ウルム造形大学から虹のオリンピックまで! 戦後ドイツのリブランディングを支えたロゴやポスターが『アイデンティティシステム』展に大集結

  • 文:はろるど
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『アイデンティティシステム』1階展示室風景。黒いグリッドの壁に12点の現物のポスターが展示されている。(そのうち9点はgggにて初展示。)左下に見える「能」と書かれたポスターは、アルミール・マヴィグニによる「観世会 能」(ウルム市立劇場)だ。Photo:Mitsumasa Fujitsuka

戦後西ドイツのリブランディングの発展を紹介する『アイデンティティシステム』展が、ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)にて開かれている。現在のコーポレート・デザイン(CI)やビジュアル・アイデンティティ(VI)にも通じる、ドイツのデザイナーたちが生み出した先駆的なデザインとは?

20世紀のドイツにおけるCIとVIの変遷をたどる

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『アイデンティティシステム』地階展示室風景。ルフトハンザ広報部によるポスターや、オトル・アイヒャーによる「ウルム造形大学展」、そしてロルフ・ミュラーの映画「ダム」などのポスターが見える。Photo:Mitsumasa Fujitsuka

20世紀の初頭に近代デザインの重要な革新が起きたドイツ。ペーター・ベーレンスは1907年から14年にかけて、電機メーカーAEGのために世界初ともいわれるコーポレート・デザインを生み出す。そして19年にワイマールに創設された造形芸術学校バウハウスでも、システマテックなデザイン・ソリューションがカリキュラムに含まれ、多くの若手デザイナーが切磋琢磨するようにしてさまざまな作品をつくり出していく。しかしナチスの台頭に伴って、ドイツにおけるデザインの発展は絶望的なまでに大きく妨げられてしまった。

第二次世界大戦の終戦から数年後、西ドイツにて過去のモダンデザインが再び重要視されると、53年に開校したウルム造形大学がデザイン機関として大きな影響力を持つようになる。そして60年代初頭には、デザインの新たな解釈が構築され、ルフトハンザ航空やミュンヘンオリンピック(1972年)といった、多くの企業やイベントのためのビジュアル・アイデンティティに結実していく。このドイツ発のデザイン潮流こそが、経済的に発展した民主主義国家という戦後の西ドイツのイメージの一端をつくり上げたといえる。

ウルム造形大学と企業とのコラボで生まれた新たなデザイン

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『アイデンティティシステム』地階展示室風景。手前の展示ケースにはウォルフガング・シュミッテルのデザインしたブラウンに関するさまざまな資料が並べられている。Photo:Mitsumasa Fujitsuka

ウルム造形大学は、ビジュアル・コミュニケーションデザインの先駆者であるオトル・アイヒャーと妻のインゲ・アイヒャー=ショル、そして初代校長のマックス・ビルらによって創立された。独裁と戦争を経たドイツで新しい社会をデザインするためにつくられたこの学校では、バウハウスの理念を継承しつつ、工業技術や社会問題などに重点を置き、いわゆる「開発グループ」の活動を通して企業との共同作業を果敢に行っていった。68年の閉校までわずか15年と短期間だったものの、今でも20世紀の新たなデザインにおける教育機関として高く評価されている。

その企業との関わりで重要なのが、21年にマックス・ブラウンが創業し、50年代半ばにアルトゥール・ブラウンとエルヴィン・ブラウンが新しい企業文化を導入した家電メーカーのブラウン社だ。ウルム造形大学とコラボをスタートさせると、教授であったハンス・グジェロもチームに参加し、ブラウンの代名詞ともいえる電気シェーバー1号機などの革新的な製品を生み出す。そしてのちのアップル社のデザインにも影響を与えたディーター・ラムスも加わり、シンプルな美しさと優れた機能性を特徴とするプロダクトデザインの名作を残した。---fadeinPager---

虹のオリンピックと呼ばれた1972年ミュンヘンオリンピックのデザインとは?

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『アイデンティティシステム』地階展示室風景。左後方の壁にはオトル・アイヒャーによる1972年ミュンヘンオリンピックの競技ポスターが展示されている。手前の展示ケースにも同オリンピックの閉会式プログラムなどの資料が並んでいる。Photo:Mitsumasa Fujitsuka

オトル・アイヒャーもブラウンのデザインに強い影響を与えた人物だ。アイヒャーは1950年代に発売した最初の製品に使用するタイポグラフィをデザイン。また50年代から70年代にかけてのブラウンは、ウォルフガング・シュミッテルの指揮のもとでブランドのアイディンティを構築していく。シュミッテルはマックス・ブラウンの手掛けた初期のロゴを刷新してモダンタイポグラフィを採用し、次第に体系的なアイディンティを確立していった。戦後西ドイツの最初の近代的な企業アイデンティティのひとつといえるだろう。

72年のミュンヘンオリンピックのデザインプロジェクトにも着目したい。67年にオリンピックの主任デザイナーに任命されたオトル・アイヒャーは、チームを指揮して大会のビジュアル・コンセプトを制作。ドイツで1936年に開催され、ナチスのプロパガンダに利用された前回のベルリン大会の反省を踏まえ、国を象徴するナショナルカラーを排除しただけなく、普遍的でシンプルな要素をビジュアル・アイデンティティに採用する。そして数百種類の印刷物や商品に使われると、この大会は「レーゲンボーゲンシュピール(虹のオリンピック)」と呼ばれた。

京都dddギャラリーでの企画展から規模を拡大! 東京会場限定作品も

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『アイデンティティシステム』1階展示室風景。京都dddギャラリーでは告知物、展示空間含めて「赤」をメインカラーにしていたが、ここ東京のgggでは「アイヒャーブルー」を採用。中央上に見えるのがオトル・アイヒャーによるフランクフルト空港の出口サイン。その右下のポスターはオトル・アイヒャーによる1972年ミュンヘンオリンピックのピクトグラム(試作)だ。Photo:Mitsumasa Fujitsuka

ともにグラフィックデザイナーであるカタリーナ・ズセックとイェンス・ミュラーの「A5コレクション デュッセルドルフ」の膨大なアーカイブの中から、企業のリブランディングを担った貴重なポスター類が約90点、ロゴやパンフレット類が約210点も並ぶ本展。昨年10月から今年1月にかけて京都dddギャラリーで行われた同じ企画展の規模をかなり拡大している。フランクフルト空港の出口サインの看板といった珍しい資料を抜粋した1階正面の作品も、10点中6点が東京会場のみの限定公開だ。

コンセプト・スケッチなどの一次資料は紙で手書きしたものばかり。今見ても古びることのないデザインが、どれも細かな手作業で上質に仕上げられていることにも目を丸くする。なお「A5コレクション デュッセルドルフ」は、西宮市大谷記念美術館と東京都庭園美術館にて開かれ、カタログが完売するほど人気を博した『戦後西ドイツのグラフィックデザイン展』でも大々的に展示された。しかし、今回はそちらでの出展作品と実はあまり重なっていないため、改めて同コレクションの奥深さと魅力を感じることができる。

『アイデンティティシステム 1945年以降 西ドイツのリブランディング』

開催期間:開催中~2025年7月5日(土)
開催場所:ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
東京都中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル
開館時間:11時~19時
休館日:日、祝
入場料:無料
www.dnpfcp.jp/gallery/ggg