東京・目白台の永青文庫では、現在、『永青文庫 近代日本画の粋―あの猫が帰って来る!―』が開催されている。どこかで出会った気がする「あの猫」—そう、菱田春草の代表作『黒き猫』をはじめ、横山大観や下村観山など、近代日本を代表する画家たちの優品を一堂に紹介する展示の見どころとは?
目白台の閑静な住宅街に位置する、大名家の美術館・永青文庫
目白通りから一本の細道を折れ、静かな住宅街へと足を向けると、鬱蒼とした樹木に囲まれた白い風格のある建物が姿を現す。肥後熊本54万石を治めた細川家の下屋敷跡に佇む永青文庫は、東京で唯一の大名家の美術館。南北朝時代の頼有を始祖とする細川家は、近世に初代藤孝(幽斎)と2代忠興(三斎)が大名家の礎を築き、3代忠利以降、約240年にわたり熊本藩主を務めた。
永青文庫の名は、中世細川家の菩提寺である建仁寺塔頭・永源庵の「永」と、初代藤孝の居城・青龍寺城の「青」に由来する。そして細川家に伝わる美術工芸品や歴史資料に加え、設立者16代細川護立の蒐集品を所蔵。その数は実に国宝8件、重要文化財35件を含む、およそ9万4000点にも及ぶ。また建物は、1930年に建てられた細川家の家政所を展示施設として活かしたもの。古い書棚や重厚な調度品に囲まれた展示室が広がり、長い歴史の息吹が感じられる。
菱田春草の傑作『黒き猫』を、初めて本格的に修理
『黒き猫』は、春草が36歳のとき、亡くなるわずか1年前に描かれた作品。第4回文展への出品作で、当初は屏風『雨中美人』を出す予定だったものの、着物の色などが思うようにいかず制作を断念。期日が迫るなか、わずか5〜6日ほどで仕上げられた。柏の幹に身をうずめ、正面をじっと見つめる黒猫は、墨の暈しによって柔らかな毛並みが表現され、見事な立体感を備えている。一方、柏の葉は金泥と緑青で平面的に描かれている。この装飾的な柏と写実的な黒猫との調和により、高い評価を得た。
制作から約100年が経過した『黒き猫』は、大きな損傷こそ見られなかったものの、掛軸全体が波打ち、本紙にはシミが生じ始めて、裏面には浮きも確認された。そこで作品をより良い状態で後世へ引き継ぐため、約1年をかけて初の本格的な修理を行った。まず本紙の汚れを丁寧に除去し、解体したのちにウエットクリーニングを実施。さらに墨や絵具を安定させる「剥離止め」の作業や、本紙を裏側から支える裏打ちを施し、最後に掛軸装として仕立て直された。---fadeinPager---
設立者、細川護立が蒐集した近代日本画コレクション
この『黒き猫』は一体、どのような経緯によって護立へと渡ったのだろうか。実は文展で発表された当初、この作品を最初に購入したのは護立ではなく、春草のパトロン・秋元洒汀だった。千葉で味醂の販売業を営む傍ら、大観らの作品を蒐集した人物で、中でも春草を熱心に支援していた。しかし大正期に入ると蒐集品を次第に手放し、『黒き猫』も代表作『落葉』などとともに護立の所有となる。護立は春草と言葉を交わす機会こそほとんどなかったものの、その作品に早くから強く惹かれていた。
16歳にして早くも刀剣や禅画の蒐集を始めていた護立は、ほどなくして近代日本画にも関心を抱くようになる。東京帝国大学在学中の24歳の時には、まだ世間での評価が定まっていなかった大観、春草、下村観山、木村武山の作品を初めて購入した。その後、多くの画家たちと親しく交流を重ねながら優れた作品を集め、コレクションは永青文庫へと受け継がれていく。なお護立は、作品の入手経緯や感想を折に触れて記しており、会場ではそうした彼自身の言葉も紹介されている。
肥後細川庭園を散策しながら、四季の風情を楽しむ
この護立がコレクションした近代日本画にも見逃せない作品が少なくない。大観の『柿紅葉』とは、琳派への傾倒も感じられる色鮮やかな屏風作品。右隻には竹と赤松が並び、2羽の鶉が左隻に広がる柿紅葉へと視線を誘っている。また大観や観山、それに小林古径などによる小襖や扇といった暮らしを彩る品々にも目を向けたい。小襖は護立の自邸、もしくは別荘用に制作されたもので、扇も多くが護立による注文作であると見られている。
近代日本画の名品を存分に堪能したあとは、石門をくぐって隣接する肥後細川庭園を訪ねたい。細川家の下屋敷跡にあるこの庭園は、目白台の地形を巧みに生かした都内有数の池泉回遊式庭園。台地を山に見立てた立体的な眺望が魅力で、春には紅白梅、秋にはモミジの紅葉が彩りを添える。永青文庫の静謐な美の世界から自然へと続く散策は、細川家の美意識と時の流れを体感できる贅沢なひと時となる。
『永青文庫 近代日本画の粋―あの猫が帰って来る!―』
開催期間:開催中~2025年11月30日(日)
※前期:10月4日(土)〜11月3日(月・祝)、後期:11月7日(金)〜11月30日(日)
※前・後期で大幅な展示替えを行います。
開催場所:永青文庫
東京都文京区目白台1-1-1
開館時間:10時〜16時30分 ※最終入館は16時まで
休館日:月、11/4(火)、11/5(水)、11/6(木)、11/25(火)※ただし11/3、11/24は開館
入館料:一般 ¥1,000
www.eiseibunko.com









