ブランドが持つ世界観には、ランウェイやブティックを眺めるだけでは見えてこない奥深さがある。本国を訪れ、現地の空気に触れることで、歴史や伝統、クラフツマンシップ、時代に応じた軽やかな感性を目にできる。
フェラガモの創業は約100年前。靴工房から出発し、ウエア、バッグ、シルク製品、アクセサリーまで事業を拡大させた。さらにグループとしてはホテルやワイナリーも展開。特筆すべきは、多岐にわたる事業にいまなおファミリー経営で取り組み、伝統的な職人技が息づく〝メイド・イン・イタリー〟を貫いていることだ。
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宮殿を丸ごと‟本社”にしたフェラガモ
本社はイタリア・フィレンツェに立つ宮殿の中。まずはこの地で100年近く営み続けるブランドと、古都フィレンツェの伝統・文化との関係を探る。
フィレンツェの玄関口であるサンタ・マリア・ノヴェッラ駅から徒歩10分ほどに位置する、1289年に建てられた「パラッツォ・スピーニ・フェローニ」。驚くべきは、この宮殿をフェラガモがまるごと所有しており、1階にブティック、地下1階にミュージアム、2階以上のフロアには会議用のホールなどが入っていること。
1938年にブランドの創業者サルヴァトーレ・フェラガモが宮殿の一部を接客や製造の場として借り、のちに全館購入。いまなお、本店や本社として機能させているわけだ。フェラガモはフィレンツェのウフィツィ美術館が所有する作品の修繕に関わったり、名所であるネプチューンの噴水の修復費用を寄付したりと、地元の文化保護にも貢献。フィレンツェの中心に立つ歴史的建造物に本社が入っていることは、街とブランドの関係を雄弁に物語るかのようだ。
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ハリウッドスターに愛され、フィレンツェで活躍した創業者
ミュージアムでは毎回ファッションやアートをおもな軸に、さまざまな展覧会が企画される。現在開催されていたのは、創業者の生涯に焦点を当てた特別展。当時の写真やアーカイブ品、製作資料などが膨大に展示されている。イタリアの田舎町に生まれたサルヴァトーレは16歳でアメリカに渡り靴づくりの経験を積むと、身体バランスを整える靴について考える。そこでカリフォルニア大学で人体解剖学、化学工学、数学などを学び、重心がかかる土踏まずのアーチについては特に熱心に研究を重ねた。この経験が、美しさと快適さを両立させた靴づくりという、ブランド哲学の礎となった。
そんな彼が映画産業で沸くハリウッドでショップをオープンさせると、業界関係者の間で評判を呼び、〝スターの靴職人〟と称されるまでに。しかし、ハリウッドで成功を収めた後、より高い品質を求めて拠点を移す決意をする。そこで選んだのが、優秀な職人が多く集まるフィレンツェだった。研究熱心な姿を垣間見る一方、展示されている仕事からは奇才ぶりもうかがえる。第二次世界大戦中の物資不足で牛革の入手が困難になると、魚やカエルの皮、セロハンのキャンディーの包み紙などあらゆるものをアッパーに用いた。
また、斬新なデザイン性を体現した一足が、1947年に生まれたインビジブル・サンダルだ。当時としては画期的なナイロン糸を採用。その名の通り〝見えないサンダル〟として、アメリカのファッションの最高峰ニーマン・マーカス賞を受賞した。
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伝統の保管庫から、革新が生まれるフェラガモのアーカイブ
フェラガモのファクトリーである「マノヴィア」から階段を上ると、数々のアーカイブが厳重に管理された部屋へとつながる。創業から現在にいたるまでの、1万5000足以上のシューズ、1000点以上のウエア、1万点以上の写真や文書の記録が揃っている。
ユニークな素材づかいや構築的なシルエットで評価の高い現クリエイティブディレクターのマクシミリアン・デイヴィスも、コレクション制作時にこの部屋を訪れ、貴重なアーカイブを参照して新作を生み出しているという。創業者やブランドの歴史に対する敬意を感じ取れる。伝統文化やクラフツマンシップを通じてフィレンツェの街を愛しながら、時代に合わせて新たなものづくりに挑むフェラガモの姿勢は、このようにして脈々と受け継がれている。
