世界最大級の単一屋根構造を持つ、台湾・高雄の衛武営国家芸術文化センター。同施設が試みるのは、都市に日常的な芸術体験を提供すること。芸術総監督・簡文彬は「すべての人に開かれた場所として設計されている」と語る。建築とアートが都市と調和する、その意義とはなにか。Pen台湾版の最新号より再編集して掲載する。
Pen台湾版は2024年3月にスタートし、隔月で発行。日本の新たな潮流や価値観を台湾に届けると同時に、ローカルなエッセンスを融合させ、中国語圏の読者により豊かなライフスタイルを提案している。
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衛武営国家芸術文化センターの建築設計は、オランダの建築設計事務所Mecanoo Architectenが手掛け、創設者でありクリエイティブディレクターのフランシーヌ・ホウベンは、世界各地で多くの芸術施設の設計を手掛けている。その中でも、衛武営国家芸術文化センターは特に代表的なプロジェクトであり、本作によって世界各地で9つの建築賞を受賞している。
初めて衛武営を訪れた日、フランシーヌ・ホウベンは、樹齢を重ねたバンヤンツリーの群れに目を奪われた。その根元では、人々が涼み、会話をし、太極拳をし、将棋を指していた。大きく広がる枝葉は、南国・高雄の強い日差しを遮り、夏の午後のスコールからも人々を守っていた。この光景が彼女の記憶に深く刻まれ、建築デザインのインスピレーション源となった。
衛武営国家芸術文化センターは9.9ヘクタールの敷地を有し、隣接する衛武営都会公園と一体となる世界最大級の単一屋根構造を誇る建築物。音波のような流線型のフォルムは、舞台芸術が持つ自由で開かれた精神を体現している。設計のインスピレーションは公園に自生するバンヤンツリーの群れから得られ、バンヤンプラザを中心に、オペラハウス、コンサートホール、プレイハウス、リサイタルホールという4つのホールを連結し、空を舞台に芝生を椅子とするアウトドアシアターがそれを補完。バンヤンツリーの持つ開放性、透過性、包容性が建築全体に溶け込み、人々は自然に出入りしながら、空間のあらゆる場所でアートと出会い、共に過ごすことができる。
毎年、数多くの芸術祭や国際公演が開かれるだけでなく、地元の人々にとっては、日々の散策や憩いの場としても親しまれている。建築は音響や気候への配慮が随所に見られ、芸術と都市が心地よく共存する空間が広がっている。






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バンヤンツリーの下のサウンドシアター:衛武営における高雄の実験

アートスペースが都市の風景になるとき
初めて衛武営を訪れた人の多くが、まず口にするのは「なんて大きいんだろう」という驚きの声。高雄・鳳山に位置するこの芸術文化センターは、洗練された流線形のデザイン、環境と調和する開放的な曲面建築が印象的だ。その姿は、6本のバンヤンツリーからインスピレーションを得て構想されたもの。そのうちの4本は劇場──オペラハウス、コンサートホール、ドラマシアター、リサイタルホール。1本は交通のハブ、そしてもう1本は日常的なオフィス空間として機能している。6本のバンヤンの木の枝葉がつながるように屋根の上で広がり、世界最大規模の単一屋根構造による劇場群を構成している。それはまさに「緑陰下に広がる文化の交流の場」と呼ぶにふさわしい空間だ。
だが、このユニークな構造は、ただの建築的アイデアにとどまらない。都市というスケールで捉えた大胆な選択でもある。総監督の簡文彬にとって、この大きな空間は決して威圧的な殿堂であってはならない。それはむしろ、「より多くの人が舞台芸術に触れることができる場所」であるべきだと語る。「もし都市の中に、パフォーミングアーツと共に呼吸する建築をつくるなら、それは閉じられた聖域ではなく、生きた集落のような存在でなければいけないと思うんです。」その言葉の通り、衛武営はまるで都市と共に生き、育ち、響き合うような、そんな存在として今日も息づいている。
バンヤンプラザ:音と人が交差する場所
衛武営の中心に位置する「バンヤンプラザ」。それは、建築の最初のインスピレーションとなった場所でもある。オランダ出身の建築家フランシーヌ・ホウベンがこの地を初めて訪れたとき、彼女の目を引いたのは、公園のバンヤンの木陰に集う人々の姿だった。朝は太極拳、午後は囲碁、そして夕方にはお茶を飲みながらのんびりと語らう—その木陰は、まるで人々の感情が自然に広がっていく延長線上にある空間のようだった。
その記憶を受け継ぐように設計されたのが、このバンヤンプラザだ。劇場群を結ぶ動線のハブでありながら、市民とアートが出会うためのもっとも「温度のある」公共空間でもある。「観客が劇場という非日常から出てきたとき、すぐに日常に戻るのではなく、その間に心の緩衝地帯が必要なんです。バンヤンプラザは、空気と音と対話するための場所として機能しています」そう語る簡文彬が、このプラザに設置したのが一台のパブリックピアノ。文化部から譲り受けたこのピアノを、あえて開かれた空間に置いた理由は明快だ。誰でも自由に弾けて、誰でも思い思いの時間を過ごせるように。創作の場であり、ぼんやりする場所でもある。それはパフォーマンスではなく、日常の一部なのだという。「誰が弾いていい、誰はダメなんて、そんなことは一切ないんです。」彼がそう語るように、ある夏の真昼、年配の男性がふらりとこの場所を通りかかった。そして、人生で初めての鍵盤に指を置き、一音を鳴らしたという。それは、彼の人生における最初で最後の「アートとの接点」となった。その一音こそが、何よりも尊い芸術体験だったのかもしれない。
空間と音が響き合う、建築の哲学
バンヤンプラザは、単なる物理的なスペースではない。それは、音響設計によって生まれた「サウンドフィールド」でもある。簡文彬はこう語る—衛武営における音響計画は、劇場の内部にとどまらず、広場や回廊、さらには屋外のテラスにまで及んでいるという。人が足を止める場所すべてに、音響コンサルタントの繊細なデザインが施されており、それぞれの活動が干渉しすぎることなく、しかし完全に遮断されることもない。
この音のフィルターによって、バンヤンプラザでは演奏と会話、賑わいと静けさが、矛盾することなく同時に存在できるのだ。「ここで聴こえる音は、まぎれもなく都市の音です。でも、誰かがそっとチューニングしてくれたように、どこかやさしく響いてくるんです」
アートを、日常のなかへ
簡文彬にとって、アートセンターの最大の使命は「公演をつくること」ではない。それはむしろ、「人がここに来たくなる理由をつくること」だと語る。「犬の散歩でもいいし、友達と待ち合わせでもいい。日差しを避けに来ただけでも構わない。とにかく来てくれたら、こちらはアートを届けるチャンスが生まれるんです」
そんな考え方が根付いたバンヤンプラザでは、やがてサブカルチャーとも呼べるような新たな風景が育ち始めた。歌うのが好きな学生たちがふとセッションを始めたり、猫を抱いた市民が地面に腰を下ろして音楽に耳を傾けたり。さらにはオリンピックのパブリックビューイングが開催され、何千人もの人々がこの場所に集ったこともある。昼は舞台芸術の「前奏」が聴こえる場所、夜には都市の公共的な出来事が展開される舞台へ。
アートはもはや、高いところに飾られるものではない。それは、あなたがいつも通るその道すがらに、そっと待っているのだ。
人が集まる、その力が文化の磁気を生む
衛武営が開館してから数年、高雄南部の都市の重心は、静かに、しかし確実にこの地へとシフトし始めた。簡文彬が語るには、民間投資の方向性も、市民の活動の中心も、少しずつ衛武営を軸に動き出しているという。かつては人通りも少なかったこの場所に、週末ともなれば数十万人の人が集まるようになった今—衛武営はもはや、単なる建築物ではなく、「高雄という都市の磁場」の一部となっている。
だが、この変化を支えているのは、必ずしもアートそのものではない。むしろ、アートが都市のさまざまな生活機能とつながり合ったことで、初めてこの場は息づきはじめたのだ。MRTを降りてそのまま中央の芝生を横切ったり、アウトドアシアターをぐるりと回ったり、マラソンに参加したり、ただコーヒーを飲みに立ち寄ったり—そんなふうに、人々の日常の延長線上に、アートがある。
「文化の磁気は、建物を建てただけでは生まれない。人が集まって、はじめて生まれるものなんです」
都市劇場の未来を想う
「もし高雄にもうひとつ衛武営のような劇場が生まれるとしたら、どんな姿になると思いますか?」そう尋ねると、彼は少し笑いながらこう答えた。「もう無理でしょうね。あの空間、あの予算、そしてあの理念。おそらく台湾では、最初で最後の一つになると思います」
だからこそ、この場所で過ごす一日一日が、よりいっそう大切に思えるのだ。彼が願うのは、衛武営が「高雄の文化的リビングルーム」になること。何をしに来たのかは関係なく、誰もがふらっと立ち寄れる。まるで家の玄関のように自然とそこにある存在であってほしいという。「みんながアートを理解する必要はない。でも、誰もがここに来ていいんです。」芸術が目的ではなく、道のりとなり、建築が象徴ではなく、日常へと溶け込んだとき、衛武営はただの音楽ホールではなく、都市と人が共に響き合う音の劇場になる。
取材の終わり、簡文彬は私たちを樹冠テラスへと案内してくれた。四方をガラスで囲まれた空間には、白い壁と木の床が広がり、斜めから差し込む陽の光と、通り抜ける微風が静かに空間を満たしている。まるで空中庭園のような静謐な美しさだ。そこで彼はぽつりと言った。
「衛武営という夢は、ようやく半分かないました。これからは、もっと根を張って、多くの人に届いてほしい」
その目は、確かな未来を見据えている。華やかさや喧騒とは少し距離を置き、静かに、しかし確実に変化を導く。それがこの芸術総監督の生き方であり、高雄の変革の歩みそのものでもある。私たちはそこに、静かに満ちる南の力を感じた。
都市は急速に姿を変える。けれど、人と本当に対話する場所とは、使われ続け、記憶されていく空間なのかもしれない。衛武営は、まさにそんな場所だ。賑わいの中心から少し離れたこの地にありながら、街の鼓動と呼応し、世界レベルの舞台芸術を支える一方で、街角の小さな弾き語りにもそっと寄り添う。ここには、高雄のリズムがある。急がず、焦らず。榕樹のように静かに枝を広げ、風を待ち、人を待つ。


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