Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。
“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第44回のキーワードは「自己紹介」。

僕がこの世で最も憎んでいるもののひとつ—と言うと大げさかもしれないが、とても嫌いなものがある。「自己紹介」だ。
自己紹介とは、自分のことを知らない相手に、自分がどのような人間なのかを端的に伝える行為だ。他者と関わって生きていく上で、自己紹介は避けられない。初対面の相手には、まず自分が誰なのかを伝え、自分と話をする価値があることを証明しなければならないからだ。しかしこの「自分と話をする価値があることを証明する」という行為は、話者の精神を容赦なく削り取る。短い時間で自分の価値を証明しようとすると、どうしても本質的ではない部分について触れたり、場合によっては自分を大きく見せることが必要になったりする。
有名大学を目指すのも、大手企業への就職を望んだりするのも、怪しげな仕事をしている人が「肩書」にこだわるのも、小説家が文学賞を欲しがったりするのも、すべて自己紹介において客観的な基準—他者のお墨付き—が必要だと感じているからだろう。「私は頭がよくて、他人よりも努力をすることができます」という自己紹介をするのは恥ずかしいが、「東京大学を卒業しています」という説明ならいくらかマシだ。「私はお金を持っているし、将来的にも稼ぐことができます」という自己紹介よりも、所属している大手企業の会社名を言うほうが精神はすり減らないだろう。「私はいろんな人に評価されている人気作家なんです」などと口にしようものなら3日3晩はベッドで悶絶しそうだが、「直木賞を受賞しています」なら1日程度で済むかもしれない。
若者が「仲介者」だの「論理学者」だのとMBTI診断の結果を口にしたがるのも、自分を説明する言葉や肩書が存在していないからだと思う。大人は、自分の職業や会社名を示すだけで、ある程度は自分の性格や特徴を伝えることができる。「出版社に勤務しています」という自己紹介には「本が好き」という性質が暗黙のうちに含まれているし、「美容師です」という自己紹介には「お洒落」や「手先が器用」などの性質が含まれている。学生はそういった肩書を持たないので、「提唱者です」などと自己紹介する必要が生まれるのだ。
学生が就職活動によって精神を崩してしまうのは、就職活動そのものが自己紹介の究極形だからだ。自分のことを知らない相手に、短い時間で自分の価値を伝えなければならない。多くの学生は、自分を語る客観的な基準を持っていないので、企業側から主観的な自慢を強制されてしまう。この「主観的な自慢」の質に序列がつけられ、採用・非採用というかたちで結果を突きつけられる。こんなにグロテスクなイベントは、他に存在しないと思う。
本来、その人の価値や面白さは、長い時間をともにすることでしかわからないものだ。本人がまだ気づいていない部分に、その人の魅力があったりすることもある。自己紹介は、そんな手続きを排して、暴力的に自分という人間を表現させようとする。
僕は自分のことを知らない人と、なるべく会いたくないと願って生きてきた。そしていまでは、そんなわがままが許されるという幸福な—そして稀有な—状況にある。作品を発表することは、僕にとって自己紹介の代替となるものだ。僕がどういう人間で、なにができるのかを、まだ会ったことのない人に知ってもらう機会だ。これまで地道に作品を発表してきたからこそ、僕は人間の精神をすり減らす自己紹介とあまり関わらずに生きることができている。そしてその事実は、僕にとって百億円稼ぐことよりもずっと価値がある。
小川 哲
1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビュー。『ゲームの王国』(早川書房)で第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。本連載を再編集した『斜め45度の処世術』(CEメディアハウス)が発売中。