恋人を、「漫画型」と「小説型」に分けてみたら……【はみだす大人の処世術#12】

  • 文:小川 哲
  • イラスト:柳 智之
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Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。

“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第12回のキーワードは「漫画型と小説型」。

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漫画雑誌の編集者と食事をした時に興味深い話を聞いた。漫画は人気が続く限り連載も続く。話としてキリがいい地点や、作者が終わらせようと考えていた地点までたどり着いても、まだ読者から人気があれば話を終わらせず、無理やりでも新たな章を考えて連載を引き延ばす。最近は例外もあるが、漫画が終わるのは作品がボロボロになって人気がなくなってからで、それこそ漫画の理想的な終わり方でもある。

僕はいくつかの人気作品のタイトルを思い浮かべ、「確かに」と頷いた。漫画作品の強さは、「どう終わるか」ではなく「どう続けるか」だ。漫画は雑誌で連載し、何話かをまとめて単行本として出版する。人気漫画は数年以上連載し、数十巻にわたって単行本が出る。多くの読者にとって、最終話を読んで感傷に浸る時間よりも「次はどうなるか」と期待する時間のほうが長い。

一方で、(非シリーズの)小説は漫画と異なる力学で動いている。ほとんどの小説は1冊で完結するので、読者は「どう終わるか」という点を重視することが多い(これを「ピーク・エンドの法則」と呼ぶ)。途中で退屈な描写が続いたり、登場人物の理解しがたい行動を読まされたりしても、最後のページでどんでん返しや感涙のシーンがあれば満足してくれる。逆に、途中がどれだけ面白くても、ラストに曖昧さが残ったり、作品内のすべての要素を回収せずに終えたりすると、評価が低くなることが多い。読者としての僕は作品の面白さは積分していくと思っているので、「どう終わるか」を必要以上に気にしないのだが、その考えは小説好きの中ではマイノリティだ。

仮に「どう続けるか」が問われるのが「漫画型」で、「どう終わるか」が問われるのが「小説型」だとすると、世の中の多くの事柄を「漫画型」と「小説型」に分けることができるように思う。たとえばシリーズもののメロドラマはわかりやすく「漫画型」だといえる。人気がある限り次のシーズンが続き、人気がなくなると唐突に黒幕が出てきて終わる。それに対して映画は「小説型」かもしれない。劇場で金を払い、2時間程度鑑賞して、完全に見終わってから感想を述べるわけで、ラストに納得がいかなければ評価も低くなる。

「漫画型」と「小説型」の二分法を、創作物以外にも当てはめてみる。たとえば「漫画型」の恋人と、「小説型」の恋人とは?

「漫画型」の恋人は多分、おいしいレストランや魅力的な旅先をたくさん知っている。いろんな場所へ連れていってくれて、飽きることがない。彼または彼女と付き合えば、恋人として素晴らしい時間をともに過ごすことができるだろう。ただ、漫画型の恋人とは、最後はお互いボロボロになって終わる。喧嘩をして、互いに憎しみも生まれるかもしれない。燃え尽きるようにして恋が終わり、思い出だけが残る。

「小説型」の恋人は、もしかしたらあまり気が利かないかもしれない。安定している、といえば聞こえがいいが、退屈な休日を過ごすことになったり、刺激のない毎日を送ることになったりするかもしれない。だが、最終的に満足させてくれる確率は高い(「満足」がなにを意味するかは、それぞれ異なる考え方があるだろう)。

「漫画型」の企業と「小説型」の企業は?「漫画型」のラーメンと「小説型」のラーメンは? 世の中のものごとを、このふたつに分けてみるのも面白い。多少こじつければ、どんなものでも「漫画型」と「小説型」に分けることができそうだ。

ちなみに僕の小説はよく「ラストが面白くない」と言われるので、「小説型」ですらありません。

小川哲

1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『君のクイズ』(朝日新聞出版)がある。

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※この記事はPen 2023年12月号より再編集した記事です。