Chim↑Pomエリイ×森村泰昌、ふたりが考えるアンディ・ウォーホルの見方とは?

  • 写真:岡本佳樹 
  • 文:脇本暁子

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ふたりの間に積まれているのは、森村がつくった『モリロ・ボックス』。もちろん元ネタは、アンディ・ウォーホルがブリロの洗剤箱をアートにした『ブリロ・ボックス』。

9月17日から京都市京セラ美術館でスタートする展覧会『ANDY WARHOL KYOTO / アンディ・ウォーホル・キョウト』。

セルフポートレート作品で知られる美術家・森村泰昌の元をChim↑Pom from Smappa!Groupのエリイが訪れ、同じ表現者としてのウォーホルの見方を聞いた。

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森村の個人美術館、モリムラ@ミュージアム(大阪・北加賀屋)で、ウォーホルについて語り合うふたり。

森村泰昌(左)●1951年、大阪市生まれ。現代美術家。85年よりゴッホの自画像に扮するセルフポートレート作品を発表。以後、世界の名画や歴史的人物をテーマに「自画像的作品」を制作。今年1月には人間国宝である文楽の人形遣い、桐竹勘十郎との共作で人間浄瑠璃『新・鏡影綺譚』を発表した。9/3から『装いの力―異性装の日本史』(松濤美術館)、9/4から『日本の中のマネ ―出会い、120年のイメージ―』(練馬区美術館)が開催される。 エリイ(右)●アーティストコレクティブChim↑Pom from Smappa!Groupのメンバー。現代社会が抱える問題から、結婚、妊娠、出産などメンバーのライフステージまで時代を映すクリティカルな作品を次々に発表。近年の個展に『Chim↑Pom展:ハッピースプリング』(森美術館)。近著に『はい、こんにちは──Chim↑Pomエリイの生活と意見』(新潮社)。9月18日まで韓国・蔚山のUlsan Art Museum『Art and Peace』に参加中。

60年代、リアルタイムでウォーホルを見てきた森村と、ウォーホルが既に「過去の伝説」となった時代に現代アートを始めたエリイ。異なる世代のふたりが交わす言葉から、時代を超えて語られるウォーホルの姿が見えてくる。

エリイ 森村さんとの関係は、かれこれ20年以上前からですね。人生で初めて購入した美術作品が森村さんの作品でした。その後、2018年に新宿の歌舞伎町ブックセンターで開催したChim↑Pomの展覧会、『にんげんレストラン』に出演していただいて。お会いするのはその時以来ですが、今日はアンディ・ウォーホルについてお聞きしようかと。

森村 エリイさんは、ウォーホルについてどう感じているの?

エリイ 好き嫌い以前に、子どもの頃からウォーホルのグッズが身の回りにたくさんあって。だから「グッズの人」という感じで。あとは母がずっと電話してるんですが、ウォーホルも電話好きで有名なので、妹が母のことを「アンディ」と呼んでました(笑)。作品は人の家で見たり、同級生が本をくれたり。

森村 僕は先に言ってしまうと、そんなにウォーホルのこと好きじゃないんです(笑)。というのは、ウォーホル大好き、っていう人もたくさんいるでしょう。でもそういう人とはちょっと温度感が違うんです。多分みんながウォーホルをすごいなと思っている理由のひとつは、いろんなことをしている、ということですよね。

エリイ 映画も雑誌もつくるし、音楽もプロデュースしていて。マルチクリエイターやアートディレクターのような立場ですね。

森村 ディレクションだけしてアシスタントに作品をつくらせたりもする。そして最後に「ポップ」という味付けをして、大衆が受け入れやすい作品に仕立てる。お金も稼ぐし、有名にもなる。みんなの「こうなりたい」という欲望が彼に投影されているから、多くの人が惹きつけられるのでは。カラフルな作品が多いから明るい人と思われがちだけど、僕から見たらものすごく暗い人ですよね。

エリイ 確かに顔も暗いですね。

森村 でも、彼はとてもよく「見えて」いた人だと思います。芸術をやっているんだけど、基本的には芸術を信じてない。子どもの頃から絵がうまかったから、どう描けば褒められるのかわかる。大人になってイラストレーターになった時も、どうやったら売れるのかすぐわかった。芸術は好きだけどそのカラクリが早くからわかってしまっていたんでしょう。

エリイ でないと、ああはなりませんよね。

森村 とても賢い人だと思いますよ。たとえば実質的なデビュー作といわれる『キャンベル・スープ缶』。同じような缶の絵がなぜ32枚あるかというと、スープの味が32種類あるから。必然的な意味があるコンセプチュアルな作品なんです。『花』もインクを転写することで生じるカスレなどで、一点一点表情が違う。コレクター心をくすぐるよね。そういうビジネスアートを相当考えていて、芸術に対して冷めた目線をもっている。それがある種の白けた感じをうまく表現しているよね。

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世界各地で活躍するふたり。森村(左)は、「ウォーホルの作品はイデオロギーがないからこそ、検閲のある中国でも受け入れられやすく好まれている」と話す。ウォーホルの作品について聞かれると、エリイ(右)は、「おしっこで絵を描く『酸化絵画』には興味がある」。銅系塗料で下塗りしたキャンバスにウォーホルたちが尿をかけ、化学反応で絵を描いたという作品だ。

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重いものを全部ひっくり返して、軽いポップアートにしたんです。

エリイ ウォーホルが「僕を知りたければ作品の表面だけを見ればいい。裏にはなにもない」と言っていますよね。この前、森村さんの『人間浄瑠璃』で、人形遣いに操られる浄瑠璃人形を森村さんが演じている映像を見ましたが、人間と人形が反転し、人間が空っぽになっていく様子を見て、ウォーホルの空っぽさが反転して作品になるのに通じる気がしました。

森村 演じながら、人形になるってどういうことだろう?と考えましたね。本来なら人形しかいられない世界に僕が入り込んでしまった、という感覚はありました。それと浄瑠璃は3人で人形を操るんですが、人形の動きひとつに右往左往しているのは人形遣いである人間たち。実際に操っているのはどちらだろう?とも思いました。ウォーホルの場合は空っぽというより、「芸術の空虚さ」をカタチにしている気がします。たとえば彼の作品にメッセージ色があるものは皆無だよね。アメリカの消費社会をテーマにしていても、それに対して好ましいのか、批判的なのかも不明だし、『毛沢東』や『ハンマーと鎌』をモチーフにした作品についてどう考えているのかも言及しない。僕は、それは賢明だと思う。イデオロギーについて信じていないし、価値を見出していないんだろうね。

エリイ 彼は敬虔なカトリック教徒で、毎週日曜日に教会に行くなど宗教については熱心でしたよね。子どもの頃からレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』のレプリカを飾って、一家は食事の前に祈りを捧げていたり。

森村 スロヴァキアからの移民一家の三男で、お父さんが亡くなってから兄たちはみんな働きに出たりして、相当貧しかった。でもその頃のことは話さない。話さないというのは相当根深く残っているということ。そういう重いものを全部ひっくり返してポップアートにした。ウォーホルは仲間内では「ドレラ」と呼ばれていたんだけど、それはドラキュラとシンデレラを組み合わせた愛称。彼には表の華やかなシンデレラの部分と、裏のドラキュラの部分があったと思うんだけど、自分の作品では表を裏返してもなにもないよ、というように見せていた。

エリイ 彼の中で、一つひとつを空っぽと認定していかないとやってられなかったのかも。

森村 相当にこじらせてるね。写真家のロバート・メイプルソープが撮影したポートレートを見て、確信しました。トレードマークの銀髪のカツラの下から黒い髪の毛が見えていて。ウォーホルはもともと色素が薄く髪の毛も眉毛も白い。それを黒く染めて、その後に銀髪のカツラを被る。つまり変装に変装を重ねて結局、もとのウォーホルに戻っている。ものすごく屈折しているよね。そうした闇が深いところは結構好き。よくウォーホルの名言集とかあるけれど、彼が言ったことと、本人が実際に感じていることはまったく反対だと思いますね。だからよくよく考えてウォーホルを服用しないと毒にもなる(笑)。

エリイ それもまた、彼の手法ですね。

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左:森村が扮するウォーホルやフェルメール、ゴッホらが「私とはなにか」を語る映画作品『エゴ・シンポシオン』(2017年)でウォーホルを演じているシーン。 右:ウォーホルのマリリン・モンローのポートレート作品に倣ったモリムラ版マリリン=モリリン。

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※この記事はPen 2022年10月号「知らなかった、アンディ・ウォーホル」より再編集した記事です。

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