【スカジャンの知られざる歴史】横須賀の名を持つ一着を支えた、桐生の刺繍と職人技

  • 文:小暮昌弘(LOST & FOUND)
  • 写真:宇田川 淳
  • スタイリング:井藤成一
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桐生にある松平さんのショップ「スーベニヤ・フロム・キリュウ」の第2弾として、今秋発売予定のオリジナルスカジャン。表地にはネイビーブルーのレーヨンサテンを使用し、裏地には桐生市内の名所名跡をプリントした生地を使った薄手のリバーシブル仕様。刺繍や縫製、リブなどのパーツのほとんどを桐生で生産している。「同じものは2度つくりません。店舗での一期一会を大事にしていますので」と松平さん。¥110,000/桐生ジャンパー研究所

アメカジアイテムの中で、日本発祥の「スカジャン」というジャンパーがある。名前の由来は、戦後に米海軍が駐留した神奈川県横須賀から。帰国する米兵たちの土産物として広まったものだが、その生産を支えたのが、遠く離れた群馬県桐生市だったことをご存じだろうか。スカジャンの知られざる物語を知るために、桐生を訪ねた。

「大人の名品図鑑」スカジャン Podcast

普遍の名品を、その歴史や周辺のカルチャーとともに徹底解説していく『大人の名品図鑑』の音声版。ここでは、動画や記事で紹介できなかったエピソードを中心にトークを展開する。案内人を務めるのは、フリー編集者の小暮昌弘とスタイリストの井藤成一。毎月上旬に公開。

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横須賀の土産から広まった、日本生まれのスカジャン

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背中にはスカジャンのアイコンともいえる虎をモチーフにした「横振りミシン」による刺繍が入る。「横振りミシン」は、大正時代に、足踏み式の本縫いミシンや千鳥ミシンを日本の職人が改造したことが始まりとされる。桐生を中心にした地域で発達したといわれ、かつては刺繍職人たちを日本各地に派遣した歴史も残っている。

光沢のあるレーヨンサテンなどの生地に、鷲や虎、龍といったオリエンタルな刺繍を施した「スカジャン」。スカジャンの「スカ」は、神奈川県横須賀に由来する。第二次世界大戦後、横須賀には米海軍の基地が置かれ、帰国する米兵たちの土産物として、主に米兵向けに販売されていた。『男の服飾事典』(婦人画報社)には、アメリカでは「スーベニア・ジャケット」と呼ばれていたと記されている。横須賀市本町のドブ板通りには、現在もスカジャンを店頭に飾るショップが立ち並び、2018年には、ドブ板通り商店街振興組合が「スカジャン発祥の地宣言」を行ない、横須賀とスカジャンの結びつきを広く発信している。

1997年に発行された『ワールド・ムック139 ジャンパースタイル』(ワールドフォトプレス)では、スカジャンを「西洋文化が生んだジャケットに息づく日本伝統の和装技術」と表現するが、「誰がジャンパーに刺繍を入れようとしたのだろうか。それは今となっては謎である」とも解説している。

生産を支えたのは、織物の街・桐生だった

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表地に使われているのはレーヨンサテン。スカジャンが誕生した当時、の物資統制下の中で比較的入手しやすく、安価だったレーヨンのサテン地が使われた。もう一方の面には「スーベニヤ・フロム・キリュウ」オリジナルの、桐生の名所などをプリントした生地を使用。リバーシブル仕様のため、プリント生地側でも着用できる。

そんな折、目にしたのが、2026年5月2日に配信された「桐生タイムス」の記事だった。

「スカジャンは戦後、駐留米兵が日本土産として買い求めた『スーベニア(土産)ジャケット』がルーツで、横須賀米海軍基地のイメージと結び付き、『横須賀ジャンパー』として定着した。その生産を支えていたのが、婚礼衣装や七五三衣装などの装飾に用いられた『横振り刺繍』の一大産地・桐生だった」

記事に登場するのが、2026年3月、桐生市の名所・桐生天満宮近くに「スーベニヤ・フロム・キリュウ」を開いた松平博政さんだ。松平さんは2017年に「桐生ジャンパー研究所」を設立し、スカジャンの歴史や記録を調査するとともに、オリジナルのスカジャンを地元・桐生で製作・販売している。

同研究所のHPには「スカジャンが終戦直後、桐生の地で製作されていたことは、アパレル業界やスカジャン好きの間では知れ渡った話ではあるが、現代の桐生の人間はほとんどこのことを知らない」とある。

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スカジャンにはリバーシブル仕様のものが多く、ヴィンテージのスカジャンはブランドタグなどが付いていないものも少なくない。今回紹介するスカジャンには、ポケットの内側に「桐生ヂャンバー研究所」と製織されたタグが付いている

軍服に施した刺繍が、ものづくりの出発点に

さらに読み進めていくと、スカジャンの誕生にまつわる興味深い話が記されていた。

1945年8月15日に第二次世界大戦が終結すると、その翌月の9月には、早くも進駐軍の米兵たちが群馬県桐生を訪れていたという。目的は、帰国土産の織物や繊維製品を買い求めるため。桐生は、「西の西陣、東の桐生」と称されるほどの織物産地だった。高度な刺繍技術にも注目した米兵たちは、手持ちの軍服に刺繍を入れることを思いつく。

「実は(スカジャンは)軍服に刺繍を入れたのが始まりなんです。しかし軍服は支給品なので、上官からしかられてしまって。それで、(軍服に)似たものをつくった。ヴィンテージマニアたちはよく『スカシャツ』って言っていますが。そこからジャンパーに発展していくのです」

店に飾られた古い「スカシャツ」を指差しながら、松平さんはスカジャン誕生の経緯を話す。

桐生には、スカジャンに刺繍を施すミシンやその技術だけでなく、素材となったレーヨンを扱い、それを縫製できる工場も戦災を逃れて残っていた。当時、縫製工場が26軒ほど、刺繍を手がける場所は個人で営むところを含めれば、数百あったのではないかと、松平さんは推測する。こうして桐生で生産されたスカジャンは、東京、横浜、横須賀へと出荷されていったという。

ヴィンテージの再現を超え、新しい一着へ

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黒レーヨンサテンのボディに、「しゃれこうべ」を両胸に刺繍したモデル。肩から袖口に走るパイピングもお洒落だ。素材から、リブ、刺繍、縫製まで桐生で行われている。刺繍は「横振りミシン」を使用している。¥58,500/桐生ジャンパー研究所

松平さんが現在製作しているのは、当時つくられていたヴィンテージスカジャンを参考にしつつも、これまでにない発想でつくられたものだ。

「真似は誰でもできるじゃないですか」

そう話す松平さんが目指すのは、何も参考にするものがなかった時代に、東洋と西洋が偶然にも融合し、桐生の人たちが「スカジャン」という新しいアイテムを生み出した、その原点に迫ることだ。

「当時何を考えて(スカジャンを)つくっていたか、デザインソースになったものは何かを探りたくて、スカジャンをつくっています」

戦後の日本で、米兵の土産物という需要に応えるために生まれ、横須賀という土地の名とともに広まったスカジャン。その背景には、桐生に受け継がれた織物と刺繍の技術、そして新しいものを生み出そうとした職人たちの創意工夫があった。いまも桐生でつくられるスカジャンには、そのものづくりの精神が息づいている。

スーベニヤ・フロム・キリュウ

http://kiryujumperlab.com/?author=1

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