伝統の技術を守り、受け継いでいく。靴職人・大川由紀子の選んできた道

  • 文:渡邊卓郎
  • 写真:筒井義昭
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大川由紀子 ●靴職人 東京生まれ。東京・成城の工房「Bench Made」主宰。幼少期に靴磨きの楽しさに目覚め、靴職人を志す。英国・ロンドンのコードウェイナーズ・カレッジで靴づくりを学び、靴づくりの最高峰「ジョンロブ」でアジア人女性として初の靴職人として活躍する。約10年間在籍し、エリザベス女王の式典用軍靴を手がける。帰国後は自身のブランドを立ち上げ、製作とともに技術継承にも力を注ぐ。日本のビスポーク文化を牽引する存在として注目を集めている。

英国で200年の歴史をもつ伝統的な靴の仕立て「ビスポーク」。この文化に精通し、東京・成城の工房「Bench Made」でオーダーメイド靴の製作と靴づくり教室を主催するのが大川由紀子だ。

幼い頃の靴磨きをきっかけに革靴に興味をもち、靴職人の道を極めるために単身ロンドンへ。名門ジョンロブで技術を磨いたあと、日本でビスポーク文化の継承に取り組んでいる。自分が好きなことに従って人生を切り拓いてきた大川の歩みは、自分の思いを信じて進むことの大切さを教えてくれる。

人生を賭けて向き合う“好き”は、小さな靴磨きから始まった

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大川さんが主催するBench Madeの入口には、美しい靴が展示されている。

“家族の革靴を磨いていると、光っていくのが楽しかったんです”

靴とともにある大川の人生は、幼少期のささやかな体験から始まったという。

「子どもの頃、一番好きな家事のお手伝いが“靴磨き”でした。革靴を磨けば磨くほどピカピカ光っていくのが楽しくて。どうやってつくられているんだろうって不思議で、靴への興味がどんどん湧いてきたんです」

さらに、小学6年生のときに読んだトルストイの短編集『人はなんで生きるか』に登場する靴職人の物語に心を動かされ、いつしか“靴をつくる仕事”に憧れを抱くようになる。

ところが、当時の日本で靴職人の道は、親や教師たちにも理解されなかったと言う。「大学には行ってくれ」と両親に懇願され、短大の英文科に進学。その後、「バンタンデザイン研究所」でデザインを学んだ後に大手靴メーカーに就職するが、そこで大きな違和感を覚える。

「初日に工場を見学して、驚きました。あまりにも機械化されていて、働いている人は同じ作業をずっと繰り返している。私が思い描いていた靴づくりはこれじゃないって思いましたね」

そんな挫折を味わいながらも、心の奥にある靴づくりへの思いは消えなかったと言う。当時は折しもバンドブーム。高校生のときから力を入れていたバンドも順調で忙しく活動していたが、24歳のとき突然解散することに。その喪失感の中で「靴職人になりたい」という自分の原点に立ち返った。

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働き方も、生き方も、自分で決めるーージョンロブでの10年

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“ビスポークの技術は今後これ以上のものが出てきません。だからこそ残したいのです”

幼い頃からの夢である靴職人を目指そうと思い描いたとき、高校生の頃に読んでいたイギリスの雑誌『i-D』の記事を思い出す。シューズデザイナーのパトリック・コックスがインタビューで、ロンドンの靴職人養成校「コードウェイナーズ・カレッジ」で学んだという内容だ。あてのないままイギリス大使館に赴き、願書を取り寄せて提出。軽い気持ちで出願したにもかかわらず、予想外にも合格の通知が届きます。入学まで9カ月。その間に仕事と貯金をし、渡航準備を整えることに。

「イギリスの音楽や文化がもともと好きだったので、ロンドンに対する憧れもありました。知らない世界に飛び込むことに、迷いはなかったですね」

そうして靴づくりの本場、イギリスへと旅立つことになる。大川の人生が大きく動き出した瞬間だ。

コードウェイナーズ・カレッジに入学してから半年、大川は、1866年の創業以来紳士靴の最高峰であり続ける「ジョンロブ」の扉を叩いた。外からは中の様子が見えない重厚な店構え、格式と気品をまとった赤い絨毯、そして所狭しと並ぶ何百足もの靴。日本にいるときから憧れていたその空間に立ったとき、思わず涙がこぼれたという。

「何でもいいから、ただ働きでもいいから働かせてください、ってお願いしたんです」

イギリスのインターンシップ制度であるワークエクスペリエンスの就業者として、アルバイトのような形でジョンロブに迎えられた大川さんは、学校に通いながら現場でも学ぶという生活をスタート。

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イギリス時代の大川さん。木型の製作や革の裁断などを本場で覚えた。

「工房には、木型職人や革を裁断するクリッカー、パターンナーなど合わせて25人ほどが作業をしていました。伝統的に分業制で、技術はもちろん最高峰なのですが、職人さんたちがのんびりと仕事をしているのに驚きました。『私はもっと働きたいのに!』とひとりで空回りしたりして(笑)。残業すると怒られるので、勝手に朝6時から出勤して、早く来ているベテラン職人のおじいちゃんたちに教えてもらっていました」

当初は靴磨きや中敷きを入れる作業などから始まり、次第に木型製作にも携わるように。加えて学校の放課後には、師匠であるポール・ウィルソンの工房にも足を運び、技術を磨いていった。ポールは当時ジョンロブの職人で、現在はエルメスで最高峰のビスポークを手がけるほどの技術を持つ人物だ。

学生時代からデザインにも長けていた大川さんは、シューズデザインのコンテストで何度も入賞。そうして靴づくりの技術とデザインのクオリティを高めていく。

「デザインは得意だったし、アイデアはいくらでも浮かぶ。学生でお金がなかったので、賞金を狙ってコンテストに出したら、出すところ出すところで賞を取っちゃって。先生に『賞金荒らしはやめろ』って言われるほどでした(笑)」

やがて、ジョンロブのマネージャーから「カレッジを卒業したらどうするの?」と声をかけられる。「ここで働きたい」と思いを伝えると「社長も喜ぶよ」とのことで、トントン拍子で話が進んだ。

「でも、日本人はもちろん、アジア人を雇ったことも1度もなく、ビザや保険の手続きに半年以上かかっちゃって。大変だったけど、社長も手伝ってくれてその壁を乗り越えることができました」

その後まもなく、大川に大きな転機が訪れる。エリザベス女王が式典で着用する軍靴の製作依頼が舞い込んだのだ。軍服の色に合わせた「Uチップダービー」をベースにして、自らのデザインで仕上げるという大役。デザインと製作の両方をこなせる貴重な存在として信頼を得ていたことが、この大抜擢へとつながった。

「靴職人とデザイナーは全く違う仕事で、当時のジョンロブにはデザイナーはいませんでした。私は両方できたので、お客さまから『こんなデザインで』とリクエストされたら、その場でコミュニケーションしながらスケッチを描けるのが強みでした」

そうして約10年間をジョンロブで過ごした大川は、靴づくりの全工程とデザインをマスター。次の夢を思い描く。

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「いつかジョンロブの店の真ん前に自分のビスポーク店を出したい、って冗談のように言っていたこともあったんです。でも、ちょうど父が亡くなったこともあり、帰国を決めました。社長には『また戻っておいで』と言ってもらったんですけど。靴職人になることができ、ジョンロブで働けて、次々と夢を実現できた。次のワクワクを求めていたのかもしれません」

帰国後に大川が選んだのは、ビスポークの靴をつくるだけでなく、その技術を伝えて文化を根付かせていくことだった。

「ビスポークの製法って、本当にロマンがあるんです。私はピラミッドのつくり方にものすごく惹かれるんですけど、それと同じような感覚で、『誰がこんな複雑なことを考えたんだろう?』という、驚くような技術なんですよね。この技術は今後これ以上のものが出てこないと思っています」

イギリスにいた頃も、2年に一度は日本に戻っていたが、日本の靴文化があまりに遅れていると感じていた大川。少しでも多くの人にこの技術を知ってもらいたいと考え、自ら工房を開き、教室を併設する形でビスポークの技術と哲学を伝え始めたという。

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今では、かつての自分と同じように「靴をつくりたい」と願う若者たちが大川のもとに集まり、日本のビスポーク職人の数は、大川がイギリスに渡った当時と比べて数倍にも増えたと言う。

「現在、世界を見渡しても靴づくりの技術は日本が一番です。私のところにも海外からも多くのお客さまが来てくださいます」

ピラミッドの製法が途絶えてしまったように、ビスポークの製法も伝え続けなければ途絶えてしまうと大川は語る。イギリスの伝統と日本人の感性を融合させた誠実なものづくり。“その人のための靴”を追求する姿勢。それこそが、大川の歩みに込められた、生き方そのものなのだ。

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ワクワクすることを選び、挑戦することで道を拓く 

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“可能性って、いくらでもあるんです。やりたいことがあるなら、まずやってみてほしいですね“

ハンドソーンウェルテッド製法で製作される伝統の靴づくり。大川の作業は、全ての工程が手作業で行われ、使用する素材も自らの手で選び抜き、繊細な感覚で仕立てられていく。

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中底とウェルトと呼ばれる縁を結合させる“すくい縫い”。最高の履き心地を生み出す

「人間の足は片足に26本の骨があります。その一つひとつの大きさが違うから、既製靴では本当にフィットさせるのが難しい。私の場合、足を測るときには、軽く測る数値と、きゅっと締めた状態での数値、2つを取ります。その差が体質を表していて、その違いに合わせて木型をつくらないと、本当に合う靴にはならないんです」

イギリス人と日本人では足の形や体質がまったく異なるため、帰国した当初は試行錯誤の連続で、日本人の体質を把握するまでに半年近くかかったと振り返った。

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オーダーシューズの設計図でもある木型(左)とデザインの型紙(右)

「今は大量生産・大量消費の時代ですが、その時代も終わりがくると思います。いつまでも長く使ってもらえるものの価値が見直されてくる。そんなときにこの、1足の靴を30年履き続けられる技術が大切になると思います。1足は高価だけれど、2足あれば死ぬまで履き続けられる。そんなビスポークの技術と文化を残しておきたいんです」

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革の本底を割ったガラスの鋭利な縁で薄く削る(左)。靴は美しさ以上に履き心地も重要(右)

かつてジョンロブで働いていた頃、チャールズ皇太子(現・国王)の靴を何度も修理したという大川。「今日も新しい靴は買わないね」と職人仲間と冗談で笑い合いながらも、そこには何十年も履き続けられる靴の価値があったという。

そんな靴づくりに人生を捧げてきた大川の原動力は、いつもワクワクすることを選び、リスクを恐れずに挑戦すること。

「ある若い生徒から『定年を迎えたら靴職人になりたい』と言われたことがあるのですが、『いや無理だって』って答えました。バイタリティやモチベーションやエネルギーって、年代によって全然違う。情熱を傾けられることを後回しにしている場合じゃない。『やっちゃいな!』です」

挑戦することをやめないこと。それが何よりも大切なことだと語る大川。好きなことを突き詰め、真摯に向き合うことが、誰かの心を動かし、新たな文化を育てていくのだろう。

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※この記事は2025年6月13日にcaravanにて公開された記事の転載です