イタリア・ヴェネツィアをS字型に貫く大運河(グランド・カナル)。そこに架かるアカデミア橋から望むことのできるアート作品が、第61回ヴェネツィア・ビエンナーレに合わせて登場した。
大運河に開いた「呼吸する光の花」
アカデミア橋から眼下を望むと、歴史ある建造物でありヴェネト州政府の拠点となっているパラッツォ・バルビの建物が目に飛び込んでくる。その壁面に、淡く光る花のようなオブジェが複数登場した。独特のリズムでふわりと昇降する、幻想的なアート作品だ。
作品は運河に面した壁面に沿って、5点のオブジェを設置。いずれも花びらを表現した純白のフリルに覆われている。静止しているときはランプシェードのようにも見える。これらがそれぞれ独立して上下にゆったりと移動することで、揺られながら花びらがゆっくりと閉じ、また開いてと、柔らかなリズムを演出。まるでダンスのような、そして呼吸するかのような生命感を帯びる。
グランド・カナルの水面の揺らぎや風に呼応し、河面に光を反射させながら、大運河をも舞台装置に取り込む趣向だ。作品を取りあげたイタリアの建築・デザインWebマガジンのデザインブームは、橋の上からはもちろん、行き交うボートからも鑑賞できると、作品の楽しみ方を案内している。
本作はオランダのアートスタジオ「ドリフト(DRIFT)」が手がけた作品、『シャイ・ソサエティ(Shy Society)』だ。現代美術の世界最大級の祭典である第61回ヴェネツィア・ビエンナーレに合わせ、5月3日〜10日までの期間限定で公開された。
5年間の研究を重ねた先行作品
原型となった同スタジオの過去作に、美術館の静謐な室内で展示された花型インスタレーション『シャイライト(Shylight)』がある。その繊細な動きが、10年後の今回、大運河へ解き放つ大がかりなプロジェクトへと昇華した。
ドリフトの共同創設者、ロネケ・ゴルダインはニューヨーク・タイムズに対し、「コンセプトは同じです。ですが、サイズも素材もテクノロジーも、すべてが違います」と語る。屋外に出すには、事実上ゼロからの再設計が必要だったという。
屋内版「シャイライト」を包んでいたシルク素材では、風雨に耐えられない。代わりに選ばれたのが、雨は通しながらも光を拡散する、薄い編み目のナイロン生地だ。風に舞う優美な動きや繊細な光の透過加減を同等に保ちながらも、まったく環境の異なる屋外展示に耐えるタフな造りへと進化した。
ヴェネツィアでは固定にも神経を使ったという。展示場所は歴史的建造物であるがゆえに、その外壁には穴ひとつ開けられない。そこで、建物の内側におもり(カウンターウェイト)を置いて架台を固定し、窓から外へ張り出す方式が採用された。2024年にはフィレンツェで半屋外版を先行展示しており、このときの経験が幸いにも今回のヴェネツィア版への足がかりになった。
原型となったシャイ・ライトでは実に5年にわたる研究期間を費やし、動きに調整を重ねている。各オブジェは花の就眠運動に倣って動くよう設計されており、これは一部の花が昼夜のリズムに合わせて花弁などを周期的に動かす現象を指す。花粉を夜の低温時に守るためではないか、などと考えられている。これに着想を得て、天候にリアルタイムで反応するよう作品を設計した。
加えて、本作シャイ・ソサエティでは、動きのリズムに人間の安静時心拍数を取り込んでいるという。思わず見入ってしまう不思議なリズムには、植物や人間が持つ根源的な動作が隠されている。
タンポポの種から芽生えたアートスタジオ
ドリフトが自然と光の融合をテーマに取り入れ始めたのは、いまから約20年前のことだ。
その原点となった彫刻作品が、『フラジャイル・フューチャー(Fragile Future)』だった。同作では、タンポポの綿毛を一粒ずつ、手作業でLEDに接着していった。途方もなく地道な工程だが、ニューヨーク・タイムズによると、チームはいまも毎春タンポポを採集し、制作を続けているという。
その後、花のように静かに開閉する『シャイ・ライト』で、同スタジオは初めて光を動かし始めた。ニューヨークのリンカーン・センターやミュンヘンのピナコテーク・デア・モデルネで展示され、アムステルダム国立美術館では永久コレクションに収蔵されている。
同館の20世紀美術担当学芸員ルード・ファン・ハーレム氏はニューヨーク・タイムズに、「空中の魅惑的なバレエだ」と語っている。彫刻が閉じても、鑑賞者はその場を離れない。ふたたび動き出す瞬間を、じっと待ち続けるのだという。
約50名のスタッフを抱えるドリフトは、スタジオ設立20周年を翌2027年に控えた今年、大規模インスタレーションを常設展示する8000㎡規模の美術館をアムステルダムに構える予定だ。
シャイ・ソサエティでは、人々が行き交う都市の片隅に、心温まる風景を登場させた。自然の力に着想を得た作品を、ドリフトは今後も送り出してくれそうだ。
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