「世界のクロサワ」映画が、カズオ・イシグロ脚本で蘇る『生きる LIVING』ほか【今月の映画3選】

  • 文:細谷美香(映画ライター)

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今月のおすすめ映画①『生きる LIVING』
「世界のクロサワ」映画が、カズオ・イシグロ脚本で蘇る

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ピンストライプのスーツを着こなして主人公を演じたのは、『アバウト・タイム 愛おしい時間について』など数々の名作に出演してきたビル・ナイ。志村喬演じる主人公が劇中で歌っていた「ゴンドラの唄」は、スコットランド民謡の「ナナカマドの木」に。

黒澤明の『生きる』をロンドンを舞台に再映画化するにあたり、これほど適任な人選はなかなか思い浮かばない。脚本を手がけたのは、長崎で生まれ、5歳の時にイギリスへと渡った作家のカズオ・イシグロ。小説『日の名残り』『わたしを離さないで』などで知られ、異邦人としての目をもつノーベル賞作家が、名作の精神をいまへとつないだ。

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© Number 9 Films Living Limited

1953年。役所の市民課に勤める公務員のウィリアムズは、単調な事務処理をする毎日を淡々と送っている。部下と交わることもなく、孤独を感じる日々のなかで告げられたのは、がんによる余命半年の宣告。ウィリアムズは息子にその事実を伝えられないまま、うるおいのない人生を変えようと手応えを求めて行動に移していく。

公園をつくろうとする展開もオリジナルと同じだが、カズオ・イシグロの独自性は穏やかな筆致で物語を進めている点にある。イギリスの紳士役がよく似合う名優ビル・ナイもまた、志村喬とは異なる抑制されたアプローチで主人公を演じ、その芝居と存在感は観る者の心に静かに波紋を広げていくかのようだ。残された日々に限りがあると知った時、人はなんのために、どう生きるのか。ぬかるみへと踏み出したウィリアムズの新しい一歩は、周囲の人たちの気持ちも変えていく。

子どもたちの笑い声が響く憩いの場としての公園は残っても、ウィリアムズのささやかな革命はすぐに忘れ去られることだろう。けれどもそれは、特段に悲しむべきことではないのかもしれない。自分がするべきだと信じたことに時間を費やし、たとえわずかでも世界とつながったと思える瞬間があれば、それが“生きる”ということなのではないか。この映画からは、前向きな諦念ともいうべき哲学が、伝わってくる。

『生きる LIVING』

監督/オリヴァー・ハーマナス
出演/ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッドほか
2022年 イギリス映画 1時間43分 3/31よりTOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。

 

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今月のおすすめ映画②『ザ・ホエール』
圧巻の芝居で表現する、巨体に隠された孤独と過去

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愛する男性を失い、過食によって極度の肥満となった教師のチャーリー。訪問してくれる看護師に頼りながら、オンライン授業を行っている。体調が悪化するなか、音信不通の17歳の娘とコミュニケーションを取ろうと決意するが……。『ブラック・スワン』のダーレン・アロノフスキー監督が密室のなかで描く、絶望と希望が同居する最期の5日間。ブレンダン・フレイザーが巨大な肉体の重みと魂の解放を体現して、観る者の心を共振させる。

『ザ・ホエール』

監督/ダーレン・アロノフスキー
出演/ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンクほか
2022年 アメリカ映画 1時間57分 4/7よりTOHOシネマズシャンテほかにて公開
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。

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今月のおすすめ映画③『トリとロキタ』
難民が生きる過酷な現実を、名匠ダルデンヌ兄弟が見つめる

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© LES FILMS DU FLEUVE- ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM - FRANCE 2 CINÉMA - VOO et Be tv – PROXIMUS - RTBF(Télévision belge)

偽りの姉弟としてベルギーで暮らしているベナン出身のトリとカメルーン出身のロキタ。祖国の家族のためにドラッグの運び屋をしているロキタは、偽造ビザを求めてさらなる闇へと足を踏み入れていく。社会からはみ出した、声なき者たちに寄り添う傑作を撮ってきたダルデンヌ兄弟の最新作が届いた。他者に無関心な社会のなかで、手を携えて理不尽で過酷な世界をサバイブしようとするトリとロキタ。ふたりの現実を見つめる視線に名匠の怒りがにじむ。

『トリとロキタ』

監督/ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
出演/パブロ・シルズ、ジョエリー・ムブンドゥほか
2022年 ベルギー・フランス合作映画 1時間29分 3/31よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。

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※この記事はPen 2023年5月号より再編集した記事です。