブル期に生まれた

    そして時代はバブルへ突入。ポストモダンという言葉が時代の象徴となり、あらゆるジャンルにおいて重厚感や深みのようなものよりも、軽快なものを求める1980年代のバブリーな空気が「端麗辛口」と呼ばれる爽快感を求めていったのかも知れない。当時のテレビ番組『トゥナイト2』の山本晋也監督の軽快なリポートと語り口を観る度に、東京の軽やかな雰囲気に憧れていたのを覚えている。東北の田舎にいた思春期の僕に軽快な流行の風を浴びさせてくれた監督も、ジュリアナ東京の扇子の風を浴びながら辛口の日本酒を頼んでいたのだろうか。

    「ん?えーーー、、、ちょっと待ってくださいよ」

    と、バブル期に活躍した名探偵、古畑任三郎ばりにここで疑問が生まれる。そもそも「辛口」が流行った原因である三増酒は、戦後の事情が影響していたから生まれたもの。現代の日本酒は、そのような粗悪な品質のものは流通していない。さらにここ数年は特に日本酒の質は上がっていると言われている。時代は変わったのだ。もし、戦後の粗悪なつくりをしていた三増酒が、日本酒に対する偏見や誤解の原因なのであれば、認識も新しく変えなければならないだろう。ビールだって辛口だけが好まれるのではなく、麦芽そのもののコクや旨味も好きな人が多い時代。ビールの原材料である麦芽の味に興味を持ついうことは、日本酒だって原材料であるお米本来のコクや旨味に興味を持つ者がいたって良いのではないか。という推理も成り立つ。

    だから僕は月へ挑み続ける

    つまり、辛口好きには2種類いるのだ。「辛口だけがよい酒だ」と誤解したまま断定してしまっているタイプと、すべて理解した上で「やはり辛口が好みかな」と選択して言っているタイプ。前者にはぜひ現代の卓越した酒づくりの技法を駆使して、米の旨味を最大限に引き出した芳醇な甘みを感じる日本酒を味わってみてほしい。先述したが最近の日本酒のレベルは非常に高く、若手蔵元の活躍も素晴らしい。ぜひ、新しい時代の「旨口・甘口」を体感した上で「辛口派」かどうかを選んでほしいのだ。

    誤解がないようにしたいので改めて言うと、逆に辛口派が悪いわけではない。僕自身も、友人との長話が続く日は、水のように長く飲み続けられる辛口に後半切り替えることが多い。辛口しか飲まない方に伝えておきたいのは「甘口が好きです」という、日本酒甘口派のほうが日本酒のことを理解している可能性もあるということだ。辛口派も甘口派もお互いを否定するのではなく、あらゆる可能性を想像し合った上で、お互いの好みを認めていくことが、新しい時代の日本酒文化をつくっていくと言っても過言では無い。

    ちなみに、僕のネギ嫌いも偏見や誤解から生まれたものではなく、いろいろと試した上で、どうやら僕はネギの味が好みではないという結論に達したものなのだ。カフェイン抜きのコーヒーだって、ニンニク抜きの餃子だってある時代。もうちょっとそば屋のおばちゃんも優しくしてくれてもよいのになぁと、甘ったるいことをぼやきながら、アームストロング気分で月見そばを味わいに、またそば屋へ足を運ぶ。