幻の音源も収録された、大滝詠一の新作ノベルティ作品集はただごとではない

  • 文:湯浅 学(音楽評論家)
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福生45スタジオ隣のミーティング棟にて。壁のドーナツ盤とお気に入り盤収納のジュークボックスが光る。貼ってあるポスターはLP『Buddy Holly Box』の付録だったもの。©THE NIAGARA ENTERPRISES INC.

<初公開の新曲や提供曲のセルフカヴァーなど、未発表音源が多数収録された『大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK/NIAGARA ONDO BOOK』がついに発売。コミックソングやユーモア溢れる楽曲満載の新たな作品集の魅力とは? 『Pen Books 大滝詠一に恋をして。』より抜粋>

大滝詠一に対して、メロディー・タイプとノベルティ・タイプの両方をつくりわけていた人という印象をもつ方も少なくないと思う。

中には、大滝はメロディー・タイプの曲だけつくっていればよかったのに、という感想を抱く方もいる。逆に大滝の才能はノベルティ・ソングで最大限に発揮されているという方もいる。

結論としては、どちらの作品においても異彩を放った人物であった。だからこそ、そのような感想や見解が生じる。それは間違いない。

1970年代は暗中模索期、80年代が充実期、というように大滝の活動を区分する人もいる。それには異論がある。大滝は生涯を通じて研究と実験を続けた人だったからだ。70年代と80年代とでは、大滝の活動の態勢、状況が異なっていた。そのために作品の様相は違っている。

しかし音楽に対するまなざしは変わらなかったと思う。70年代の『ナイアガラ・ムーン』や『ナイアガラ・カレンダー'78』は、ノベルティ・タイプの作品を中心とした傑作である。これらのようなアルバムを80年代につくらなかったのは、その二つがすでに完成されたものだったからだ。

そこで得られた創作上の確信は80年代以降の作品群にも多々活かされている。本邦初公開の新曲や提供曲のセルフカヴァーなど、未発表音源を多数収録する新作ノベルティ作品集『大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK/NIAGARA ONDO BOOK』を聴けば、ノベルティ曲の深さや魅力がわかるだろう。

大滝は他のアーティストに提供する作品でも、自分の中の引き出しのいちばん良好なところ、そのときどきのベストなネタで曲づくりをしていた。常に相手の座付作者的な姿勢で制作している。その上で、それまでに試していなかったことをそこでやってみたりする。

相手をポジティヴに解析したうえで実験を加えている。そのこともこの新作コンピレーションでよくわかる。

ノベルティ・ソングではユーモアのセンスが問われる。笑いは脳をリフレッシュする。ユーモアを伝えるためには自分自身が快活で、好反応状態にいる必要がある。その点で、大滝の好奇心は衰えることがなく、精神は常にタフだった。と同時に敏感だった。

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81年のインタビューで大滝は「メロディアスな曲とコミカルな曲を、対立させて捉えていました。それをやめたってことなんですよ。コミカルなアイデアがメロディアスな曲の中に存在しても、別に変わりはないんです」(『ポプシクル』81年2月号)と述べている。こうした考えで『ロング・バケイション』が生まれた、というわけだ。

大滝ほど〝新しい音頭〞を探求した人物は他にいない。その探求が、80年代に確立できたサウンド・スタイルと合流したのは当然の結果だろう。今回、Disc-2に収録された「うさぎ温泉バラード」や「新二十一世紀音頭」、細川たかしが歌った「Let's ONDO Again」などは柔和な詩情を感じさせる。

「イエロー・サブマリン音頭」に至っては歴史の重みと厚い知性を伝えつつ、軽妙さと緻密さがサウンドの中に同居している。対立するもの同士を調停するのがユーモアの役割である。

風流な空気と鋭い風刺、伝統の継承と破壊、ポップス及び邦楽と洋楽に対する否定と肯定、シリアスな視点と諧謔のまなざし、柔軟さと執念深さ、それらが共生している作品がこの新作には揃っている。大滝の生前最後の歌唱作品である「ゆうがたフレンド」の滋養はただごとではない。

この新作が広く聴かれますように。

 

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大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK
 ナイアガラ・レーベル/ソニー・ミュージックレーベルズ

 

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ペンブックス 大滝詠一に恋をして。
 ペン編集部[編]
 CCCメディアハウス[刊]

 

※この記事はNewsweek 日本版からの転載です。

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