世界中の山野を駆け回り、世にも珍しい樹木を集めて回る“プラントハンター”として知られる西畠清順は、植木の産地として500年以上の歴史がある大阪府池田市で、江戸時代末期から続く植物問屋に生まれた。高校卒業後に海外で留学や放浪の旅を経験した後、自然な流れで家業に入った西畠は、代々希少な植物を扱ってきた先達の足跡をたどりながらも、すぐに自身のスタイルを確立していった。
植木の調達においても、甲子園を目指して白球を追いかけた高校生のころと同じように、ひとつの道を極めることに心血を注ぎ、情熱を燃やした西畠は、誰にも真似のできない仕事を求め、世界へと目を向けるようになる。
「自分が標的とすべきものを見つけるのに、そこまで時間はかかりませんでした。世界中で生命の樹として親しまれているオリーブの、樹齢1000年を超える大木を目の前にしたときに、ただただそのかっこよさに圧倒されたのと同時に、こんなオリーブを日本に持ってきた人はいないだろうし、それを自分の手で成功させてみたいと思いました」
スペイン南部のアンダルシアから、瀬戸内海に浮かぶ小豆島まで、樹齢1000年のオリーブを移植するプロジェクトを任された西畠は、職人仲間からの「絶対に不可能だ」という言葉を見事にはねのけ、海路約10,000キロ、約1カ月の旅路を経て、2011年の3月15日に植樹を成功させた。
「奇しくも東日本大震災の直後というタイミングだったのですが、樹齢1000年のオリーブの樹を植樹するにあたって、地元の人からはすごく感謝されて、さらに報道で植樹のことを知った人たちからも全国からたくさんのコメントが届いたんです。これまで、僕自身はただ植物を届けているだけのつもりだったのに、植物と一緒にメッセージを届けているんだな、植物ってものを言うんだなっていうことを、植樹式で地元の氏神さまからご祈祷をいただいているときに実感しました」
その出来事がターニングポイントとなり、西畠は仕事のステージを植物問屋からさらに引き上げていくために、仕入れ、輸入、設計、施工、搬入などを一貫して行うそら植物園を立ち上げ、家業からの独立を果たした。
「最初のフェーズが、愚直に植物を届ける問屋だった20代。次のフェーズが、植物を使ったありとあらゆるプロジェクトに対応するそら植物園を立ち上げて、社会に対して貢献していくことを目指した30代。そして40代となったいまは、もっと個人としての活動に力を入れながら、僕がもっている植物の知識や、地球上で一番重要なエレメントである植物がもつポテンシャルを、最大化していこうとしている第三のフェーズに進んでいます。その中には、3Dでスキャンした植物のデータを活用するプロジェクトがあったり、公園づくりに特化したプロジェクトがあったり、微生物に関わるものがあったりと、土の香りがする仕事をしているのに、世の中の最先端のところとどう接続しながら、どう掛け算をしていくのかということを考えていくことが、いまはとてもやりがいがあって面白いです」
植物問屋の枠に留まらず、世界中のありとあらゆる植物を介した社会的な活動を展開しながら、多角的に未来を創造していこうとする西畠清順の仕事は、これからもさまざまなアウトプットで世界を魅了し続けていくことだろう。