毛糸が繋いだ宮城・南三陸の復興とは? ニットブランド「テトリコット」の...

毛糸が繋いだ宮城・南三陸の復興とは? ニットブランド「テトリコット」の活動に迫ります。

毛糸が繋いだ宮城・南三陸の復興とは? ニットブランド「テトリコット」の活動に迫ります。

宮城県南三陸町の海。訪れた時は雨天で、湾から広がる海が雲で覆われていました。

今年6月、初めて宮城県北東部に位置する南三陸町に行ってきました。南三陸町は、8年前の東日本大震災で被災し、甚大な被害を受けた町です。

伺った理由は、山形県寒河江市にある佐藤繊維の社長、佐藤正樹さんからのお誘いがあったからです。
佐藤繊維は、世界の一流ブランドに認められた独自の糸づくり、製品づくりで有名な会社です。何度か取材にお邪魔したことがありますが、寒河江市に工場を構えるだけでなく、「GEA」という、洒落た服や雑貨のショップ、地元の食材をふんだんに使ったレストランまで構え、新しい日本のものづくりを目指し、実現した会社であり、佐藤さんはそれを指導した人物です。

その佐藤さんが今度、岩手県盛岡市に本部を持つボランティア団体「ハートニットプロジェクト」とコラボレーションし、さらなる復興を目指して、南三陸町で手編みの製品づくりをスタートさせることを知り、その日、佐藤さんらと、「アミマー」と呼ばれる毛糸を編む女性、「ハートニットプロジェクト」を始めた中心メンバーのひとり、岩手県在住の松ノ木和子さんが一堂に会すると聞き、同行することをお願いしたのです。

佐藤さん、松ノ木さんによれば、8年前、三陸の被災地には、まず食が届き、衣がもたらされ、暖をとる場所が徐々に確保されるようになったそうです。瓦礫の片付けなどに忙殺される日々が続きますが、その中で何か「心の癒し」に繋がることが必要と、女性たちに声をかけこのプロジェクトがスタートしました。「編んでいる最中はいろいろなことを忘れられて夢中になれる」と被災地の女性の言葉がヒントになったそうです。

口コミ、ブログなどで賛同者を募ると多くの毛糸が集まり、それを小分けにし、編み棒、編み図と一緒にボランティアのメンバーが各地に届けたそうです。その活動は8年も続き、三陸の女性たちは編み物(手編み)を仕事にできるまでに技術が向上したことで、次のステージに進むべく、今年5月に「ハートニットプロジェクト」のボランティア活動は、発展的に解散しました。

毛糸が繋いだ宮城・南三陸の復興とは? ニットブランド「テトリコット」の活動に迫ります。

南三陸町に伺った時に地元の公民館に集まっていただいたメンバー。この公民館は、被災した時に避難所として使われた場所です。

佐藤さんが今回のコラボレーションで考えたのが、ボランティアではなく、フェアトレードです。被災した人たちに安定的に仕事を発注し、継続的に続けてもらえる環境をつくり、彼女らが自立することこそ、本当の「復興」に繋がると考えたのです。

「同じ東北を拠点にするものとして、まずは三陸の方たちと繋がりたく進めていきますが、東日本大震災に限らず各地に起こっている災害を風化させないためにもこのプロジェクトを進めていきたい。まだまだ三陸でこういうことをやっていることは知られていないんです。“私も編みたい”という人がもっと増えてくれればいいと思います」そう佐藤さんは語ります。

佐藤さんは今回のプロジェクトのためにブランドまで立ち上げました。ブランド名は「テトリコット(Tetricot)」。日本語の手(te)とフランス語のニット(tricot)を掛け合わせた造語で、「tri」は、ラテン語で「3」を意味します。「三陸」を連想させるとともに、「佐藤繊維」「アミマーの皆さん」を引き合わせた「ハートニット」の3者を意味し、その3者が手を取り合うことで生まれたブランドと佐藤さんは話します。

毛糸が繋いだ宮城・南三陸の復興とは? ニットブランド「テトリコット」の活動に迫ります。

南三陸町のアミマーさんによって手編みされた「テトリコット」のニットキャップと手袋。いずれも¥13,000(税別)でこの秋冬から販売されます。
Photo:Takahiro Idenoshita

世界中のウールを知り尽くす佐藤さんが「テトリコット」のために選んだのが、ウルグアイ産のウールです。それも工業的につくっているものではなく、農家の人たちが自分たちのために取っておき、馬の上の敷物や絨毯などを編むために使うウールです。染色せずにすべてナチュラルカラー。白と茶がオリジナルで、2色を混ぜてベージュの糸にしています。その原毛を昔ながらの英国式で紡績し、ぬくもりとふくらみが感じられる糸に仕上げています。この糸を使い、手編みで製品はつくられるのです。

「家事をしながら編んでいます。9時半からお昼まで編んで、午後も編んでいます。夜もやるときもありますよ」とアミマーのひとり、諏訪ふじ子さんは話します。佐藤さんが用意した糸に合う、編み棒がなかなか手に入らないのが目下の悩み。全国的にも手芸店は減少しているが、南三陸町にも編み棒を扱う店はありません。
「プラスチック(の棒)は汗をかくと滑らなくなるんです。やはり竹じゃないと」と諏訪さん。諏訪さんはお婆さんから編み物を習い、学校に上がる前から見よう見まねで編み物をやるようになりました。

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アミマーさんのひとり、諏訪さんが手袋を編む様子を実演してくれました。こんな太い編み棒を使って丁寧に編まれています。

そんな彼女らでも販売するための製品づくりは簡単ではありません。
「何回もやり直しましたよ。なかなかきれいにいかないんです。指の部分は難しい。みんな四苦八苦しながら。でも皆さん、本当に飽きないでやってくれました」
アミマーのひとり、西城たえ子さんは編み上がった手袋を手にしながら話します。手袋の場合、手首のゴム編み部分は毛糸を8本どり、そのほかの部分は6本どりで編んでいます。
「8本どりの糸がよれてすぐに1本のようになってしまうんです。これには泣きました」と諏訪さん。

私もよく覚えていますが、昔はどの家庭でも家でセーターやマフラーを編んだもので、私も母が編んだセーターをよく着ていました。佐藤さんは「世界でいちばん、編み物をする人が減少しているのが日本」と話します。
佐藤さんによれば、日本国内で、手編みで製品をつくることは皆無だそうです。そうした製品を以前は中国に頼っていたそうですが、今では中国でも難しくなっています。今回はあえて難しいプロジェクトに挑戦、それが継続的な復興につながればいいと考えたわけです。

「ゆくゆくはケーブル編みのセーターも作りたい」と話す佐藤さんですが、今シーズンの「テトリコット」は、小さなアイテムからスタートします。
手編みのミトン1型3色と、キャップ1型3色の2型の展開で、価格はそれぞれ¥13,000(税別)です。佐藤繊維直営ショップ全店と、このプロジェクトに賛同していただいたショップで販売されるそうです。

毛糸が繋いだ宮城・南三陸の復興とは? ニットブランド「テトリコット」の活動に迫ります。

サンプルを前にアミマーさんたちと製品化に向けて話し合う佐藤繊維の佐藤正樹さん。

私が南三陸町に初めて行って感じるのは、まだまだ復興は終わっていないということです。「南三陸さんさん商店街」には観光する人たちが訪れていますが、土地のかさ上げ工事もまだ終わっていません。このプロジェクトに限らず、まだまだ応援すべきこと、考えなければいけないことはたくさんあると実感しました。
今回のプロジェクトにご興味ある方はぜひ、佐藤繊維/Sato-S2プレスルーム(TEL.03-6805-0383)お問い合わせください。