国内初個展「シャセリオー展」で、夭折の天才が生んだ品格と憂愁の美を味わう。

  • 文:坂本 裕子

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当時のパリ社交界で最も美しい女性のひとりに数えられた女性は、ユゴーやデュマ、バルザックなどが出入りする豊かな文化的環境で育ったといいます。古代風の花冠やパルマ・スミレのブーケ、絹の輝きを持つドレスが、知的で上品な彼女の美をさわやかな色香とともに描き出します。 《カバリュス嬢の肖像》 テオドール・シャセリオー 1848年 カンペール美術館 Collection du musée des beaux-arts de Quimper

フランス新古典主義の巨匠アングルに「やがて絵画界のナポレオンになる」と言わしめ、若干16歳でサロンにデビューしたテオドール・シャセリオー。その才能は、師アングルを離れて新しい世界へとはばたきながら、わずか37歳で急逝、開花半ばで途絶えました。遺された作品数はわずか260点前後、所在不明なものも多く、本国でもまとめて観られる機会は稀だそうです。
その代表作を含めた油彩約40点に、貴重な水彩・素描と版画を集め、知られざる夭折の天才シャセリオーを堪能する、日本初の本格的な個展が東京・国立西洋美術館で開催中です。

19世紀フランスは、ナポレオン帝政期を経て共和制を取り戻す激動の時代。絵画でも新古典主義からドラクロワに代表されるロマン主義へ、そして印象派からゴーギャンやゴッホのポスト印象派、さらに象徴主義など、多様な表現が現れる革新の時代でした。1819年に生まれたシャセリオーは、アングルのなめらかで美しい身体描写の技術を継ぎつつ、ドラマティックな情感を表すロマン派の表現を吸収します。植民地政策によるオリエンタリスムのブームの中、アルジェリア方面へも旅した彼の作品には、そうした要素も見られます。そして生来持っていた人物や情景に独特の叙情をまとわせる技はますます象徴性を帯びていき、次世代のギュスターヴ・モローやピュヴィス・ド・シャヴァンヌらを魅了したのです。

会場は、こうした画業を、彼に影響を受けたアーティストの作品たちと並べてともに観られる構成になっています。
モローにオマージュ作品を描かせた《アポロンとダフネ》、近代を先取りした裸体画《泉のほとりで眠るニンフ》などの神話画、当時のフランスいちの美女を描く《カバリュス嬢の肖像》をはじめ、モデルの内面までをみごとに表す肖像画、異文化ユダヤの人物を描きながら、エキゾチシズムに終わらない風情を持つアルジェリア時代の秀作…。いずれも美しさと感情の深みが調和した印象的な作品たちです。パリ・コミューンで破壊された教会や壁画の寓意画や宗教画は、救出運動で残された断片や写真とともに。版画作品では、《オセロ》や《ハムレット》の全シーンが一堂に並び、彼の文学や演劇への造詣がうかがえます。

アカデミーで培った人体描写に、思索や憂いのニュアンスを併せ持つ独自の画風で、“アングル門下の異端児”として象徴主義を準備した夭折画家の、静謐なエキゾチズムにひたる時間をお過ごしあれ。

彼の画業で最も古い自画像は、ルーヴルに遺された2点のうちのひとつ。当時「醜い」と言われた彼の容姿は今ならエキゾチックなイケメンかと…。上品で洗練された物腰と思慮深く繊細な性格で魅了したという、周囲が残した言葉を裏づける、内面をみごとに表わした品格ある16歳の肖像です。 《自画像》 テオドール・シャセリオー 1835年 ルーヴル美術館 Photo©RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Jean-Gilles Berizzi / distributed by AMF

アポロンの求愛から逃れるために月桂樹に姿を変えるニンフの娘ダフネ。柔らかい赤と緑の対比の中、曲線を描く彼女の裸体が白く輝きます。アポロンの熱い想いとはうらはらに、彼女の表情には感情がうかがえません。時が止まったような、不思議な静けさと情感は、のちのルドンやシャヴァンヌへと継がれていきます。 《アポロンとダフネ》 テオドール・シャセリオー 1845年 ルーヴル美術館 Photo©RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Philippe Fuzeau / distributed by AMF

古代ギリシャで多くの称賛を集めた女性詩人サッフォーは、一説には美青年への恋に破れ、海に身を投げたと言われています。ラマルティーヌがその情景を歌った詩から着想したと考えられる作品は、崖の上で死を覚悟した彼女の思いつめた表情が、粗い筆致により深い絶望を伝えます。 《サッフォー》 テオドール・シャセリオー 1849年 ルーヴル美術館(オルセー美術館に寄託) Photo©RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Adrien Didierjean / distributed by AMF

アルジェリアへの旅で実景をもとに描かれたという、天井から吊るされたゆりかごに眠る赤ん坊と二人の女性。安定した構図、柔らかい輪郭の人体、狭い空間に差し込みこぼれる光、女性がまとう鮮やかな2色の組み合わせの衣装と美しい顔、ゆるやかに揺れる紗のヴェールなど、すばらしい調和の一枚です。 《コンスタンティーヌのユダヤ人街の情景》 テオドール・シャセリオー 1851年 メトロポリタン美術館 Image copyright©The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY

シャセリオーが最後に手がけた作品のひとつ。聖母の顔は最後の恋人のものといわれているそうです。聖なる光に輝く母子を礼拝した三博士は、その年齢が人生の3段階を、肌の色が異なる大陸を示しています。オリエンタリスムと彼が終生テーマとしていた母子像とが昇華した聖画といえるでしょう。 《東方三博士の礼拝》 テオドール・シャセリオー 1856年 プティ・パレ美術館 © Petit Palais/Roger-Viollet

「シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才」

~5月28日(日)
開催場所:東京国立西洋美術館
東京都台東区上野公園7-71
開館時間:9時30分~17時30分(金曜日は20時まで、入館は閉館30分前まで)
休館日:月曜(ただし3/20、3/27、5/1は開館)、3/21
TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)
入館料:¥1,600

http://www.tbs.co.jp/chasserieu-ten/