飛騨高山の廃小学校が、蒸留所に生まれ変わる。
“地域の宝”を未来に繋ぐには?

  • 写真:香賀万里和
  • 文:西田嘉孝  
  • 編集:穂上愛

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15年前に生徒たちが残した寄せ書きを前に、飛騨高山蒸溜所のロゴを持つ野老朝雄さん(左)と平本知樹さん(右)。お二人ともに酒好きだ。

いまや計画中のものも含めると、日本のウイスキー蒸留所は約70箇所にもなる。そのすべてから美味しいウイスキーが生まれるかどうかはわからないが、間違いなくそれぞれの蒸留所にはそれぞれのドラマがあるはずだ。

そんなドラマを追いかけようと、高山市出身のカメラマン、香賀万里和(こうが・まさかず)さんの案内で、飛騨高山へと向かった。

さまざまな人たちの思いを乗せ、岐阜県初のウイスキー専門蒸留所としてスタートを切った飛騨高山蒸溜所プロジェクト。連載「ウイスキー蒸留所のつくり方」ではそこに関わる人たちにスポットを当てながら、一つのウイスキー蒸留所がどのようにできていくのかを追いかけたい。

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山々や巨大なダムに見下されるように立つ旧高根小学校。標高は約900メートルと、日本のウイスキー蒸留所としては2番目の高地に位置する。冷涼で湿潤な気候はウイスキーづくりにうってつけだ。

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岐阜県内初のウイスキー蒸留所

“日本の屋根”とも称される日本アルプスの一つ、雄大な飛騨山脈(北アルプス)に抱かれた岐阜県高山市高根町。この山間の村で2007年に廃校になった旧高根小学校を、岐阜県内初のウイスキー蒸留所として再生する。そんな壮大かつドラマティックな計画が動き出したのは今年(2022年)3月のことだ。

廃校での蒸留所建設に乗り出したのは、高山市のメインストリートである上三之町で造り酒屋を営む舩坂酒造店。小学校の賃貸活用についての調印式を3月1日に終え、同25日に「Makuake」でクラウドファンディングを開始すると、たった5日間で目標金額を超える2500万円の支援を集めることに成功した(クラファンは現在もネクストゴールを見据えて継続中)。

そして4月4日には、「飛騨高山蒸溜所プロジェクト」の実行開始を宣言する記者発表会を実施。物語の舞台となる旧高根小学校に、プロジェクトメンバーや國島芳明高山市長、閉校時の校長など関係者が集い、それぞれがプロジェクトへの思いを語った。

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“地域の宝”を未来に繋ぐ。その前例となることを目指す

まず登壇したのは、プロジェクトの実行者である舩坂酒造店の有巣弘城代表取締役。有巣さんは地元で洋食店や旅館業などを営むアリスグループの4代目にあたり、東京のコンサルティング会社に勤めた後、地元の高山に戻って舩坂酒造店に入社。アリスグループが2009年から経営を引き継いだ老舗酒造をその手腕で見事に再生し、2015年から社長となった。
順調だった酒造経営の風向きが変わったのが「新型コロナ」だ。飛騨高山といえば年間で470万人の観光客が国内外から訪れる国際観光都市。2020年から始まったパンデミックの影響はまさに甚大で、舩坂酒造の売上も前年度の半分以下にまで減少した。

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舩坂酒造店の有巣弘城さん。理想とするウイスキーとして挙げてくれたのは、スペイサイドの佳酒「バルヴェニー」。職人気質なウイスキーづくりを行うグレンフィディックの姉妹蒸留所だ。

「そこで新しい事業を模索するなか富山でウイスキーづくりを行う稲垣さんに出会い、ウイスキーが過去と現在、そして今と未来を繋ぐお酒だということを教えてもらった。自分たちの子どもや孫の世代、そして何より大好きな飛騨高山の未来のためにこの地でウイスキーをつくることができるのなら、私もぜひ挑戦したいと考えたのです」と有巣さんは話す。

有巣さんによる飛騨高山蒸溜所の概要説明では、体育館を蒸留棟としてシングルモルトの製造を行うことや、教室の1階だった部分を樽の貯蔵庫にすること、そして将来的に校舎の2階にゲストを迎えるスペースを設けることなどが説明された。さらには、日本酒の米を生産する地元農家に二毛作での栽培を依頼する大麦や、“飛騨の匠”と呼ばれる木工集団の流れを汲む地元家具メーカーと連携した木樽や木槽の使用など、地域の人々とコラボレーションした飛騨高山らしいウイスキーづくりを目指すという。

「現在の日本には、資金がないから残せなくなってしまった地域の宝がたくさんあります。地域の皆さんの思いとしては残したいのだけれど、どうしても資金が足りずに残せない。そのような課題に対し、多くの人たちの思いが詰まった小学校の歴史を引き継いでいくこの蒸留所が、一つの試金石になればと思っています」

そう力強く話す有巣さんのもと、今回のプロジェクトには外部からも多くのメンバーが参加している。
蒸留所のロゴデザインは、東京2020オリンピック・パラリンピックのエンブレムを手がけた美術家の野老朝雄(ところ・あさお)さん、そして設計やクリエイティブまわりのディレクションを、東京2020の表彰台や開会式でのドローンによる演出などを手掛けた平本知樹さんが担当。

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美術家の野老朝雄(ところ・あさお)さん。

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クリエイティブディレクションを務める平本知樹さん

総合アドバイザーは三郎丸蒸溜所の稲垣貴彦さん。そして販売・マーケティングアドバイザーを務めるのは、ウイスキー専門店やジャパニーズウイスキー専門ボトラーズを運営する下野孔明さん。さらには元キリンビール富士御殿場蒸溜所のチーフブレンダーであり、世界遺産の島でのジンづくりを目指して開設準備を進める五島つばき蒸溜所のディスティラー&ブレンダーでもある鬼頭英明さんが、製造技術顧問として支援を行う。

ほかにも、高岡銅器の技術を活かした画期的な鋳物製蒸留機「ZEMON」の開発元である老子製作所の老子祥平社長や、海外&デジタル戦略を担う合同会社オープンゲート代表の中山雄介さんなど、錚々たる面々が有巣さんの情熱と人柄に惹かれて高山の地に集った。

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東京2020から“飛騨高山2022”へ。2人のクリエイターの思い


東京2020でタッグを組んだ、野老さんと平本さんがプロジェクトに参加した理由も、「有巣さんと友だちだったから」。
平本さんは「東急ステイ飛騨高山 結の湯」など数々のプロジェクトを高山で手掛け、2020年4月には家族とともに高山市に移住。そこで有巣さんと知り合って親しくなり、その流れで野老さんを友人として紹介した。

「当時はまさかこんなことになるとは思っていなかったけれど、自然な流れで本当にいいご縁が繋がって、こんなに素敵なプロジェクトに参加させてもらえることに感謝しています」。そう話す野老さんは平本さんとともに、今年2月に初めて旧高根小学校を訪れたという。

15年前の2007年3月24日、閉校時の全校生徒は16人。当時の校長だった砂田明伸さんが、「閉校の日まで子どもたちと全力で駆け抜けた」と話す教室の黒板には、生徒たちが最後の日に書いた寄せ書きが今もそのまま残されている。

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旧高根小学校、最後の校長先生だった砂田明伸さん。

「本当に愛情が詰まった場所なんだなと感動しましたし、まさにこの場所でしかできないサイト・スペシフィックなプロジェクト。最後の卒業生たちも大人になって、お酒を飲んだり、そろそろお父さんやお母さんになる人もいるかもしれない。この蒸留所やここでつくられるウイスキーを、彼らやその子どもたち、そしてその孫の世代にまで繋げていきたい。だから100年以上使い続けても色褪せないような、強度を持つグラフィックを生み出したいなと考えました」(野老さん)

記者発表会では、野老さんのそんな思いがこもった飛騨高山蒸溜所のロゴもお披露目された。

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飛騨の「飛」をモチーフにした紋様の四方を、山々が囲むようなデザイン。その下にはオリジナルのステンシルフォントで、「HIDATAKAYAMA DISTILLERY 2022」の文字が配置される。
「世界に通用する美しい漢字」と野老さんが言う「飛」の文字には、ここで生まれるウイスキーが将棋の飛車の如く、縦横無尽に世界へと羽ばたくイメージも重ねられている。

「2022は最後の最後で入れようと決めて、2の文字は昨日までつくっていました。本当は蒸留所が完成した年が入るのかもしれないけれど、ウクライナとロシアの問題もあって、何十年後に見たら2022年は大変な年だったんだと言われるようになるだろうなと。そうした意味を込めて2022としましたが、もちろんここに2023だったり2026だったり、将来の数字が入るのも素敵だと思います」(野老さん)

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一方の平本さんに蒸留所のデザインとして目指す方向性を聞くと、「まずはなるべく手を入れず、小学校であることの良さを活かした蒸留所をつくりたい。そのうえでゲストのためのスペースなどをデザインしていければ」と答えてくれた。

「東京2020のプレゼンテーションでもそうでしたが、僕らがやりたいのは日本の今のカッコいいグラフィックというよりも、海外の人ともシェアできるルールみたいなものからデザインしていくようなクリエイティブ。この蒸留所とそれにまつわるものもそうした思想で一つひとつ、積み上げていくようにつくっていければと思っています」(平本さん)

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廃校になった小学校の校舎や体育館を樽の貯蔵庫に使うといったケースは滋賀や鹿児島でも見られるが、小学校そのものをウイスキー蒸留所にするプロジェクトは日本初。もしかすると世界でも例がないかもしれない。

また、昨今は日本各地で集落の過疎・高齢化が進むが、ここ高根地域も例外ではない。「一つの地域や集落が消滅してしまうと決して元には戻せない。だからこそ、村や町をゆっくりと適切なサイズにしていく方法が必要なのではないかと思っていたんです」と平本さんは言う。

東京2020をともに戦った平本さんと野老さんにとって、飛騨高山蒸溜所での挑戦は、日本の地域社会の未来のデザインに一つの方向性を示す挑戦でもある。

飛騨高山蒸溜所の本格稼働は来年4月初旬を予定。そこから「シングルモルト飛騨高山」がリリースされるまでには、最短でもさらに3年の歳月を要する。ウイスキーとしての品質はもちろん最重要事項だが、クリエイティブの力が飛騨高山産ウイスキーにどのような“ワクワク”を与えてくれるのか。いちウイスキーファンとして今後も楽しみに追いかけたい。

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西田嘉孝

ウイスキージャーナリスト

ウイスキー専門誌『Whisky Galore』 やPenをはじめとするライフスタイル誌、ウェブメディアなどで執筆。2019年からスタートしたTWSC(東京ウイスキー&スピリッツコンペティション)では審査員も務める。

西田嘉孝

ウイスキージャーナリスト

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