【小山薫堂の湯道百選】第七一回“湯は、地球からの贈り物である。”

  • 写真:杉本 圭
  • 文:小山薫堂

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〈岡山県鏡野町〉
奥津荘

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まず、その名前に痺れた。「鍵湯」である。ときは江戸初期、ここの湯に浸かった津山藩の初代藩主・森忠政があまりの素晴らしさに感激し、村人たちに利用させまいと鍵をかけたことから鍵湯という名がついた。権力者の我が儘な欲望は、400年の時とともに磨かれ、ひとつのブランドとなったのだ。

岡山県奥津温泉を代表する宿「奥津荘」。唐破風(からはふ)玄関の上に大屋根の妻面を重ねた木造建築は、温泉街の歴史的景観の核をなしているという理由から登録有形文化財に指定されている。足を踏み入れた途端、不思議な心地よさに包まれるのは、日本人のDNAのせいだろうか。玄関では棟方志功の版画が旅人を出迎え、その先の階段を数m下ったところに「鍵湯」がある。つまり、かつて川沿いに湧いていた鍵湯の場所に、奥津荘が建てられたのだ。

足元涌出の、もちろん源泉掛け流し。空気に一切触れることなく、生まれたての絹の如き湯を纏う幸せ。しかも湧出温度は42〜43℃。常に適温が自然に湧いている奇跡の温泉なのである。

4代目主人の鈴木治彦さんに、鍵湯の入り方を尋ねると意外な答えが返ってきた。「目を閉じて湯に潜り、温泉の湧き出す音を聞きながら真っ暗な世界で地球の恵みを感じるのです。すると自然に感謝の気持ちが芽生えてきます」

あまりの心地よさから、この風呂に鍵をかけたくなる藩主に共感しかけた自分が、恥ずかしくなった。温泉は地球から人類への贈り物なのだ。

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岡山空港からクルマで1時間半の場所にある奥津荘。4代目鈴木治彦さんは、スポーツ会社のマーケティングを経て、27歳の時に家業を継いだ。全国旅館政治連盟の青年局長を務め、地元のみならず業界全体の活性化に尽力する。 

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露天風呂付客室「清閒亭(離れ)」の浴槽は、大浴場「鍵湯」にちなんだ鍵穴の形が特徴的。

奥津荘

住所:岡山県苫田郡鏡野町奥津48
TEL:0868-52-0021
料金:¥28,600~(2食付き1泊1室2名利用時の1名料金)
http://okutsuso.com

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※この記事はPen 2022年8月号より再編集した記事です。