五輪スケートボード金メダリスト・堀米雄斗に訊く、「スケートカルチャー」とはなにか?

  • 文:高橋一史 写真:杉田裕一

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2022年4月1日(金)より発売される堀米雄斗のフォトエッセイ『いままでとこれから』。KADOKAWA刊 ¥2,200

スケートボーダーの堀米雄斗が、23年間のスケートボード人生を振り返った初のフォトエッセイ『いままでとこれから』が4月1日(金)に刊行される。単身でアメリカ・ロサンゼルスに渡り道を切り開いた日々が、驚くほど詳しく明かされた内容だ。東京2020オリンピック競技大会に出場して金メダルを獲得した際のエピソードも、心の動きから他選手たちの活躍ぶりに至るまで彼の目線から解説。21世紀のスケートボードライフを知るテキストとしても、第一級の内容になっている。

今回、ロサンゼルスで暮らす彼に1時間に及ぶ単独インタビューを行った。話してもらった主なテーマは「スケートボードカルチャーとはなにか」。本書を理解する手助けとなるスケートボードの周辺事情を探った。なお、記事内では世界最高ランクの若きスケートボーダーの名を、アメリカで皆が呼ぶ「雄斗(Yuto)」と記す。

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友人に話すように23歳の等身大の言葉で綴られた、豊富な写真を含む144ページのエッセイ集。

本で伝えたいこと

雄斗にとって、さらにはオリンピックに出場した他の選手にとっても、スケートボードはスポーツ競技の枠を越えたカルチャーのようだ。勝ち負けはさほど問題でなく、雄斗いわく「カッコいい人であるほうが大事」。彼らはスケートボードでつながったコミュニティのなかで、互いに支え合い認め合って暮らしている。“カッコいい人”がそのリーダーだ。雄斗は今回の本で伝えたいことについて、以下のように話した。

「オリンピック効果で、いろいろな人にスケボーが知られるようになりました。でも、スケボーはもともとスポーツでなくカルチャー。オリンピック種目になったのは今回が初で、僕が運よく出られて金メダルを取れたのは偶然のドラマのようなできごとです。競技に出場するのは楽しいですが、僕が小さな頃から憧れたのは、ストリートで滑るスケート。渡米した経験を踏まえて、アメリカで活躍するうえで必要なことをほとんど全部、この本に書いています。アメリカに行けばどういう生活になるか、アメリカに行くまでにやっておくべきことはなにか、読む人が知りたいことを伝えられたら嬉しいですね。僕のストーリーを子どもたちやスケーターが知り、挑戦する人がひとりでも増えたらなおいいです」

『いままでとこれから』は、手探りで道を切り開いたプロスケートボーダーが示す、挑戦のプロセスでもある。

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世界的に名が知られるいまも、スケートボード仲間たちと日々を過ごす。写真はフォトブック未掲載のもの。

他のスポーツとは一線を画す、スケートボーダーの世界

単にアスリートという捉え方をすると、おそらく本質を見誤るのがスケートボードの世界だ。アメリカ市民に定着したのが1970年代。サーフボード代わりに街で車輪のついた小型ボードを乗り回していた若者が、ボードを制作して販売するスケートショップに集まり、チーム(クルー)を結成していった。技を競う大会も続々と開催され、ショップがスポンサーになりチームはボードの宣伝マンとして生活収入を得た。スケートボーダーは支え合いで成り立つコミュニティだ。

雄斗は『いままでとこれから』で、”プロ”になった瞬間は「自分の名前入りのオリジナルボードがつくられたとき」だと記している。デッキカンパニーと呼ばれるスケートボードのメーカーからオリジナルモデルが発売されることが、アメリカでプロになるということ。単にスケートボードで生活費を得ているだけでは、プロと認められないのである。

「ひとりでは絶対にプロを目指せません。いろんな人たちの支えが必要だし、いいクルーと一緒に活動することも大切。一般のスケートパークにもプロスケーターが顔を出すことがあり、彼らに自分をアピールすることも大事です。支え合いのカルチャーだから、人間性も重要になってきます。スケボーが上手ければいいわけではないんです。それがほかのスポーツと違うところだと思います」

雄斗はどうやって彼らに溶け込んでいったのだろうか。

「最初アメリカに行ったときは友達もいないし英語もしゃべれないしどうしようと思いましたが、パークに行って難しいトリック(技)をやると興味をもってくれて、『そのトリックすごいね』と声をかけられました。そこから『名前なんていうの?』『友達になろうよ』と、だんだん溶け込んでいった。スケーターは皆フレンドリーで、すごく優しい人が多いです。アジア出身という人種面でも僕は苦労を感じてません。パークにはスケーターしかいないから、まずはそこで自分をアピールするべき。逆にアピールができないと、なかなか声を掛けてもらえないかもしれません」

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ムラサキスポーツ、ナイキSB、MIXI、RAIZINらのスポンサーの名が見えるボードを使う雄斗。スニーカーはナイキSB。「いままでとこれから」掲載写真より。

人に憧れられてこそ”プロ”のスケートボーダー

オリンピックで初めて競技となった「男子ストリート」で金メダルを手にし、その功績からギネス世界記録にも認定され、歴史に名を残した雄斗。生活は一変したかと思いきや、日本にいた子ども時代とほとんど変わらないようだ。

「相変わらず毎日スケボーをしている生活です。『明日何する?』とクルーと連絡を取りあって、『朝からパークで滑って、あとでビデオ撮影に合流するよ』みたいな調子で。日本にいた子どものころは学校に行ってパーク行って、そのあとファストフード店でスケートやゲームの話で“チル”してました。小さいときからやってることはまったく変わってないですね。ビジネス面のやらねばならないことは増えましたが、それを抜きにしたら昔と変わらない生活です」

そう聞くと大変羨ましい生活のように思えるが、人に憧れられてこそプロのスケートボーダーで、そのための頑張りや苦労は必要だと彼は語る。

「子どものころにストリートのスケート映像を見てアメリカに憧れて、実際にスケーターの活動を目にして、さらに憧れるようになりました。自分自身のあり方をすごく考えて行動している人が本当のトッププロ。だからこそカッコいい存在なのだと気づきました。僕自身いまは、自分のここがダメだから次はこうしようと考えて行動しています」

インタビュー後編では、スケートボーダーにとって重要なプレゼンテーションとなる映像制作や、愛用のスニーカーをはじめとするファッションについて迫る。

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