現代美術作家・杉本博司とメディアアーティストとして活躍する落合陽一。
響き合う感性を持つふたりが、古今東西の事物を起点に、人類史の始源と行方、
写真というメディアの絶滅をめぐり、知的な対話を繰り広げた。
杉本博司、森山大道、レボハン・ハンイェ─知っておくべき写真表現のいま。現代の写真家たちの活動とその作品に目を向けながら、写真というメディアの奥深い魅力を浮き彫りにしていく。
『揺さぶる写真』
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杉本博司(左)と落合陽一(右)。 掛け軸の表装は杉本によるもの。床の中央に飾られた眼鏡型のオブジェは、展覧会に特別出品されている。ここでは、杉本の立体作品『数理模型』を台座に設置されていた。世代は違うものの、写真やアート、仏教や神道、茶の湯など共通する世界が多いふたり。互いを知りながらも語り合う機会はなく、5月某日、都内の立礼茶室でついに対座した。杉本が収集する古美術と自身の作品が並置された部屋に入ると、落合の視線は、床の間に設えられた掛け軸と、視力検査用の眼鏡を思わせるオブジェに引き寄せられる。
杉本 掛け軸は18世紀フランスの解剖図です。目の筋肉を剥がしていく描写はまさに〝目から鱗〟ですね。
落合 当時の医学生向けの文献を表装したものですね。
杉本 オブジェは今回の展覧会に出す最新作で、できたてホヤホヤです。台座にした彫刻と一緒に展示のトリを飾る予定です。
落合 (眼鏡型のオブジェをかけて)シャッターが付いていて、実際に作動するのが面白いですね。
杉本 脳を使ったカメラ的な装置です。これを着けて3分間、暗闇の中で過ごしてから、レリーズを押してシャッターを開き、1秒間だけ世界を見る。1秒を人間の一生、約85年とすると、3分は1万
5000年。そのような時間の感覚を体験してもらう装置です。
──〝簡易走馬灯〟ですね。本作のように「時間」をめぐる杉本さんの着想は、身辺を囲む古物や骨董との対話から生まれるのですか。
杉本 古物を見ていると、モノがあれこれ語り始めるので、時間のことを考えます。この石器は22万年ほど前のものですが、持ってみるとその時代の人間の手の感覚が蘇ってくる。持ちやすいでしょう。
杉本博司(すぎもと・ひろし)⚫︎現代美術作家。1948年、東京都生まれ。立教大学卒業後に渡米、74年よりニューヨークを拠点に活動を開始。写真のみならず、建築、古美術、舞台芸術など活動は多岐にわたり、 2017年には「江之浦測候所」を開設。ハッセルブラッド 国際写真賞、高松宮殿下記念世界文化賞など受賞多数。落合 手に馴染みますね。進化の過程が皮膚感覚で伝わってくる。
杉本 15万年前くらいになると動物を刺したり、皮を剥がしたりできるものになり、1万2000年前、つまり我々の文明に近づくと、より精度が高くなる。これなら刺身もおろせたかもしれません。
落合 うまく加工されていて、精度が高いですね。
杉本 こちらは日本の縄文時代の石のですが、アフリカでもよく似たものが発掘されているんです。直接の交流があったことは考えにくいのに、なぜ同じようなかたちになったのか不思議です。
落合 日本の鏃には返しがあって、アフリカのものにはないですね。
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「僕がやってきたのは、人間の意識の始まりや、時間について考えること」
杉本が長年にわたって収集し続けている石器のコレクション。磨製石器の精度は数万年の時を隔てて如実に進化していることがわかる。杉本 突然、宇宙的な規模で人類の脳にインフォメーションが〝降って〟きて変化が起きたんじゃないかと思うんです。土に還らない石器や土器はタイムカプセルみたいなもので、人類史のミッシングリンクに潜んでいたかもしれない超越的啓示を想像してしまう。
落合 人類は食べ物を探しながら移動し、狩猟道具をつくり続けてきました。だからオリジナルの情報が長い時間をかけて伝播してきた可能性もありますよね。
杉本 あるいはそれぞれが独立して同じ方向に進化したのかもしれないね。
発掘された場所も年代もさまざまな石の鏃。日頃から眺めるたびに考古学的な疑問と「時間」をめぐる思考を呼び起こすという。落合 あり得ますね。ふたつの集団を分けて1000年ほど置いておくと、それぞれ独自の発明を始める可能性はあると思います。
杉本 世界中ほとんどのことがデータで処理できるようになったとはいえ、物理的な世界には常に発見があります。90年代、八重洲ブックセンターの地下にある地図の部屋で、一日中「海景」の撮影場所を探していました。地形図に描かれた道や等高線を見ながら、月はここから昇るから、段差がこれくらいならこの位置に立てばチャンスがある、と仮説を立てる。頭の中で地図が立体的に浮かんでくる。〝当たるも八卦〟のアナログ的な方法だね。
落合 いまなら衛星写真で全部見えますが、むしろ解像度が上がりすぎて海の底まで見えてしまうだけでしょう。グーグルマップが、一昨日と昨日と明日と明後日が一緒になった世界であるように、オンライン上の「時間」は流れていくというより、膨大なデータの痕跡が溜まっていく。世界認識が変わってきて、ほぼ 〝犬〟化している感じです。嗅覚で世界を捉える犬にとっては、一カ月前に歩いたところも今日歩いたところも共同空間にあるので。
杉本 視覚や聴覚とは違う「時間」の感覚ですね。犬の記憶には古いものも新しいものも同時に存在しているけど、区別はつくのかな。あっちのほうに去年付き合っていた娘の匂いがするとかね(笑)。ところで、AIは高度化すると攻撃力も上がっていくでしょう。
落合 むしろ〝物がかびる〟感覚に近いと思っています。デジタルネイチャーという言葉がありますが、窓を開けているとハエが入ってくる感じに近い。放っておくとスマホにも常に危険なものが入り込んでくる。世界全体が腐りやすくなる方向に向かっていますね。
杉本 〝サイバー空爆〟みたいなものが簡単に起こせるようになると、終末論的に考えてしまうね。
落合 都市上空でそれが炸裂したら情報インフラがすべて吹っ飛んで、社会が一気に〝新石器時代〟に戻ってしまう可能性はあります。だからこそオンラインに依存せず、データを物理的に残す方法が重要で、紙でもハードディスクでも、常にオフラインでバックアップしておくことが必要なんです。
杉本 もし世界規模でサイバー攻撃が連鎖したら?
落合 僕は〝終わる〟というより、むしろ〝変わる〟方向で考えています。たとえば世界が少し白黒になる感覚。カラーであふれていた消費社会が少し落ち着くかもしれない。森みたいに鮮やかなコンビニもどこか化石みたいに見えてくる、そんな変化が興味深い。
杉本 そうなれば絶滅にも意外と味わいがあるかもしれないね。
──『杉本博司 絶滅写真』では、ニューヨークのアメリカ自然史博物館に常設展示されている「ジオラマ」を撮影したシリーズの新作と旧作が一挙公開されますね。
杉本 長年撮影許可が下りなかったジオラマを去年撮影することができて、50年経ってようやくシリーズが完結します。
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「ホモ・サピエンスは、“賢い人”から“味わう人”へ戻っていく可能性もある」
落合陽一(おちあい・よういち)⚫︎メディアアーティスト。1987年生まれ。筑波大学教授、東京大学大学院准教授。物質・デジタ ル・自然の境界を探求する作品を展開。国内外で個展を精力的に開催するほか、音楽・映像・学術など多 分野とのコラボレーションも多い。落合 ホモ・サピエンスは〝賢い人〟という意味ですけど、人間のその自己定義はこの250年くらいの科学技術時代のもので、これからのAI時代はホモ・サピエンスからついに〝サピエンス〟が取れそうですね。ラテン語の語源“sapere”には「知る」と「味わう」という意味があるから、これからは〝賢い人〟から〝味わう人〟へ戻っていく可能性もあります。
杉本 AIがすべての仕事をやって、人間は遊んで寝るだけになるなら、進化と退化の違いは一体どこなのか?ということにもなる。
落合 人間はなにをするのか。アーティストはAI化していくのか。
杉本 AIを使って作品を制作しているでしょ?
これまでも何度か展覧会で展示されてきた木造の『十一面観音立像』(平安時代)。落合 ツールとしてAIを飼いならしている感じです。二足歩行ロボットも増えてきて、現場の設営を手伝うようになるでしょう。
杉本 あと20年くらいすればロボットが作家の指示に応えてくれるかもしれないね。
落合 AIに「杉本博司風の作品」と指示すれば、なにかしら出てきますが、まだ解像感が低いですね。
杉本 絶対に私よりうまくないし、モヤっとした味が出ない。たとえば「劇場」シリーズだと、フイルムの感光中に出てくるブレとか、光が干渉する感じとか。デジタル情報はどんなに精細でも長時間露光には向かない。変なノイズが出てきます。
埴輪や土器の背景には中国の石碑に彫り込まれた漢詩の拓本。象形文字から現在の文字になっていく頃に書かれたものと思われる。吉祥寺の古本屋で見つけたという。落合 AIによってインテリジェンスが積み上がって情報処理能力がどれだけ高くなっても、〝プレゼンス〟というか、人間のコンシャスネス──意識があるという状態にはたどり着けないと思うんです。サイエンスすることと、意識があることはまったく違う。大学教員の仕事も7割くらいはAIでできます。でも学生に「研究って面白い」と伝えることは難しい。この論文は面白い、こっちはつまらない、その差はなにかっていう話はAIには難しい。アートもそうじゃないですか?
杉本 アートというのは仮説をつくることですから、その仮説が面白いと思えること自体が大事です。
落合 味わいと面白さ、ですね。
杉本 「こう考えたらなにがわかるか?」という仮説を立て予測をめぐらせる。これまでやってきたのは、写真を仮想的空間として使いながら、人間の意識の始まりや時間の意識について考えること。写真家というのは〝世を憚る仮の姿〟なんです。
