古代の壁画からグルスキーまで、アートから見える本の意義。

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    『書物のある風景 美術で辿る本と人との物語』

    ディヴィッド・トリッグ 著

    古代の壁画からグルスキーまで、アートから見える本の意義。

    池上英洋美術史家/東京造形大学教授

    本の内容が覚えられない。研究職を生業とする身には致命的だと思うのだが、とにかく読んだ端から内容を忘れてしまう。本屋で数ページ眺めて面白そうなので買って帰ると、家に同じものがあって、しっかり読んだ痕跡があるのだから自分でも呆れてしまう。
    それでもとにかく読む。ひたすら読む。ベッドでも風呂でもトイレでも、気が付けばいつも目で活字を追っている。しかしそれでも、日本で1年間に新たに出版される本が7万冊に上ると聞くと、わずかな数しか読めずに死ぬことに虚しささえ感じてしまう。
    西洋美術史に「ヴァニタス」という図像がある。「虚しさ、儚さ」といった意味の主題なのだが、そこに骸骨や砂時計などの定番モチーフとともに、しばしば本が描かれる。それによって、神の絶対的な真理の前には、人間が見出した知識や積み上げた文化など儚いものという、キリスト教的モラルを表している。そして同時に、書物こそ、人間の知的活動の所産そのものであることをいみじくも示している。
    美術史家のディヴィッド・トリッグによる本書は、“本”が描かれた美術作品の歴史をたどるものだ。ポンペイの壁画に残された塗蠟板(板に塗った蠟を尖筆で引っ掻いて用いる)から、本の海のようなアマゾンの倉庫を写したアンドレアス・グルスキーの写真まで。さまざまな時代の「本を読む人」の姿を眺めるだけで、かつては一部の富裕層による寡占状態にあった書物が、時代を下るごとに一般大衆のものへと変わっていった経緯が一目瞭然だ。
    時間をかけてていねいにつくられた、中世の装飾写本の一冊に込められたエネルギーは凄まじい。一方、現代では我が国だけで一日200冊もの本が出版される。果たしてその価値はあるのか、それは適正な姿なのか──。現代社会において本がもつ意義を、同書は改めて考えさせてくれる。

    『書物のある風景 美術で辿る本と人との物語』
    ディヴィッド・トリッグ 著 赤尾秀子 訳
    創元社 
    ¥4,536(税込)