
東京都美術館にて開催中の『ミロ展』は、スペインの芸術家、ジュアン・ミロ(1893~1983年)の約70年の画業を約100点の作品で紹介している。同時代の芸術家に目を向けながら、生涯を通して一つの表現にとらわれず、新たな作品世界を切り開いたミロの生き様とは?
パリにてシュルレアリスムの作家と交流。「夢の絵画」へ

カタルーニャ州のバルセロナに生まれたミロは、子どもの時からデッサンに親しんでいたもの、父の勧めで商業学校に通い、10代にして会計の仕事に就く。しかし仕事のストレスなどで病気になると、別荘があったカタルーニャ州南部のモンロッチにて療養生活を送る。そして両親へ「今の仕事をやめ、絵画に専念します」との手紙を送り、美術の勉強を再開。1918年にはバルセロナの画廊で初個展を開催し、20年にはパリへと渡り翌年から本格的に活動をはじめると、シュルレアリスムの作家や詩人、グループと交流を深めていく。そうしたミロが手掛けたのは、モノクロームや青または褐色の背景に、文字や動的な線、また記号を描いた「夢の絵画」と呼ばれる作品だった。---fadeinPager---
スペイン内戦や第二次世界大戦に翻弄されたミロ。自己の内面と向き合う

36年にスペイン内戦が勃発すると、ミロはフランスへと逃れ、共和国政府を支持するも、フランコ独裁政権が誕生してしまう。すると内戦の雰囲気に影響されたように、絵には暗い背景と怪物のような存在が現れ、メゾナイトといった通常は絵画に用いない素材を使った荒々しい作品を制作した。39年に第二次世界大戦が勃発し、ミロはパリからノルマンディー地方へと移住。40年から女性、鳥、星や脱出の梯子といったミロが生涯に渡って描き続けたモチーフによる〈星座〉シリーズを描く。その後、ミロはナチス・ドイツのフランス侵攻にともない、やむなくスペインへと帰国し、マジョルカ島やモンロッチを移動しつつ、厳しい現実から逃れるように自己の内面を表したような詩的な世界を表していった。
代表作〈星座〉シリーズにてミロが表現したかったこと

ミロが全部で23点を描いた、代表作ともいえる〈星座〉シリーズのうちの3点が来日を果たしている。ミロが「高度に詩的な次元に到達した」と語った同シリーズの支持体はカンヴァスではなく紙。そこに詩や音楽などにインスピレーションを受けたモチーフをグワッシュで描いている。現在、〈星座〉シリーズは世界各地に散らばっているため、複数の作品をまとめて見られるのは貴重だが、3点に共通して見られるのは大きく口を開けた怪物などが登場していること。そこには戦争といった厳しい状況を象徴しつつも、ミロは広大な空に瞬く星々を描くことで、現実を超えた先の希望を指し示している。まるで夜や星たちが絵の中で演じているような光景にも魅せられる。---fadeinPager---
2度の来日を果たしたミロ、晩年においても新たな作風を切り開く

戦後アメリカを訪れたミロは同地の若い芸術家に刺激を受けると、版画技術を磨いて、帰国後にエッチングやリトグラフを手掛けながら、職人との共同による陶芸や彫刻の制作にも取り組んでいく。56年には大きなアトリエがマジョルカに完成。画面のサイズは大きくなり、以前よりも時間をかけて作品の構想を練り上げていく。また20代の頃から日本に興味のあったミロは、66年と69年に2度来日し、書家らに刺激を受けて即興的な作品を制作する。晩年においてもミロの創作意欲は衰えることなく、カンヴァスを燃やしたり切り裂いたりする作品を手がけるなど、前衛ともいえる表現に挑戦し続けた。
他館への巡回はなく、東京都美術館のみの開催

バルセロナのジュアン・ミロ財団の監修のもとに行われた本展は、存命中の画家自身が協力した66年の展覧会に並ぶ、国内では過去最大スケールの回顧展。中にはフランコ独裁政権下でカタルーニャ民族主義の象徴とみなされ、制限や抑圧を受けたFCバルセロナのために作成したポスターも展示され、ミロが政治的・社会的に強い反骨精神を持っていたことも伺える。「3000年後に私の絵を見た人が、私が絵画だけでなく、人間の精神を解放する手助けもしたことを理解してくれればと思う」との言葉を残したミロ。83年に90歳で亡くなるまで絵画の限界を探求した、一人の卓越した芸術家の足跡をたどっていきたい。
※掲載写真はすべて主催者の許可を得て撮影。
『ミロ展』
開催期間:開催中〜2025年7月6日(日)
開催場所:東京都美術館
東京都台東区上野公園8-36
開室時間:9時30分〜17時30分 ※金曜日は20時まで
※入室は閉室の30分前まで
入場料:一般¥2,300
https://miro2025.exhibit.jp