【対談】建築家・田根剛×木村絵理子が語る、記憶を受け継ぐ場所としての弘前れんが倉庫美術館

  • 文:はろるど
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弘前れんが倉庫美術館の開館5周年を記念して、弘前れんが倉庫美術館の設計者である建築家の田根剛と、同館長の木村絵理子によるトークイベントが、2025年7月に銀座 蔦屋書店にて行われた。田根が木村とともに語った、弘前れんが倉庫美術館の活動を通して考える、未来に向けた建築、そしてミュージアムのあり方とは?

長く工場として使われていた煉瓦倉庫。美術館として生まれ変わるきっかけ

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弘前れんが倉庫美術館 外観 ©︎Naoya Hatakeyama

明治・大正期に日本酒の醸造所として建設され、戦後シードル工場として使われていた建物を改修し、2020年に開館した弘前れんが倉庫美術館。1960年から65年まではニッカウヰスキー弘前工場として操業し、工場としての役割を終えた後は、吉井酒造株式会社が建物を所有、管理し、米倉庫などとして利用されてきた。

その建物の活用が模索されたのは1980年代末のこと。美術家・村上善男らによる「煉瓦館再生の会」が活動をはじめる。そして2001年に当時のオーナーだった吉井酒造の吉井千代子と弘前市出身の美術家・奈良美智との出会いをきっかけに、2002年から06年にかけて3度、奈良の展覧会が開かれた。

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奈良美智『A to Z Memorial Dog』2007年 弘前れんが倉庫美術館蔵 ©︎Yoshitomo Nara Photo: Naoya Hatakeyama

木村:2006年の奈良さんの展覧会『YOSHITOMO NARA + graf A to Z』もそうでしたが、当時の煉瓦倉庫はまだ美術館ではなかったので、そもそもスタッフがいません。では誰がその展覧会に携わるのかというと、市民の方を中心としたボランティアでした。作品の設営は奈良さんのチームが行いますけど、チケットの販売などを含めて、弘前の人たちが手づくりで運営したようなかたちになりました。

木村:この展覧会の終わった後、奈良さんがボランティアをしてくれた市民に対してお礼をしたいということで、いまはエントランスのところに展示されている『A to Z Memorial Dog』を寄贈してくれたのです。このように過去の歴史を引き継ぎながら、私たちの美術館があるということを、1回1回の展覧会を積み上げながら大切にしたいと思っています。

エストニア国立博物館の仕事を終え、弘前れんが倉庫美術館の設計を担う

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エストニア国立博物館 ©Propapanda / image courtesy of DGT.

3度の奈良美智展が大きな契機となって、2015年に弘前市が土地と建物を取得し、2017年から美術館の開館準備がスタートする。そして建築家の田根剛の設計により、約2年間の改修工事が行われた。

田根:2016年10月、実に10年越しの仕事だったエストニア国立博物館が竣工しました。それを終えてやっと一息ついたと思ったら、約1ヶ月後に弘前れんが倉庫美術館のプロポーザルがあったのです。ぜひやりたいと思って参加したのですけど、実は締め切りが間近だったという…。年明けに帰国してすぐ弘前へと向かい、雪の降る中、暖房もなかった当時の煉瓦倉庫を2時間くらい見て回ったことを覚えています。

田根:弘前は江戸時代に城下町として栄えた長い歴史を持っています。それだけではなく古い洋館や教会、昭和を感じさせる商店街があったりと、色々な時代の違う建物が残っている魅力ある街です。ただ使われていなかった煉瓦倉庫を前にして漠然と感じたのは、「ここで現代アートの美術館を運営するのは簡単ではない…」ということでした。---fadeinPager---

コンセプトは「記憶の継承」。レンガ造りの建物を残すために

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弘前れんが倉庫美術館 内観 Photo:Kuniya Oyamada

「記憶の継承」をコンセプトに、耐震補強を施しながら、本来の建物の姿をできる限り残して行われた改修。レンガの剥き出しの壁はもちろん、かつてシードルを貯蔵するためにタンクが並んでいたコールタール塗料による黒い壁面のある展示室も、美術館の建築として極めてユニークだ。

田根:こういった改修は改築、リノベーションと呼ばれますけど、ぼくたちはコンティニュエーション、延築いう新しい概念を持ち込みました。100年もの長い間、そこに建っている煉瓦倉庫の時間を未来に向けて引き伸ばす、つまり先人が積み上げたレンガの建物にこれからの時代もレンガを増やしていくようなイメージで次の世代に受け継いでいく、そうした未来への建築の継承を提案しました。

田根:レンガ造りは古代から続く優秀な建築技術ですけども、現代の耐震の観点からすると保存が難しいのも事実です。ただこの古いレンガは絶対に残したい。そこで9メートルのレンガの上に小さな穴を開けて鉄筋を上から1メートルごとに刺して、レンガに緊張感を持たせながら構造としても成り立たせるという特殊な工法を用いました。

木村:しっかりとした強度がありながら、外壁と内側の壁との間に何も手が加わっていないように見えるのが不思議な感じがします。建物としては本来の状態が保持されたまま、機能は現代的になっています。

田根:鉄筋を串刺しにしたことで、前に残っていた漆喰の壁にクラックが入ってしまいました。これはどうしたものかと思案しながら、漆喰を剥がしたら100年前のレンガの壁が戻って来たんですよね。「うん、これはいい」と。最終的には既存のレンガ壁と漆喰から現れたレンガ、さらに新たに足したレンガと、一つの建物の中で異なった時間のレンガの対話が生まれました。

過去の記憶を重ねながら、この場所でしか出来ない展覧会を

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ジャン=ミシェル・オトニエル『エデンの結び目』2020年 弘前れんが倉庫美術館蔵 Photo: ToloLo studio

サイト・スペシフィック(場所性)とタイム・スペシフィック(時間性)をコンセプトに掲げる弘前れんが倉庫美術館。サイト・スペシフィックでは建築や地域に合わせたコミッション・ワーク(新たな作品制作)を重視し、完成した作品を展示して収蔵するという流れによって、弘前ならではのコレクションをつくることを目指している。

一方のタイム・スペシフィックとは、煉瓦倉庫の可能性を生かした柔軟な方法で空間を運用し、年間プログラムを構成すること。また作品も短期や長期などの異なるリズムで展示される。

木村:どこでやっても同じではなくて、この場所でしかできない展示を行うことで、初めてリアリティのある表現が生まれるのではないかと思います。例えば、フランスのアーティストのジャン=ミシェル・オトニエルも、弘前にやって来て、りんごの美しさに感銘を受けて『エデンの結び目』というガラスの作品をつくりました。国内外のアーティストがこの土地で何かを感じて、作品を生むということが大切。そうした作品を通すことで、弘前や津軽の地域の人々と世界とがつながっていることを実感できるのではないかと考えています。

田根:ぼくの建築は「記憶の継承」が大きなテーマとなっています。記憶とは単純な思い出ではなく、過去から現在、未来へと引き継がれるような力を持っているもの。建築も同じように、竣工の年はその後、過去になるとしても、使われていれば常に未来へと向いていきます。弘前に根差した記憶のレイヤーをさらに重ねながら、最新の現代アートの動向を見せていくような取り組みが、弘前れんが倉庫美術館では実現していると思います。---fadeinPager---

開館5周年記念展『ニュー・ユートピア』からSIDE COREの映像作品で感じること

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開館5周年記念展『ニュー・ユートピア——わたしたちがつくる新しい生態系』展示室風景 Photo:harold

現在、弘前れんが倉庫美術館では、開館5周年記念展『ニュー・ユートピア——わたしたちがつくる新しい生態系』が開催されている。ここでは土器やこぎん刺しといった津軽地方の歴史や文化にまつわる資料を交えながら、20組の現代アーティストが絵画、写真、映像、インスタレーションなどの作品を展示している。

青森という土地にインスピレーションを受けた作品が少なくない中、木村はストリートアートを切り口として「都市空間における表現の拡張」をテーマに活動する、SIDE COREの『rode work ver. under city』と『looking for flying dragon』という2つの映像作品について語った。

木村:『rode work ver. under city』とは東京の複数の地下空間をスケーター達が滑走している様子を撮影し、映像編集によって異なる空間同士を繋げることで、あたかも1つの「巨大地下都市」があるように見える作品です。

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SIDE CORE『looking for flying dragon(竜飛を探して)』 2021年 Photo:harold

木村:一方の『looking for flying dragon』では青森県の竜飛岬を舞台としています。かつて青函トンネルを掘削する工事のため、約20年近くの間、数千人の作業従事者らが暮らしていた村があります。その村はトンネルの開通と同時になくなってしまったのですが、アーティストが映像の中で村の様子をリアルな景色と重ねながら絵画で再現していきます。

木村:青森の人も東京の人も互いに遠いと感じているかもしれない。でも1本の新幹線で行き来できますし、2つの作品を目にしても、ビジュアルイメージとして瞬間的につながっているような気にさせられる。遠いどこかと自分の現在地をつなぎ、どこにもない風景をつくり上げるようなこれらの作品は、いまいる場所から広がる別の世界を想像させる力があると思うのです。

シードル・ゴールドの屋根と街のイメージをかたちづくる建築

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弘前れんが倉庫美術館 ©Daici Ano

煉瓦倉庫の改修にあたり新しくつくられたシードル・ゴールドの屋根は、かつてこの場所でシードルが製造されていた記憶を次の世代に受け継ぐため、シードルの淡い金色から着想されたもの。厚さ0.3mm、45cm角のチタン材が約1万3000枚使用されており、光の反射による鮮やかな色合いの変化を楽しむことができる。

木村:シードル・ゴールドの屋根は、弘前れんが倉庫美術館のシンボルと言って良い存在です。最初はもっとギラギラしていたと思うのですが、5年経って色々な表情を見せているのも面白いですね。

田根:実は計算通りなのです。弘前では雪が積もりますが、その圧力で長い時間の経過とともにほんの僅かに屋根が歪みはじめます。だから同じような光を拾っていても、だんだん表情が変わっていくのです。

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弘前れんが倉庫美術館 ©Daici Ano

田根:美術館のすぐ横に病院がありまして、病室からもシードル・ゴールドの屋根が良く見えるそうです。毎日見ている患者さんが、「何色か分からないくらいどんどん色が変わっていくのがびっくりするほど美しいのです」と仰って下さった。それを聞いて「建築をやっていて良かった」と心から思いましたね。

田根:街のイメージというのは、実は大きく建築によってかたちづくられています。つまり建築がなければ、街の姿を思い描くことは難しいのです。たとえば「故郷」と聞いて思い浮かべる風景も、建物やその集まりによって作られ、人々の営みによって出来上がった、時代ごとの記憶の積み重ねです。

田根:しかし古くなった建物を壊して、新しいものに置き換えてしまうと、街の過去の記憶が失われ、アイデンティティも薄れてしまいます。ぼくは記憶を未来につなぐことが建築の重要な役割だと考えているので、煉瓦倉庫のように街を育んできた建物を残すことで、地域の人々の誇りになればと思います。---fadeinPager---

「この場所を使ってみたい」と思ってもらえる場所をどう提供するのか?

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弘前れんが倉庫美術館 内観 Photo:Kuniya Oyamada

弘前れんが倉庫美術館では、最近、県内からの入館者が初めて県外からの来館者数を上回った。また、同館には展示室の他にスタジオやライブラリーなども設けられているが、開館して5年経過する中、地域の人々に様々な用途で利用されているという。

木村:青森県には現在、青森県立美術館や国際芸術センター青森(ACAC)など、主に現代美術を専門とする5つの美術館とアートセンターがあります。どれも著名な建築家が設計され、建物として見ても魅力的ですけど、何せ青森県は広いので、それぞれの美術館はかなり離れています。そして弘前れんが倉庫美術館が開館した時、「生まれて初めて美術館に来ました」という方もおられたのですね。つまり弘前の人々の生活圏の中に、初めて美術館が誕生したわけです。

木村:美術館は生きていく上で必要不可欠なインフラとまでは言えません。人生を豊かにしてくれるサードプレイスのような場所ではないでしょうか。また弘前れんが倉庫美術館では、高校生以下が無料ですけども、展示に興味を持ってくれるだけでなく、放課後にはライブラリーに来て、冬場などは満席になるくらい勉強する光景を見かけます。

田根:美術館と言うとまず展覧会を開催する場所というイメージがありますが、それだけでなく誰でも無料で滞在できるような空間が必要だと考えてライブラリーを作りました。すると初めは想定していなかった高校生たちが勉強する場所になったのですね。建築は使われて初めて生き生きしてくるものなので、そういう風に利用されるのは率直に嬉しい。「この場所を使ってみたい」と思ってもらえる場所をどう提供するのかというのも、建築の仕事の大きな役割だと思います。

木村:まず日々の暮らしの中に美術館があることを感じてもらえることが重要で、その中において「展覧会も見て面白かった」という記憶を残していただければ良いと考えています。

新しい未来から記憶の未来へ。「シビックプライド」を育む美術館

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弘前れんが倉庫美術館 外観 ©︎Naoya Hatakeyama

リノベーション(改築)をコンティニュエーション(延築)と位置付ける田根は、建築の記憶を継承することを常に意識しながら活動してきた。その田根は弘前れんが倉庫美術館という建築を通して、未来に何を託そうとしたのだろうか。

田根:「託す」という言葉は、最近よく考えていたテーマでした。未来について考えた時、建築がつくる未来には二つのあり方があると思います。ひとつはゼロからつくり上げる「新しい未来」です。これは20世紀を動かした原動力であり、21世紀においても重要なものですけど、新しい未来だけで、果たしてより良い未来が描けるのだろうかと疑問に思います。

田根:もうひとつは「記憶のある未来」です。それはどこにでもある未来ではなくて、その場所にしか残すことの出来ない未来です。そして新しい未来は何度でも生み出せますが、記憶のある未来は二つとつくれません。その意味からも弘前れんが倉庫美術館というのは、もう二度とできない建築なのです。

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弘前れんが倉庫美術館 ©Daici Ano ※左がカフェ・レストラン棟

田根:ミュージアム棟の隣にカフェ・レストラン棟がありますが、老朽化が進んでいて、当初は解体する予定でした。しかし、壊すのはあまりに勿体無いとお願いすると、関係者がその思いを受け止めてくれて、元々市が所有していた建物を別の会社が運営するかたちで活用が決まったのです。現在では美術館を訪れた人が、シードルを飲んだり食事を楽しんだりするだけでなく、地域の方々による貸切のパーティや結婚式なども行われています。ライブラリーと同じように、人々によって未来へとつなぐ記憶の場所となっていると思いますね。

木村:美術館の役割として「シビックプライド」を育むことが大切だと考えています。文化財そのものの価値だけでなく、それを取り巻く文化をどう残していくのかも重要です。また現代美術の場合は、生み出された作品が100年後にどのような意味を持つのかを見据え、価値を未来に引き継いでいく必要があります。

木村:今ここにいる人や過去に関わった人だけでなく、これから集まってくるであろう未来の人々にとっても、誇りを感じられる場所であって欲しい。そう考えると、美術館はまさに建築と同じように、人々の記憶や文化を未来につなぐ役割を担っているのだと思います。

開館5周年記念展『ニュー・ユートピア――わたしたちがつくる新しい生態系』

開催期間:開催中〜2025年11月17日(日)
開催場所:弘前れんが倉庫美術館
開館時間:9時〜17時 ※入場は閉館の30分前まで
休館日:火
入館料:一般 ¥1,500
www.hirosaki-moca.jp

 

田根 剛 (たね つよし)

●建築家

1979年東京生まれ。ATTA - Atelier Tsuyoshi Tane Architectsを設立、2006年より、フランス・パリを拠点に活動。場所の記憶から建築をつくる「Archaeology of the Future」をコンセプトに、現在ヨーロッパと日本を中心に世界各地で多数のプロジェクトが進行中。主な作品に『エストニア国立博物館』(2016年)、『弘前れんが倉庫美術館』(2020年)、『アルサーニ・コレクション財団・美術館』(2021年)、『ヴィトラ・ガーデンハウス』(2023年)、『帝国ホテル 東京・新本館』(2036年完成予定)など。主な受賞に、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ、フランス建築アカデミー新人賞、エストニア文化基金賞グランプリ、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞など多数受賞 。著書に『TSUYOSHI TANE Archaeology of the Future』(TOTO 出版)。

木村 絵理子(きむら えりこ)

●弘前れんが倉庫美術館館長

元横浜美術館主任学芸員。2005年から横浜トリエンナーレのキュレトリアル・チームに携わり、2020年の第7回展では企画統括。奈良美智展(2012-13年、横浜美術館ほか)や「昭和の肖像:写真でたどる『昭和』の人と歴史」展(2017-2019年、横浜美術館の後、アーツ前橋とナショナル・ギャラリー・オブ・カナダへ巡回)、「距離をめぐる11の物語:日本の現代美術」展(2021年、主催:国際交流基金)、蜷川実花展with EiM(2024年、弘前れんが倉庫美術館)など、現代美術や写真の展覧会を企画。美術評論家連盟会員、多摩美術大学・金沢美術工芸大学客員教授。