1925年にパリで開催された通称“アールデコ博”から今年で100年。機能性と装飾性が調和した美学は腕時計の造形にも大きな影響を与え、多くの名作を生み出した。そのDNAは世紀を超えていまも息づく。現在にアールデコスタイルを引き継ぐモデルとともに、紹介する。
2025年は腕時計の“名作”が改めてフォーカスされた1年であった。そして、名作と呼ばれる腕時計には、一つひとつの物語がある。時代を超えて受け継がれる100本の腕時計、その“物語”を読み解いていこう。
『未来へ受け継ぐ 名作腕時計、100の物語』
Pen 2025年12月号
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腕時計の造形を拓いた、産業と芸術の融和
一般にアールデコは、20世紀初頭に興り、1930年代まで続いた美術・工芸・建築の大きな芸術潮流であると認識されている。ではアールデコの華やかさは過去に追いやられ、追憶を残すのみだろうか。少なくとも、腕時計におけるアールデコの存在は、それを否定する。アールデコの萌芽期に誕生し、アールデコを体験し、現在もアールデコを生きている腕時計がある。それは過去を模倣するノスタルジックなアールデコ「調」ではない。その理念を継承しながら、時代の感性とともに進化してきた「現役の様式」である。事実、アールデコを経由した時計ブランドは、少なからず現代も製造をやめていない。アールデコウォッチを1世紀つくり続けるブランドも存在する。また、アーカイブを掘り起こして新たに復刻に踏み切る場合もあり、新規参入も多い。
アールデコとは、19世紀末のアール・ヌーヴォーが自然の曲線や花の意匠を理想としたのに対し、幾何学と直線、そして金属やガラスなどの新しい素材を用いて、近代の合理性を美へと昇華させた様式である。その精神は、自然を模倣するのではなく、機械や構造そのものの造形美を見出した点に革新性がある。その理念は1917年のカルティエ「タンク」や31年のジャガー・ルクルト「レベルソ」など腕時計にも息づき、機能と装飾の融合としてかたちを得た。
25年、芸術と産業の融合を理想としたパリ・アールデコ博(現代装飾芸術・産業芸術国際博覧会)で、その様式は頂点を迎える。先立つ1900年代初頭から20年代は、腕時計の黎明期でもあった。ポケットウォッチから決別したモダンなデザインが登場し、幾何学的な線の配置、抽象的な装飾要素、白色金属の採用など、アールデコを象徴する要素が次々と具現化された。鉄道線路を意匠化したレイルウェイミニッツトラックは、産業と芸術の接点を象徴する重要なモチーフとなった。
腕時計のデザインはアールデコと歩調を合わせ、産業と美術の調和を目指した理念は、腕時計の存在そのものに重なった。やがてアールデコがアメリカに伝播し、より華やかなアメリカン・アールデコを花開かせるのと同調し、腕時計のアールデコも爛熟していく。
現在、建築や美術の様式としては影響力を失ったアールデコだが、腕時計の世界ではその後も人気を保ち、いまなお強い影響力を残している。それはアールデコが内包する「産業と芸術の融和」というテーマが、今日まで続く、ただ時間を知るための道具ではない腕時計の存在意義に重なっているからだろう。アールデコは、機能性と装飾性の調和をアートとして昇華し、現在に続く。腕時計において、アールデコは決して終わっていないのである。
【アールデコ期を彩ったデザイン・芸術・建築】
①ニューヨークのクライスラー・ビルディング
1930年竣工、華麗なアメリカン・アールデコを代表する建築、クライスラー・ビルディング。ステンレス製のウロコ状の尖塔部分は、アールデコの装飾性を語る好例。
②タマラ・ド・レンピッカの人物画
当時を代表する画家、ワルシャワ出身のタマラ・ド・レンピッカ。幾何学的な構成と光沢ある質感で人物を描いた。1927年の『Young Girl in Green』は、その象徴的な作品と言えるだろう。
③カッサンドルのポスター
1927年にフランスのカッサンドルが描いた『北方急行 (NORD EXPRESS)』のポスター。骨太の直線で横から汽車を描く力強い作風は、アールデコ期グラフィックの代表作。
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腕時計に表れた、アールデコのデザイン要素

①幾何学的フォルム
交差する直線で構成されたフォルムは、アールデコの一大特徴。丸型の懐中時計との決別の象徴となった。
②抽象的装飾
自然モチーフの有機的な装飾を排し、直線や円などの抽象化された無機的なモチーフ自体が装飾要素となった。
③古典への憧憬(ローマ数字)
古典美への回帰が強まり、ギリシャ・ローマ時代の様式をリスペクト。ローマ数字が積極的に採用された。
④レイルウェイミニッツトラック
近代産業を象徴するシュマン・ド・フェール(鉄道線路)模様が、分目盛りとして文字盤に装飾された。
⑤白色金属の採用
イエローゴールドに代わり、プラチナや銀、ホワイトゴールドなど白色金属が多用され、モダンな洗練を体現。
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アールデコ期に生まれた、いまも受け継がれる名品
ロンジン「ロンジン ドルチェヴィータ」
1832年に創業したスイスの大名跡ロンジンにとって、アールデコ期は創業から100年目前後にあたる。「ロンジン ドルチェヴィータ」の原点となるレクタンギュラーシェイプのモデルが誕生したのは1927年のことだ。それから70年を経て97年に誕生した現行モデルの人気は現在に至る。スクエア状のレイルウェイミニッツトラックを中央に配したレクタンギュラーダイヤルは、いま見てもなお新鮮に映る。
ヴァシュロン・コンスタンタン「ヒストリーク・アメリカン 1921」
過去のアーカイブを現代に蘇らせる「ヒストリーク」コレクションの人気モデルで、1921年にアメリカ向けに製造されたモデルを2009年に現代的に再解釈。右肩のリューズ、傾いたエキセントリックな文字盤は自動車のステアリング操作時の視認性を重視したもの。「狂騒の20年代」に花開いたアメリカン・アールデコの精神を現代に映す。
ティソ「ヘリテージ バナナ」
ティソの「バナナウォッチ」は、1916年に製作された当時のロシア帝国向けモデルを復刻したもの。特徴はバナナのように全体が湾曲したケース、数字をケースに合わせるように大胆に変形させたダイヤルだ。パリを中心として花開いていった当時の初期アールデコの香りを振りまくような華麗さが眩しい。そのエッセンスを凝縮してウラル山脈の向こうに伝えたデザインはいまも斬新。
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いま再び息づく、アールデコスタイル
ジラール・ペルゴ「ヴィンテージ1945 グレー 日本限定モデル」
ジラール・ペルゴ自身が製作した1945年のモデルをルーツとするコレクション。当時はアメリカン・アールデコの終焉期であり、モダニズムの流行を前にアールデコスタイルを回顧する、レトロスペクティブな性格を持つモデルでもあった。レトロモダンの流行を象徴する好例であり、本モデルは、繊細なグレーの色合いを基調とした日本限定モデル。
ハミルトン「ボルトン」
1940年の誕生当時は生粋のアメリカンブランドとして米国内に生産拠点を置いていたハミルトン。「ボルトン」は本物のアメリカンクラシックスタイルとアールデコが融合した、独特のフォルムのケースが魅力だ。現代風なデザインのチューニングを与えられながらも、レイルウェイミニッツトラックなどのアールデコ的ディテールは不変。アメリカン・アールデコ時代の雰囲気を現代にキャリーオーバーするモデルである。
フランク ミュラー「ロングアイランド デコ」
2025年に25周年を迎えた「ロングアイランド」の最新作。「デコ」の添え句が示す通り、レイルウェイミニッツトラックがオーバルからスクエアになり、センターのセクションにはギョーシェ装飾を施した。特徴的なビザン数字とともに、多彩な引き出しを持つフランク ミュラーの中でも重要と位置づけるアールデコスタイルを明確に表現した、ブランドを象徴する代表作のひとつだ。
フレデリック・コンスタント「クラシック カレ オートマチック」
クラシカルなスタイルを特徴とする「クラシック」コレクションの中でも、2003年に初登場した「カレ」はアールデコの典型的なデザインを積極的に取り入れていたモデルだ。ハートビートをのぞかせるスタイルがブランドの特徴ではあるが、本モデルは直線を強調したケースフォルム、角形のレイルウェイミニッツトラックといった正調アールデコデザインだ。

並木浩一(桐蔭横浜大学教授/時計ジャーナリスト)
1961年、神奈川県生まれ。1990年代より、バーゼルワールドやジュネーブサロンをはじめ、国内外で時計の取材を続ける。雑誌編集長や編集委員など歴任し、2012年より桐蔭横浜大学の教授に。ギャラクシー賞選奨委員、GPHG(ジュネーブ時計グランプリ)アカデミー会員。著書に『ロレックスが買えない。』など多数。

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