時代を「激写」した篠山紀信の60年の軌跡を辿る回顧展

時代を「激写」した篠山紀信の60年の軌跡を辿る回顧展

文:はろるど

『晴れた日』1974年、東京都写真美術館蔵 篠山は写真家として対象に向き合う際、「常に気持ちはエネルギーに満ちていて、いつも晴れている。」として、今回の展覧会も写真集『晴れた日』にちなみ『新・晴れた日』と名付けた。

雑誌の表紙やグラビアをはじめ、数え切れないくらいのメディアにて写真を発表している篠山紀信。アイドルやタレント、スポーツ選手といった人物だけでなく、建築、都市、さらに気象や災害までを撮影し、約60年に渡るキャリアを突っ走っている。彼ほどマルチに活躍している写真家は他に見当たらないと言って良く、もはや「SHINOYAMA KISHIN」の名を知らない者はいない。

東京都写真美術館で開催中の『新・晴れた日 篠山紀信』は、意外にも篠山の初めての大規模な回顧展だ。まず第1部では初期の1960年代から1976年のヴェネチア・ビエンナーレに出品された『家』をはじめ、月刊『明星』の表紙などを網羅している。そして第2部では、バブル景気に沸いた東京を舞台にした『TOKYO  NUDE』や、東日本大震災の被災地を写した『ATOKATA』といった1980年以降の写真を展示している。ここには昭和から平成にかけてのあらゆる世相が鮮やかに切り取られていて、戦後日本のドキュメンタリーを見ているような気持ちにさせられるとともに、ひとりの写真家が全てを撮り下ろした半端ない熱量に驚いてしまう。

『晴れた日』とは、1974年5月から雑誌『アサヒグラフ』に半年間連載された写真を中心とした写真集のことだ。ここで篠山は話題となった出来事を毎週取材。高校野球の予選やボクシングのタイトルマッチ、また沖縄の伊江島で行われた米軍機の投下訓練や原子力船「むつ」の入港反対運動などを写している。中にはニューヨークで撮ったオノ・ヨーコの写真もあり、テーマもジャンルも千差万別だが、そこには篠山の長きに渡る写真家としての活動が凝縮されている。

「コロナ禍のもと、外出のままならぬ中、ご来場くださり誠にありがとうございます」にはじまる、篠山本人による作品解説の冊子が面白い。最初期の『天井桟敷一座』から近年の『LOVE DOLL』までの全シリーズの撮影理由や社会背景に加えて、〆切り直前に連載のテーマを探すに苦労したなどの裏話までを記している。また2階ロビーにて限定公開されているインタビュー映像も必見だ。新人の時に編集者からダメ出しされたことや、週刊誌での仕事の向き合い方、それに『晴れた日」の制作エピソードなどが、展示の設営の光景を交えて映されている。「写真は死んでいく時の記録」とは篠山の言葉だが、いつの時代もどの場所でも「見たい」との欲望が剥き出しとなり、生命感に溢れた写真を前にすると、圧倒的なカリスマを感じてならない。

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