画家たちの人生はいつも事件だらけ!? しかし、そうしたエピソードやスキャンダルが彼らをレジェンダリーな存在にしたのも事実のようだ。美術家・「6次元」主宰のナカムラクニオに話を聞いた。
印象派が登場し始めた119世紀中頃は、中産市民階級が台頭し、人々の楽しい“日常”が街にあふれ出した時代。画家たちはそんな暮らしを題材に新たな絵画を生み出し、1874年に「印象派」という言葉が誕生した。今号では、印象派や彼らと関わりのある画家たちが見つめた“日常”に注目。当時の社会を紐解きながら、現代の視点で読み解いた、 新たな印象派の魅力がここにある。
『自由な視点、その創造性――印象派を読み解く』
Pen 2026年2月号
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画家たちの人生はまさにドラマ!「印象派事件簿」
なぜ、印象派はこれほどまでセンセーショナルな存在になり得たのか。美術史に詳しく、モネやセザンヌらが残したアトリエなども現地取材してきたナカムラクニオは、その要因に、彼らがスキャンダラスな存在でもあったことを指摘する。
「印象派の画家たちは、サロンを中心とした伝統的な絵画の評価のあり方に異を唱えたグループ。いわば異端でした。その前にも、印象派に先駆けて戸外制作を実践し、フランスの風景絵画に革命を起こしたバルビゾン派という芸術家グループもいましたが、彼らはどこかおとなしめ。印象派のほうが残した作品数が多いというのもありますが、バルビゾン派より彼らの知名度がいまでも高いのは、それぞれキャラクターが立ち、個性的だったのも関係があると思います」
彼らがサロンに抵抗して開いた『印象派展』も当初は酷評された。新聞に「この展覧会に入るなんて無分別なことだ」などと揶揄する挿絵付きの記事が出るほど。
「炎上マーケティングではありませんが、批評家やメディアに非難されるほど、印象派の存在は世に知られていき、次第に作品が売れるようになっていったところもあります。また、面白いのは、マネとモネに起きた事件。ある日、マネは、自身の作品の近くに飾られていたモネの作品を見て激怒しました。モネの絵が自分の作風と少し似ていて、『モネ』のサインも『マネ』のそれにそっくり。〝これは便乗商法だ〟と言いがかりをつけたのです。以降、モネは絵にフルネームでサインするようになりました」
振り返れば、彼らの人生は波瀾万丈で、それがある意味、伝説になっている。サロンで落選し絶望したモネがセーヌ河に飛び込んだり、セザンヌが友人からの手紙で内縁の妻と子どもがいることが父親にバレてあたふたしたり。嫉妬などによる喧嘩もあった。
「みな、偉大な画家のように神格化されていますが、現代人と同じように恋愛問題、金銭問題に悩み、苦しみ、こじらせたりしながら生きたのです。そう思えば、彼らの作品も、どこか親近感が湧いて見えてきます」
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File 1. モネ、セーヌ河に身投げし、自殺未遂
恋人カミーユとの間に長男のジャンが誕生し、喜びに満ちていた一方、絵が売れずパンも買えないほどの極貧状態にあったモネ。カミーユとの交際を反対していた父親からも仕送りが打ち切られ、またサロン落選の絶望感から、1868年、彼は衝動的にセーヌ河に身を投げて自殺を図る。幸いにも、大事に至らずにすんだが、その後もサロンに続けて落選。さらに最愛のカミーユを病気で亡くすなど苦悩と苦労の連続だった。
File 2. モネとサインが似ていてマネ、激怒
印象派の兄貴分だったマネ。ある時、彼がサロンの展示室に入ると、自身に描き覚えがない作品が賞賛されていて、驚いた。よく見ると絵には紛らわしい「モネ」のサイン。モネはマネの作品を模倣していた時期でもあり、みな、これはマネの絵だと勘違いしていたのだった。マネは、モネを「自分を利用して有名になろうとしている」と怒り心頭。和解はしたものの、モネは以降、フルネームで自身の作品にサインするようになる。
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File 3. セザンヌ、友人の手紙で内縁の妻と子の存在がバレる
銀行家の父から金銭的な援助を受けていたセザンヌは、絵のモデルだったオルタンス・フィケとの内縁関係、そして息子ポールの存在を父に隠していた。しかしある日、友人からの手紙に「セザンヌ夫人とポール坊や」と書かれていたのを父が見つけ、秘密が明るみに。父は怒り、援助を半減する!とセザンヌに言い渡す。打ち切りでなく半減とは、甘い父のようにも聞こえるが。セザンヌとオルタンスはその後、結婚した。
File 4. 貴婦人には、よろしくない絵画です
当初、『印象派展』の評判は酷く悪かった。1877年、『第3回印象派展』が開かれた際、パリの風刺新聞『ル・シャリヴァリ』が、警察官が妊娠中の貴婦人に向かって「気分を害すから入場しないほうがいいですよ」と忠告する様子を描いたカリカチュアを掲載。画家たちが描いた、顔や身体に青い影を落としたその姿が、死体のように見えたからだ。ただ、そうやって炎上するほど、印象派は世の中に知られていく。
File 5. マネ、ドガの絵を真っ2つに切り裂く
よき友好関係にあったマネとドガは、その友情の証しに互いの絵をプレゼントし合った。ドガが贈ったのはピアノを弾くマネの妻シュザンヌと、それを見守るマネの姿を描いたもの。しかし、マネはそれが気に入らず、なんと2つに切り裂いてしまう。理由は、シュザンヌの顔が似ていなかったからともいわれるが真相は闇のなか。この『マネとマネ夫人像』はカンヴァスが継ぎ足され、現在、北九州市立美術館に収蔵されている。
ナカムラクニオ
美術家・「6次元」主宰。1971年、東京都生まれ。荻窪「6次元」を主宰。金継ぎ作家としても活躍。『金継ぎ手帖』、『こじらせ恋愛美術館』、『洋画家の美術史』、『モチーフで読み解く美術史入門』、『一気読み西洋美術史』など著書多数。現在、フランスの近代絵画についての本を執筆中。

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