良質なワインやバターが手に入りづらかった30年以上前の日本。その時代からドミニク・ブシェは東京で料理をつくり続けた。

  • 文:Pen国際版

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良質なワインやバターが手に入りづらかった30年以上前の日本。その時代からドミニク・ブシェは東京で料理をつくり続けた。

かのジョエル・ロブションの右腕として活躍し、29歳という若さで「トゥール・ダルジャン」(当時ミシュラン3つ星)の厨房で指揮を執った天才フレンチシェフ、ドミニク・ブシェさんを、ご存じでしょうか? ググってみれば、その重鎮ぶりは一目瞭然でしょう。ブシェさんが日本と関わりをもったのは、「トゥール・ジャルダン東京」の立ち上げにかかわった1980年代のことです。「よいワインも、よいシャンパンはおろか、クリームもバターもなかった30年以上前の日本を知っています」とブシェさんは話します。天才と呼ばれるシェフが、そんなフレンチ料理不毛の地だった日本を、第二の故郷としフランス料理をつくり続けてきたのでしょうか? その答えを、Pen国際版の「Paris, Tokyo」シリーズで語ってくれました。

ブシェさんは、伝統的なフランス料理の技法を大切にしながらも、素材や調理方法で常に新しさを取り入れるシェフとして知られています。動画の中でブシェさんは、「日本には、ウニをはじめとした素晴らしい素材がある。そして料理の装飾にかけては日本人にはかなわない」と語っています。そのリスペクトぶりはリップサービスではないように思います。それこそがブシェさんの料理の中に生まれる新しさであり、30年以上も前から日本を拠点にしている理由かもしれません。