島根県から北へ40~80㎞ほどの、日本海に浮かぶ美しい島々・隠岐諸島。約180の島々と4つの有人島から成るこの場所は、2013年9月に世界ジオパークに認定された。約600万年前の火山活動によって生み出されたこの地は、太古の昔からの大地の変遷を眼前にする貴重な地質資源や、特異な環境が育んだ独自の生態系、そして神楽などの伝統文化や島ならではの祭りが、いまも鮮やかに息づいている。今回は大阪から隠岐を訪れた滞在レポートをお届けする。

隠岐と聞いて思い浮かべるのは、どんなことだろうか。海に囲まれた自然豊かな離島というのはもちろんだが、かつて後鳥羽上皇や後醍醐天皇が配流された遠流の島々というイメージが強く、漠然といまも遥か遠くの場所かと思っていた。しかし大阪・伊丹空港から毎日1往復する直行便で、わずか50分ほど。意外にもあっという間に、島後の隠岐世界ジオパーク空港に到着した。
しかしそこはまったくの別世界。空港近くの青々と広がる台地には放牧された牛がのんびりと佇み、背後には険しい山々が連なっている。澄み渡った風が吹き、コンクリートジャングルの都市よりも気温はずいぶんと涼しい。
4つの有人島のうち、西ノ島と知夫里島(ちぶりじま)、中ノ島を合わせて「島前(どうぜん)」、最も大きな隠岐の島町を「島後(どうご)」と呼び、人々はフェリーや高速船に揺られ島々を行き来している。東京から向かう場合は、伊丹空港のほかに出雲空港を経由することもできるので、旅の初日と最終日は空港のある島後・隠岐の島町を巡るのがお薦めだ。
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畏敬の念が湧く、荘厳な自然に出会える隠岐の島町

空港を出てクルマを走らせると、既に梅雨も過ぎているというのに、そこかしこに美しい紫陽花が咲き誇っている。驚くことに隠岐諸島では、年間を通じて紫陽花が咲き続ける場所もあるという。それだけではない。ここでは寒冷地を原産とする北方系のハマナスや、山地に多いクロベ、そして温暖な地域で育つ南方系のナゴランなど異なる環境で育つはずの植物たちが、温かな海辺で共存しているのだ。
この不思議な植生の理由は未だ解明されていないが、約10万年周期で地球が寒暖期を繰り返したことに起因する可能性があるという。氷期に本州と地続きになった隠岐は、海流の影響で本州よりも温暖だったため、植物は寒さから逃れるように隠岐へと移動。約1万年前の温暖期に海面上昇によって再び離島になり、植物は適応したのではないかといわれている。
そんな自然の神秘的な力を感じるのが乳房杉(ちちすぎ)・かぶら杉・八百杉・窓杉からなる「隠岐四大杉」だ。隠岐最高峰・大満寺山のうっそうとした森の中。クルマを停め歩いて行くと突然、空気が変わった。ひんやりとした冷気が立ち込める先に、圧倒的な存在感で目の前に現れたのは、乳房杉だ。
大小24もの枝が垂れ下がり、雨風が吹きすさぶときも日照りが続く日も、この山とともに生き続けてきた歳月が窺える姿。その神々しさは、古来より樹木そのものに神が宿るとされる“巨木信仰”が育まれてきたことも頷ける。

一方で県道316号線の中村川沿いに何気なく佇むのが、かぶら杉だ。樹齢は約600年、根本から幹が複数に分かれる有り様は、隠岐の気候に適応するために進化したといわれている。そんな貴重な樹木が、ごく当たり前の景色として人々の生活圏にある距離感も、隠岐の面白いところだ。
そして樹齢1000年以上といわれる国指定天然記念物の八百杉は、玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)の境内に鎮座している。かつて人魚の肉を食べ不老不死になった比丘尼が神社に参詣した折、800年後の再訪を約束し、この杉を植えたという伝説から名が付いた。いまではその逸話を遥かに凌ぐ歳月を経ているのだから、この八百杉はまさに生ける伝説。脈打つような幹の文様はこの杉の生命力を物語っていた。


玉若酢命神社のほかにも隠岐諸島には100社を超える神社があり、地域に根差した文化や祭り、信仰を守る拠り所となってきた。なかでも日本の滝百選にも選ばれた壇鏡の滝(だんぎょうのたき)は、古よりこの水を飲むと勝負事に勝つといわれている。滝が流れ落ちる岩壁には侵食によって生まれた洞穴があり、そこには壇鏡神社の本殿が建立され、それらすべてが信仰の対象となっている。雄滝と雌滝のふたつからなる壇鏡の滝が勢いよく水しぶきを上げるさまは、清らかで壮観だ。
この場所では滝だけでなく、約550万年前の火山活動により噴出した粗面岩など貴重な地質資源を間近に見ることができる。この島が育んできた大地や生物、そしてここで暮らす人々の文化や歴史は、すべてひと続きにつながっている――。“ジオパーク”とは地質を望むだけには決して留まらない。隠岐が抱く多面的な魅力に、初日から強く惹かれていく。

隠岐諸島ならではの自然をアクティブに満喫するなら、マリンスポーツも選択肢に挙がるだろう。隠岐の島町では南西部に位置する海洋スポーツセンターを拠点にシーカヤックやSUPを楽しめるプランや、北西部にある国指定名勝の布施海岸で奇岩を眺めるツアーなどさまざま。小回りの利くカヤックで海を漕ぎ進めば、火山噴火により生まれた溶岩洞窟や、波の侵食によってつくられた独特な海岸線、アルカリ流紋岩の白い岩肌など迫力の光景が眼前に迫って来る。
これらのマリンスポーツは知夫里島や中ノ島、西ノ島でもそれぞれ異なる体験ができるので、目的やスケジュールに合わせて選びたい。

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厳しくも温かな大海原に抱かれた、絵画のような絶景を望める西ノ島

島後をめぐった翌日は、島前へ。まずは隠岐の島町の西郷港から、西ノ島町の別府港へ向かった。フェリーで約1時間半の移動もデッキに出て潮風を浴びながら景色を眺めたり、船内で読書をしたりと、ただそこにいることを楽しめるのは、非日常を感じさせる船旅ならでは。
この島を訪れた目的は、隠岐を代表する絶景スポット・摩天崖(まてんがい)だ。別府港からクルマを走らせること25分。高台の頂に辿り着いた瞬間、その雄大な眺望に言葉を失った。まさに断崖絶壁。切り立つような荒々しい崖と、すべてを包み込む紺碧の大海原。その美しいコントラストに圧倒される。
摩天崖とは高さ257mを誇る日本有数の海蝕崖のこと。日本海の波濤と吹きすさぶ季節風にさらされ続け岩壁の侵食が進み、何百万年もの歳月をかけて今日の荒々しい絶景になったと思うと、なんだか感慨深い。そしてその様とは対照的に、崖上には穏やかな牧草地帯がどこまでも広がっている。牛や馬がこの広大な草原を気の向くまま散策し、草をついばみ、のんびりと過ごす姿を、佳景を背に見られるのだ。
ここで生まれ育った子牛は、各地に運ばれそれぞれの地域のブランド牛となったり、隠岐牛となっていく。潮風を浴びてミネラルを豊富に含んだ牧草を食べ、自然が育んだ傾斜地を気の向くままに歩くことで、ストレスなく筋肉質で良質な牛が育つのだ。大海原は厳しさだけでなく、絵画のように美しい景色や豊かな恵みをもたらしてくれる。大地の軌跡と、自然に寄り添ってきた人々の暮らしが織り成すこの眺めは、得も言われぬ美しさが漂う。

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島の恵みを感じる離島ならでのグルメと、雄大な眺めを堪能できる知夫里島

西ノ島から島前を行き来する内航船「いそかぜ」に乗って約20分。隠岐諸島の有人島のなかで最も小さな知夫里島・来居港に到着した。人口600人ほどのこぢんまりとした離島ながら、島の恵みをふんだんに使った本格派フレンチを楽しめると聞きつけ「シェ サワ」を訪ねてみた。
昔ながらの古民家の趣を残すレストランでは、シェフの里野モミイチと自家農園を手掛ける岡田紗和が笑顔で迎え入れてくれた。知夫里島へ移住してきたふたりは、この地で畑を耕すことからはじめ、いまでは約60種類のハーブや野菜が育つまでになった。そして農園の野菜や、釣り好きの島民から譲り受けた魚などその日その瞬間だけの味わいを珠玉の一皿に昇華させたフレンチレストランを始めたのは、2022年のこと。


美食の街として知られるリヨンをはじめ、本場フランスで研鑽を積んだ里野が生み出す繊細で手の込んだ料理の数々を、この小さな離島で、こんなにも肩肘張らず楽しめるのは驚きだ。知夫里島で獲れたカサゴを5日間熟成させたマリネや、サザエの香味焼きには農園の新鮮なほうれん草を使ったソースを合わせるなど、今ここでしか出会えない味わいを堪能した。
かつて牛舎として使われていた場所をリノベーションし、今年からはオーベルジュとしてステイもできるようになったので、この味を目当てに知夫里島に滞在するのもよいだろう。

温かなおもてなしと美食に心が満たされ次に向かうのは、島の西部にある赤ハゲ山の展望台だ。標高325mの山頂からは、600万年以上前の火山の巨大噴火によって生まれた陥没地形、島前カルデラを一望できる。カルデラによくある湖ではなく、海水が入り込み湾を形成するさまや、それを囲む西ノ島や中ノ島、そしてはるか遠くに島根半島や大山を見渡すこの眺望は、筆舌に尽くしがたい。
目を見張るのはそれだけではない。この山にも数多の牛が放牧されていたが、ふと目をやると摩天崖とは異なり、ところどころに石垣(みょうがき)が組まれていることに気づく。これは16世紀末から1960年代後半まで行われていた牧畑と呼ばれる農法の名残。石垣で土地を区切り、放牧、粟・ひえ、大豆、麦などを順番に栽培する方法で、牛の糞尿によって畑を肥やしながらも連作障害を防ぎ、痩せた土地をどうにか耕作してきた人々の知恵が見てとれた。

360度パノラマの絶景はもちろん、人々の暮らしと密接に関わって来た山の歴史を感じ取ったあとは、隠岐が生まれた火山活動の凄まじさを物語る、ダイナミックな絶景・赤壁(せきへき)にも訪れよう。知夫里島の西海岸沿いに約1㎞にわたって広がる赤壁は、約600万年前につくられた火山の断面で、噴火した当時の様子を窺い知ることのできる地質学的に貴重なスポットだ。剥き出しの岩肌が聳え立つ情景には、この地のはじまりの息吹が今もなお鮮やかに宿っていた。
大部分を占める赤褐色の岩石は、鉄分を含むマグマが火口から吹きあがり、そのしぶきが空気に触れて酸化したもので、スコリアと呼ばれている。幾度もの噴火で降り積もり200mまで達したスコリア丘は、日本海の荒波や北西から吹きつける季節風に晒され、現在のような火山の断面が姿を現した。
中央に垂直に走る白灰色の岩石は、火道といわれるマグマが吹きあがった通り道で、そこに粗面岩質の別のマグマが後から流れ込んだものだ。これはつまり、火道の中心部まで侵食が進んだ、いまだからこそ見られる奇跡の光景といえるだろう。600万年以上の歳月を経てもなお、姿を変え続ける――地球はいまこの瞬間も、絶えず生きている。そんな当たり前のことを強く感じられる瞬間は、そう多くはないだろう。
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分け隔てなく人々を受け入れ、幸せを育む中ノ島

内航船に乗り知夫里島から15分ほどで、4つめの中ノ島・菱浦港に辿り着いた。この島は海士町と呼ばれ、後鳥羽上皇が19年もの歳月を過ごした場所。上皇をもてなすに相応しく豊富な海産資源を誇り、米どころでもあり、現在は若者が多く移住する島として知られている。この島では、ユネスコ世界ジオパークの“泊まれる拠点”と称される「エントウ」にステイし、島の魅力を堪能した。
4つの島を訪れ感じたことは、いまこの瞬間目に映る景色は、奇跡の連続だということ。海や風の力により大地は姿を変え続けてきたが、人々は畏敬の念を抱きながら自然を大切に守り、そしてときに活用してきたからこそ見られる光景がそこにはあった。
ユネスコ世界ジオパークとは、地球科学の観点で価値ある遺産を保全するだけでなく、その土地に住まう人々の歴史や暮らしとのつながりを学び、地域に生かしていくことだ。この変わり続ける島々は、数万年後にはまったく違う景色になっているかもしれない。だがたとえそうなろうとも、数世代先を見据え、最善の形で後世に受け継いでいくべきではないだろうか。
そのためにはまず私達がこの場所を深く知り、眼差しを向けていくことが大切だろう。一見の価値が、隠岐にはある。地質学、生物学、民族学や歴史学……複合的な学びとともにあるディスティネーション、隠岐に繰り出してみてはいかがだろうか。その奥深い魅力に必ずや惹かれるはずだ。
隠岐ジオパーク推進機構
TEL:08512-2-1577
www.oki-geopark.jp