アメリカを代表するウイスキー、ジャックダニエル。年間販売量は1億7000本以上、その製造を支えるのは、創業の地リンチバーグにあるジャックダニエル蒸溜所と、代々ウイスキーづくりに携わる人々だ。後編では、ブランドの成り立ちと蒸溜所の歴史を紹介する。
小さな町リンチバーグが支える、世界的なブランド
年間販売量は1400万ケース(約1億7000万本)を超え、アメリカンウイスキーとしては世界ナンバーワンの販売総数を誇る「ジャックダニエル」。独特な形状の四角い瓶と黒いラベル、そして甘くまろやかな味わいのウイスキーは、フランク・シナトラをはじめとする数々のミュージシャンやアーティストたちにも愛され、いつしかアメリカンカルチャーを代表するアイコンともなった。
そんなジャックダニエルを生む町が、テネシー州ムーア郡のリンチバーグだ。ジャックダニエルの古いボトルに表記されていた「POP 361」はかつてのリンチバーグの町の人口。いまではその倍近くまで人口が増えているが、その半数以上がジャックダニエル蒸溜所で働くという。何世代にもわたりウイスキーづくりに従事する人も多く、まさにこの小さな町やそこに住む人々とともに歩み続けてきたことがジャックダニエルの誇りだ。
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リンチバーグの人々ともに歩み続けてきた、ジャックダニエルの歴史
音楽の都としても知られる観光都市ナッシュビルからは車で1時間ほど。毎年、小さな町には年間30万人以上の観光客が訪れる。もちろん彼らのお目当ては、ジャックダニエルが生まれる蒸溜所だ。
約3000エーカーという広大な敷地に立つ蒸溜所は、リンチバーグの町の中心部から1マイルと離れていない場所に立つ。現在も蒸溜所内に湧く、ケーヴ・スプリング・ホロウの良質な水を見初めた創業者のジャスパー・ニュートン・ダニエルが、地主から洞窟周辺の土地を借り受けてウイスキーづくりを始めたのがジャックダニエルのスタートだ。
“ジャック・ダニエル”の愛称で人々に愛されたジャスパー・ニュートン・ダニエルは、1850年頃(1848年~1850年の間とされており正式な生誕年は分かっていない)にダニエル家の10人目の子として誕生するも、その数ヶ月後に母が他界。継母との折り合いが悪く幼くして家を飛び出し、7歳の時にはリンカーン郡のダン・コール牧師の家で働くようになった。
コール家では雑貨店を営む傍ら蒸溜酒づくりも行っており、そこでジャックはウイスキーの製造を学ぶことになる。幼いジャックに酒づくりを指導したのは、コール家の奴隷だったネイサン・”ニアレスト”・グリーン。ウイスキーづくりの名人であり、ジャックにリンカーン・カウンティ・プロセスを伝えるなど、テネシーウイスキーの礎を築いたとされる人物の一人だ。
ジャックが13歳でコール家の蒸溜所を買取り、酒造りの拠点を現在のケーヴ・スプリング・ホロウ周辺へと移すことになっても、二人の関係は変わらずその友情は終生にわたり続いた。そして南北戦争が終わった1866年、ジャックは合衆国政府による規制や酒税の徴収が始まることを見越し、自らの名を冠したジャックダニエル蒸溜所を正式に登録。合衆国で初めて公式に認められたウイスキー蒸溜所で蒸溜責任者を務めたのも、他ならぬネイサン・ニアレスト・グリーンであり、彼の子どもたちもジャックのウイスキーづくりを手伝ったという。
その後、ジャックが「オールドNo.7」と名付けたウイスキーは、ミズーリ州セントルイスで開かれた1904年の万国博覧会と、翌年のベルギーでの万国博覧会で立て続けに金賞を獲得し、その品質は世界に知られることになった。しかし1910年には他の州に先駆けテネシー州で禁酒法が施行され、蒸溜所は操業停止を余儀なくされる。
さらに1911年には、オフィスにあった金庫を蹴って負った怪我が元でジャックが逝去。その跡を継いだのが甥のレム・モトローで、レムは他の州で酒造りを続けながら、蒸溜所を製粉工場として稼働させるなどして存続させた。1930年には工場が大規模な火災に遭うなど困難もあったが、テネシー州で禁酒法が撤廃された1938年にはいち早く蒸溜所を再建。二代目となるマスターディスティラーを務めた弟のジェス・モトローとともに、今日へと続くジャックダニエルのウイスキーづくりを復活させた。現在も蒸溜所で行われているのは、そんな創業者一族の時代からの伝統を踏襲したウイスキーづくりだ。
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ジャックの時代から変わらない風景が残る蒸溜所を歩く
1972年にはアメリカ合衆国の国家歴史登録財にも指定され、一部の建物などが文化財として保護される。そんな歴史ある蒸溜所をガイド付きで巡ることができるツアー(有料のみ)では、、チャコール・メローイングからケーヴ・スプリング・ホロウ、実際にジャックが執務したというオフィス棟や、発酵から蒸溜、熟成、そしてボトリングまでの工程が見学できる。
ジャックがこの地で蒸溜を開始した当時から変わらない景色が残る蒸溜所を散策し、ジャックやグリーン親子が美味しいウイスキーをつくり、それを人々に届けるために奮闘した日々へと思いを馳せる−−。この場所でしかできないそんな体験は、遠く離れた地でジャックダニエルを飲んできたウイスキーファンにとって、間違いなく特別なものになるだろう。
そしてもちろん特別な体験といえば、ジャックダニエルのテイスティングだ。蒸溜所のあるムーア郡はいまもアルコール飲料の販売が法律で禁止されているドライカウンティで、かつてはジャックダニエルでもウイスキーの販売や飲酒が禁止されていた。しかし2012年にはムーア郡の法律が修正され、蒸溜所内での試飲が可能に。いまではすべてのツアーが試飲付きとなっている。
バレルハウス内を改装してつくられたテイスティングルームでは、「オールドNo.7」や「ジェントルマンジャック」、「ジャックダニエル テネシー ハニー」といった日本でもお馴染みの定番アイテムに加え、日本未発売の「ジャックダニエル ボンデッド ライ」や「ジャックダニエル テネシー アップル」、さらには「シングルバレル」用のバレルサンプル3種もテイスティング。ジャックダニエルには選び抜かれた一樽のみをボトリングした「シングルバレル」という製品があるが、実は一樽での購入も可能だ。
「私たちはフルバレルセレクションとして、みなさんに自分だけのプライベートな樽を選んでもらえる機会を提供しています。多くの酒販店やバーのオーナー、ミュージシャンやビジネスリーダーの方などが蒸溜所を訪れ、自分の個性やスタイルを反映した一樽を選んで購入されているんですよ」
そう説明するクリスによるとフルバレルセレクションの人気は高く、国内外から多くの人が蒸溜所を訪れる理由の一つにもなっているとか。
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いまもなお、ジャックの信念が生き続ける街
ぜひ蒸溜所とセットで訪れたいリンチバーグのレストラン「ミス・メアリー・ボボズ」。南部のおもてなしと美味しい料理が楽しめる店では、ホスト役の地元のご婦人にリンチバーグの町やジャックダニエルについての昔話を聞かせてもらった。
「ジャックダニエル蒸溜所を訪問されたらぜひリンチバーグの町を訪れて、南部の料理やおもてなしを楽しんでください」と、クリスは話す。
「そしてぜひ町の人々と語り合ってみてください。リンチバーグに住む多くの人たちはジャックダニエルとの関わりを持っています。あなたがジャックダニエル蒸溜所に来たのだと話せば、きっと誰もがそれぞれのジャックダニエルとの物語を聞かせてくれるはずです」
小さな町で生まれた、世界で最も有名なウイスキー。創業者の「Every day we make it, we’ll make it the best we can(我々は日々、最高のものを追求する)」といった理念がいまも息づく蒸溜所やリンチバーグの訪ねた今回の旅で、ジャックダニエルがなぜこれだけ多くの人々に愛されるのかが理解できたような気がした。
前編では、創業者から受け継がれてきたジャックダニエルの製法などレポート。歴史と革新を感じるウイスキーづくりをチェックしよう。
Jack Daniel Distillery
133 Lynchburg Hwy, Lynchburg, TN 37352
www.jackdaniels.com/visit-us/tours