小澤征爾さんの死を第二の故郷が追悼…ボストン交響楽団が演奏「多大な才能を印象付けた最初のアジア人指揮者」

  • 文:山川真智子

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世界的指揮者、小澤征爾さん(以下敬称略)が2月11日に亡くなった。世界各地でさまざまなオーケストラを指揮した小澤だが、29年間にわたり率いたボストン交響楽団(BSO)との関係はとりわけ深い。称賛も批判も含めて楽団の象徴となったマエストロは、多くの愛と情熱をボストンに与えてこの世を去った。

多大な才能で躍進 アジア初のスーパースターへ 

20代半ばに初めて渡米した小澤は、瞬く間に批評家から若き才能と称賛された。1961年にはレナード・バーンスタインの目に留まり、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の副指揮者の地位を獲得。その後、シカゴ、トロント、サンフランシスコなどでオーケストラを指揮した後、1973年からボストン交響楽団の音楽監督に就任した。

当時国際的に活躍する音楽家のほとんどは、白人だったという。AP通信は、小澤がインドのズービン・メータと並び、多大な才能を印象付けた最初のアジア人指揮者だったという批評家の言葉を紹介している。ガーディアン紙は、小澤は日本から初めて欧米で認知され、スーパースターの地位を獲得した唯一の指揮者だったと述べている。

絶大な影響力 でも普段は“どこにでもいる人”

AP通信によれば、小澤は在任中、ボストン交響楽団に絶大な影響力を行使したという。その名声はヨーヨー・マやイツァーク・パールマンといった有名演奏家を呼び寄せた。また、1970年代初頭に1000万ドルに満たなかった基金を2億ドル以上に増やし、楽団が世界最大の予算を持つオーケストラになるのに貢献した。さらに、ボストン交響楽団の音楽アカデミー、タングルウッド音楽センターに名声を与えることにも貢献。1994年には、彼の名を冠した音楽ホールが建設されている。

もっとも、普段の小澤はどこにでもいる普通の人だったという。ラジオ局WGBHによれば、夏の間家族と過ごしたタングルウッドでは、小澤は古い赤と白のピックアップトラックを乗り回していることで有名だったらしい。

BSOの副会長、トニー・フォッグ氏は、小澤は大好きなボストン・レッドソックスの本拠地、フェンウェイ・パークの観客席に座り、ビールを飲んでホットドッグをほおばりながら、観客のエネルギーを楽しむのを愛してやまなかったと地元ラジオ局WAMCに話している。周りの人々にとって、その時の彼は指揮者小澤征爾ではなく、「球場に観戦に来た、ただの友達のセイジ」だったと述べた。

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改革に批判も…残した遺産は生き続ける

2020年、ボストンは小澤の誕生日の9月1日を「セイジ・オザワ・デー」とした。ロイターによれば、このとき小澤は、「どこへ行こうと、ボストンは僕の心の一部だ」とし、ボストンでの日々が人生においてとても大切なものだったと話している。

もっとも、この時代が常に順風満帆だったわけではなく、BSOやタングルウッドでは、大きな批判が出たこともあった。ラジオ局WNPRによれば、1996年、小澤はタングルウッド音楽センターがフォーカスとエネルギーを失っていると感じ、改革を決断。古株のディレクターを解雇したことで、何人かの著名な教師が抗議のために辞めてしまった。

当時のマサチューセッツ州の日刊紙、ケープコッド・タイムズによれば、批評家たちは小澤が独裁的で、アカデミーを自己満足的なクラブにしていると批判。これがBSOを退任する理由になったという憶測も飛んだ。当時を回想するフォッグ氏は、「困難な時期だったが、アカデミーに新しい方向性が見いだされ、それが今日につながっている」とWNPRに述べている。

ガーディアン紙によれば、90年代半ばにはBSOの反体制的な音楽家グループから、小澤の一流の指揮者としての資質に疑問を呈すニュースレターも出された。士気の急落にもつながったとされるが、批評家のエレン・ファイファー氏は、それでも音楽大使として中国公演などを成功させた小澤が、楽団の外観を変えたとラジオ局WBURに語っている。

訃報を受け、BSOは追悼の演奏会を開催。また声明の中で、小澤を指揮台でのバレエのような優雅さと天才的な記憶力を併せ持つ天才と称え、彼の遺産は思い出と彼が残したレコーディングを通して生き続けるとした。

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ボストン交響楽団による小澤を追悼する演奏。

 

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左:ボストン交響楽団の音楽アカデミー、タングルウッドで指揮する若き日の小澤。右:ボストン・レッドソックスのユニフォーム姿でステージに立つ小澤。

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レナード・バーンスタインと野球をする小澤。

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ボストン・タングルウッドの「セイジ・オザワ・ホール」が、小澤を追悼してイニシャル“SO”を点灯する様子。

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1979年、国交正常化後にBSOを率いた中国での歴史的公演の様子。

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