同年代や年下が活躍しているのを見ると焦ってしまう【はみだす大人の処世術#11】

  • 文:小川 哲
  • イラスト:柳 智之

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Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。

“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第11回のキーワードは「早熟の苦労」。

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女子テニスプレイヤーのマリア・シャラポワがウィンブルドン選手権で優勝したのは2004年のことだ。当時、高校生だった僕はシャラポワの優勝に驚いた。彼女が自分よりも年下だったからだ。同年代や年下がなにかの分野で活躍すると、「彼ら彼女らはもうこんなに頑張っているのに、僕はなにをやっているのだろう」と焦る。10代や20代の時ほど、そういう気持ちになりやすかった。「スティーブ・ジョブズは自分の年齢の時に、既にApple社を創業していた」とか、「アインシュタインは自分の年齢の時に、特殊相対性理論を発表していた」とか、自分と比べることもあった。

教科書に載るような偉人たちの話は別にしても、みんながJ -POPを聴いている時に、洋楽にしか興味をもたないクラスメイトに憧れて、よくわからないまま真似をしてみたり、みんながジーンズメイトやライトオンで買った服を着ている中で、原宿や下北沢の古着屋でサイズの合わないリーバイスのデニムを買ってみたり。なにを隠そう、僕も格好つけていろんな「早熟」の振りをしていた。高校生の時、苦くて吐きそうになりながら、ブラックコーヒーを「おいしい」と主張して飲んでいた。大学生になると、なにが書いてあるのかもよくわからないままジェイムズ・ジョイスの小説を読み、難解なフランス映画を観て、ノイズミュージックを聴いた。社会や大人のことなどなにも経験していないのに、知識だけ入れてわかった気になっていた。

僕の好きな小説家の坂口安吾は、「早熟」のことを「老成」と呼んでいた。随筆「風と光と二十の私と」の中で、「誰しも人は少年から大人になる一期間、大人よりも老成する時があるのではないか」と述べている。背伸びして大人の真似をして、いろんな知識を溜め込んでいくと、不意になにかがわかったような、なにかを悟ったような気持ちになるのだ。しかし、この「老成」は自分の経験に根ざしていない偽の「老成」で、歳を重ねていくうちに自分がわかった振りをしていただけだったということを自覚していく。安吾はこの偽の「老成」を「空虚」だと看破している。

いまになって思うのは、人間の能力や才能に年齢の壁はないけれど、経験というものだけはどうしても年齢に依存する部分がある、ということだ。「若いのに立派だ」と言われる若者は、立派な振りをしていて、大人の振りをしているのだろう。36歳になったいまは、17歳で世界一になったシャラポワの実力と努力のすごさを認めた上で、いろいろと大変だっただろうな、と同情してしまう。嫉妬も受けただろうし、いわれのない中傷もされただろう。マスコミに追いかけられ、一挙手一投足を見張られる。17歳という年齢で、そういう状況に対処するのは大変だったに違いない。
 
10代でデビューした小説家の多くは、2作目を出版できずに業界から去ってしまう。小説を出版すれば、自分が一度も会ったことのない人に、作品をけなされることもある。同業者から嫉妬されたり、自分の望んだような評価を得られなかったりする。ある程度の経験を積んで、人間や社会というものに対するあきらめをもっていなければ、そういった心ない言葉を真正面から受け止めてしまって、執筆そのものが嫌になってしまうだろう。

一見すると遠回りしているように思えることが、実際には経験というかたちになって自分を救ってくれることもある。何事も「早すぎる」こともなければ「遅すぎる」こともない。ただ、「適切な時期」だけがあるのではないか。

小川哲

1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『君のクイズ』(朝日新聞出版)がある。

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※この記事はPen 2023年11月号より再編集した記事です。