自然に学ぶ食とデザイン。レストラン「イヌア」のためにつくられた、北欧と日本の美をもった椅子。

  • 写真:湯浅 亨
  • 文:山田泰巨

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デンマーク・コペンハーゲンのレストラン「ノーマ(NOMA)」の遺伝子を受け継ぐ、話題のレストラン「イヌア(INUA)」。内装を手がけたのはコペンハーゲンを拠点に日本でも活躍するOEOスタジオのトーマス・リッケ。イヌアのためにデザインした椅子「ジャリ(JARI)」、日本の四季にインスパイアされた食、そして日本と北欧の融和を図ったインテリアについて話を聞きました。

自らがデザインした椅子「ジャリ」とともに立つのがOEOスタジオのトーマス・リッケ。

2003年の開店以来、その独創的で革新性にあふれる料理で世界の食のトレンドを大きく変えたデンマーク・コペンハーゲンのレストラン「ノーマ」。そこでユニークな料理を開発しつづけたシェフ、トーマス・フレベルが18年6月、東京・飯田橋にレストラン「イヌア」をオープンさせました。内装を手がけたのはコペンハーゲンを拠点に日本でも活躍するOEOスタジオのトーマス・リッケです。フレベルが日本の四季にインスパイアを受けた料理を提供すると語るように、リッケもまたデザインにおいて、日本と北欧の融和を図ったと言います。

インテリアはもちろんのこと、リッケはイヌアのために特別な椅子をデザインしました。「ジャリ」と名付けられた椅子は、コペンハーゲン近郊に工房を構えるクルーガー・ブラザーズが一点ずつ手で仕上げてつくられています。この秋に来日したリッケに、インテリアと椅子に込めた思いを聞きました。

ミッドセンチュリーのデンマークを思わせる、イヌアの温かな空間。

OEOスタジオのトーマス・リッケ。京都の開化堂カフェの内装など日本でのプロジェクトも手がけています。

飯田橋駅から徒歩数分のビルの最上階にあるイヌア。専用のエントランスから店内にアクセスすると、どこか懐かしい温かみある空間が広がっていました。

「1960〜70年代のデンマークの建築に見られる要素を取り入れながら、温かみある雰囲気を取り入れました。イヌアを訪れるという新しい体験、発見がありながら、どこか友人宅を訪れたような親密さ、既に知っているような感覚にも襲われる。そんなふたつの相反する要素を取り込んだのです。今回はまず、イヌアのために35色からなるカラーパレットを開発し、そこから最終的に色を抽出しました。ここに限ったことではありませんが、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』からは大きな影響を受けています。陰のないところに美はありません。光と陰、マテリアルの表情などを使いながら、北欧と日本の両方の文化を融合させていったのです」

メインダイニングに並ぶのは、深澤直人がデザインした2種の椅子。深澤にコンセプトを説明し、今回は特別なカラーを制作。マルニ木工とカンディハウスの2社に依頼し、美しいグレーの特注色の椅子が完成しました。また、バーコーナーにはデンマークを代表するデザイナー、フィン・ユールの椅子やソファ、テーブルを置き、ジャスパー・モリソンと熊野亘がデザインした椅子を置いています。

メインダイニングの椅子は深澤直人がデザインしたマルニ木工の「ヒロシマ(HIROSHIMA)」、カンディハウスの「カムイ(KAMUY)」。メーカーの枠を超えて、同色の特注色を実現しました。
奥のバーカウンターの照明は京都の開化堂に依頼した特注のペンダントライト。手前はジャスパー・モリソンと熊野亘がデザインした、フィンランドの家具メーカー、ニカリの椅子。

ノーマをけん引してきたフレベルによる店ではありますが、「ノーマとイヌアはまったく別のプロジェクトだ」とリッケは言います。

「もちろん互いに影響を与えていると思います。コペンハーゲンのノーマは、建築家のデビッド・サルストラップがデザインしていますが、こことはまったく別のデザインです。もちろん素材感はどこかで共通しているようには思いますが。それよりも、イヌアもノーマもインテリアで重要視するのは人の目線を揃えること。それが親密な感じを生み出すのです」

イヌアはディナーのみの営業で、13皿~15皿の料理でメニューを構成します。どの皿も、いくつもの工程を重ねて食材の味わいを引き出すフレベルの技が楽しめます。彼は日本全国の生産者のもとへ足を運び、そのやり取りからひと皿を生み出していきます。その皿はいずれも美しく、他にない体験をもたらします。レストランのひとつ下の階には食材を発酵させる工房もあるそうです。

ある日のイヌアのメニューより。野菜とエディブルフラワーの湯葉包み。色鮮やかな野菜を湯葉で包むというユニークな発想の一品です。Photo:Jason Loucas
沖縄スナックパインとシトラス。香辛料とフルーツの組み合わせが意外なおいしさです。Photo:Jason Loucas

自然が削り出したラインを思わせる、「ジャリ」という名の特別な椅子。

「ジャリ」は、イヌアのプライベート・ダイニングのためにつくられた特別な椅子です。

リッケは個室に置くための椅子として自ら「ジャリ」をデザインしました。ゆったりと幅広の椅子はレザーの座面とともに身体を優しく包み込み、職人の手仕事で仕上げられるという流線形の背もたれも彫刻のような美しさです。

「ジャリは、機能性とサイズ感をテーマにした椅子です。軽くて丈夫でありながら、長く座っていても気持ちいい。日本もそうですが、デンマークのデザインはクオリティとクラフツマンシップによって支えられています。伝統を継ぎながらチャレンジングでありたい。デザインする上で、常にどこか新しさを感じるものではないといけないと考えています」

この椅子をつくるのはコペンハーゲン郊外に工房を構えるクルーガー・ブラザーズ。木の塊を機械で削ったあとに人の手で美しいラインを削り出しているといいます。

「近頃は市場に簡単な椅子が増え過ぎているように思います。名前の由来である砂利は長い時間をかけて削られていきますが、この椅子も人の手が手間をかけて削ったもの。自然というモチーフはイヌアにおいて重要なテーマでもありました。この有機的なラインは高い技術があるからこそ実現できるもの。歴史への尊敬とともに僕たち自身もその歴史のなかにいることに自覚的であるべきだと思うんです」

プライベート・ダイニングに並ぶ「ジャリ」チェア。奥のカーテンは同系色の4種のレイヤーを重ねつつ、透明性を高めた特注品。木漏れ日のなかにいるような感覚をもたらします。
メインダイニングに置かれるテーブルも同じく「ジャリ」シリーズ。こちらは天板で砂利の形状を模しています。

椅子以上に「ジャリ」という名を強く意識させるのはメインダイニングに並ぶテーブルです。同じシリーズとしてデザインしたテーブルは2種あり、それぞれにアシンメトリーなデザインで見る角度によって印象も大きく違います。

「テーブルは名の通り、波打ち際に佇む玉砂利の姿をイメージしたものです。不規則な美しさ、微妙な形状を再現したいと考えました。それはサイズのもつ機能性に着目した結果なんです。正方形に近いテーブルは2人でも大きくなく、4人だと親密な心地よさがある。大きなテーブルではこれが4人でも大きくなく、6人だと心地よい。食事の場所ですから、どこでも居心地のいい場所にしたかったんです」

またリッケが親和性を高めるためにちりばめたのがクラフトやアート作品。京都の伝統工芸を担う次世代の職人たちと仕事をともにするリッケはここでもその手腕を発揮しています。

天井には、リッケとの協働で知られる西陣織の細尾に特注したファブリックを使い、アコースティックパネルを張りました。控えめに抑えた照明や音楽でアンビエントな雰囲気を出しています。
アブストラクトなうわぐすりがかかった陶板は、京都・宇治の窯、朝日焼の16代当主、松林佑典によるもの。北欧では家庭の壁面に陶板をかけることがポピュラーで、親密な雰囲気を醸し出します。

ヨーロッパからも日本からも懐かしさを覚える、こだわりの空間へ。

左からクルーガー・ブラザーズの5代目、ヨナス・クルーガーとトーマス・リッケ。1886年に創設された木工加工の工房、クルーガーブラザースはエルメスとも協業するなど、数々の名作をつくり出してきました。

「面白いことに、ヨーロッパから来た人たちはとても日本的だと言うけれど、日本の人々は北欧的だと口を揃えます。こうしたクラフトや細部のこだわりは、どちらにとってもどこか懐かしさを感じる要素になっているんでしょう」とリッケは言います。

ミッドセンチュリー期に範をとった空間は不思議と両者の心に響きます。リッケが骨董市で買い集めたというディスプレイも、どちらの国ともとれない不思議な佇まいをもっています。イヌアの営業はディナーのみ。周囲が暗く沈んだなか、店内にともるやわらかな光のもとで見る空間、家具はまた違った表情を見せることでしょう。

左からジャリアームチェア¥312,120(税込)、アーブアームチェア¥216,000(税込)。アーブチェアは2018年にリニューアルしたノーマを設計したデビッド・サルストラップによるものです。

これらの椅子は、世界に先駆けてアクタスで2019年春より販売されます。リッケがデザインした「ジャリ」とともにデビッド・サルストラップがノーマのためにデザインしたアーブチェアも同時に展開。ともにクルーガー・ブラザーズによる完全なるメイド・イン・デンマークの椅子です。自然に学ぶ食と家具。まずはイヌアを訪れ、「ジャリ」に身を委ねてみてはいかがでしょうか。

イヌア(INUA

東京都千代田区富士見2-13-12
TEL:03-6883-7570
営業時間:17時30分~(火〜土)
定休日:日、月
https://inua.jp