「失敗を次に活かせ」とはよく言うけれど……【はみだす大人の処世術#10】

  • 文:小川 哲
  • イラスト:柳 智之

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Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。

“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第10回のキーワードは「失敗と挫折」。

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学生時代にいろんなアルバイトをやった。「いろんなアルバイトをやった」という事実は必ずしも「働き者」や「経験豊富」を意味しない。むしろどちらかというと恥ずかしい話で、つまりどれも長続きしなかったのだ。長続きしないから別の業種で新しいバイトを始める。これも長続きしない。新しいバイトを探す。こうやって、経験したバイトの種類だけ増えていく。

バイトの中でいちばん長く続いたのは塾講師で、大学院生の時に始めて、小説家としてデビューしてからも続け、専業作家になって辞めるまで5年くらい続けた。長く続いたのは(小説家と同じで)ひとりでできるからだ。授業の準備もひとりだし、授業が始まったら誰も口を出してこない。授業後も報告書と日誌を提出して帰るだけ。苦手な人や、関わりたくない人がいるせいでバイトが長続きしなかった僕にとって、塾講師は天職に近かった。加えていうと、5年間の塾講師の経験は小説を書く上で役に立っている、と思う(「と思う」と濁すのは、どんな経験でも小説を書く上で役に立つと思っているので、塾講師がなにか特別な意味において役に立っているかどうかと聞かれると自信がないからだ)。

塾講師のバイトで、1度だけ本部の研修会に出たことがある。確か塾講師を始めて1年くらい経った頃だった。各教室から呼ばれた講師たちが集められて、模擬授業だったり、ベテラン講師の講座だったり、本社の偉い人の話を聞いたり、1日かけてそういうメニューをこなす。退屈なのはわかりきっていたし、こういう研修でなにか学べることがあるとは思っていなかったので、はっきりいって興味はなかったが、時給を上げるためには研修会に参加しなければならなかったので仕方なく出席した。

その退屈な研修会でひとつだけ学んだことがあった。本社の偉い人が授業方針の説明をしていた時のことだ。その人は研修を受けていた講師たちに「他人から厳しいことをいわれたら、どう思いますか?」と聞いた。何人かの講師が指されたが、みな「同じことをいわれないように頑張ります」「見返してやろうと思います」などと答えた。なかには「なにクソ、舐めるんじゃねえ、と思います」と答えた人もいた。その様子を見ながら、自分が指された時も同じように答えるだろうと考えていた。

10人くらいに同じ質問をしてから、本社の偉い人は「素晴らしい」と言った。「他人に厳しいことをいわれたり、厳しい現実に直面したりして、なんとかしようと努力する――ここに来たみなさんは、それを繰り返してきたから大学に合格して塾講師になっています。怒られて、失敗して、逆境をバネにできることは、確かに素晴らしい。でも、多くの子どもたちは違います。厳しいことをいわれたらどう感じるか――やる気をなくします。自分には無理だ、と諦めます。塾に来る子のほとんどはそういう子です。彼らがやる気を出すのは、褒められた時と、うまくいった時です」

なにかに成功した人はよく「何度でも失敗しろ」「うまくいかなかった経験を次に活かせ」などと口にする。でも、現実はそういうふうに動いていない。5年間、塾講師を続けてわかったのは、多くの子どもは失敗を活かすことなどできず、そのままやる気を失ってしまうということだ。もちろん、失敗した人にチャンスを与えることは重要だ。しかし、たった1回の失敗によって縛りつけられてしまって、そのまま動けなくなる人もいる、という事実も覚えておいたほうがいい。あなたが失敗を糧に生きてきたのならなおのこと。

小川哲

1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『君のクイズ』(朝日新聞出版)がある。

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※この記事はPen 2023年10月号より再編集した記事です。