オーデマ ピゲの躍進を導いたCEO、フランソワ-アンリ・ベナミアスに10年の軌跡を聞く

  • 動画ディレクション:石井喜吉(terminal)
  • 写真:斎藤誠一
  • 文:倉持佑次

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オーデマ ピゲのCEO、フランソワ-アンリ・ベナミアス。躍進を支えただけあって、終始パワフルな語り口でインタビューに答えてくれた。

スイスの高級時計メーカーであるオーデマ ピゲで、約10年間にわたりCEOを務めたフランソワ-アンリ・ベナミアスが、今年末で同職を退任することが発表された。オーデマ ピゲが世界的な名門ブランドとして確立されて以降、近年さらなる飛躍を遂げたのは、長きにわたりブランドの発展と成長を支えたベナミアスの貢献による部分が少なくない。この度、来日のタイミングで同氏にインタビューする機会を得た。名門マニュファクチュールにおいて、ベナミアスはいかなるビジョンを描き、どのような戦略を採っていたのか。銀座の旗艦店で話を聞いた。

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フランソワ-アンリ・ベナミアス●1964年、フランス・パリ生まれ。プロゴルファーからラグジュアリービジネスの世界に転身を遂げ、94年オーデマ ピゲ入社。99年、北米支社の社長兼CEOに就任。2012年にスイスに戻りグローバルCEO代理を経て、13年1月より現職。

その日、朝からメディア向けの取材に応じていたフランソワ-アンリ・ベナミアスは、朗らかな笑顔で我々を招き入れてくれた。「そこ、音響の準備はOKかい?」と、こちらが指定した位置に移動しながら、少しおどけたようにスタッフに声をかける。インタビューは和やかなムードで始まった。

――1994年からオーデマ ピゲに加わり、2013年にCEOに就任してから、同社にさまざまな変革をもたらしました。歴史あるブランドを変革するにあたり、特に意識したのはどのようなことですか。

「まず、変化をもたらすためには、常に人が中心にあることが重要です。変革というのは常に人から始まるもので、ブランドの中心にあるものは人なのです。人々をまとめて、これから何を行うのか、なんのためにそれをするのか、理由をしっかり説明して、納得してもらうことに全力を注がなければいけません。変化というのは、人々が適応していくことで初めて起こってくるものだからです。外からの評価も、中が変化することで変わってきます。繰り返しになりますが、ブランドの中心には常に人がいるのです」

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退任を前に、6月に来日したフランソワ-アンリ・ベナミアス。

――CEOに就任されて約5年後の2018年に、オーデマ ピゲの売上高は初めて10億スイスフラン(約1400億円)を超え、21年にはスイスでの売上高第4位の時計ブランドとなりました。これはほとんどのスイス時計ブランドが達成していない偉業ですが、売上増加に向けてどのような戦略を立てていましたか。

「売り上げを目的にすることは、決して正しい道筋ではありません。売り上げというのは、良い戦略の結果としてついてくるものです。腕時計の生産本数を極端に増やすことはブランドとしてもできないので、物流のスリム化と効率化を進めました。当時500以上あった販売店は現在96店になり、それによってクライアントと直接コミュニケーションできるようになりました。リテールに注力していた分がスリム化して、さらに力を絞った販売になったと言えばわかりやすいでしょうか。その結果が売り上げにつながったということです」

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老舗時計ブランドの伝統を守りながら、スポーツやエンターテインメント界とのユニークな協業も展開してきた。

――CEO在任中、オーデマ ピゲを最も成長させたと感じている取り組みはなんでしょうか。

「なにか一つということではありません。自分が10年前にCEOになってから、オーデマ ピゲの色々な部分に変化をもたらしてきました。コレクションや流通のスリム化というのももちろんそうですが、マーケティング、ブランディング、ホスピタリティ、カスタマーサービスなど、多岐にわたって変革を行ってきました。実際、ビジネスというのは一つの取り組みではなく、たくさんのことを同時に行って初めて変わってくるものだと思います。ビジネスにゴールはありません。皆がずっと色々なことをし続けなくてはならない、オーケストラのようなものです。強いて言うならば自分は指揮者であって、色々な奏者を率いて、色々なところで音をつくっていくからこそ、変化が起こっていく。ずっと動き続けてきたものが、今の結果につながっているのだと思います」

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構想だけで何年もの期間を要した「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」の開発プロジェクトを推し進めたのも、ベナミアスの功績のひとつ。

――過去10年半の間にコレクションの数は減り、現在は「ロイヤル オーク」、「ロイヤル オーク オフショア」、「ロイヤル オーク コンセプト」、そして「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ」の4つのコレクションを残すのみです。このようにコレクションの数を絞ることで得られるメリットはなんですか。

「やはりサプライチェーンの状況が劇的によくなるというのが大きな利点だと考えます。過去の問題としては、せっかくSIHH(※ジュネーブサロン。スイス・ジュネーブにて毎年1月頃に3日間程度かけて行われていた世界最大の宝飾と時計の見本市)で新作を発表しても、お客様に商品が届くのが翌年の3月ということになっていました。さまざまなプロモーションをしてコミュニケーションを図り、お客様の中での期待値が上がっているにも関わらず、デリバリーが遅れることによってその期待値も下がってしまいますし、実際に商品が届く頃には、他の商品なども出てくる状況となります。それを、商品をローンチしてからすぐにデリバリーができるような状況にすることで、適切なサイクルにもっていけるということが、コレクション削減の大きな利点です」

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インタビューには、両腕に時計をつけるスタイルで登場した。

――本日は両腕に時計を着けていらっしゃいますが、どんな時計ですか。

「2021年に発表された、オーデマ ピゲとマーベルのコラボレーションを覚えていますか? その時はマーベル作品の中からブラックパンサーをフィーチャーしたのですが、先週ドバイのイベントで、コラボ第2弾となるロイヤル オーク コンセプト トゥールビヨンのスパイダーマンモデルをローンチしました。ユニークピースとなる“ブラックスーツ スパイダーマン”はチャリティーオークションに出品され、620万ドルで落札されました。今回のコラボモデルの反響たるや驚くべきもので、私のところにも電話やメッセージが鳴り止まず、男女問わずものすごい人気がありました。ちょうどそのまま日本に来ることになったので、2本とも着けてこようと思ったんです」

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オーデマ ピゲとマーベルのコラボレーション第2弾となるロイヤル オーク コンセプト トゥールビヨンのスパイダーマンモデル。

――2022年にはロイヤル オークの50周年記念モデルも発表されました。デザインと製作を統轄されるにあたり、どのような思いでプロジェクトに取り組まれましたか。

「歴史ある時計の半世紀ということで、並々ならぬ思いをもって臨みました。ロイヤルオークが誕生した1972年当時、世の中にSNSはありませんでしたが、当時もしそういったものがあったとしたら、必ずしもいい反響があったとは思えません。というのは、当時はクラシックな時計、例えば小さなゴールドの腕時計が主流とされる中で、かなり大型のステンレスの時計として登場し、しかも価格はゴールドのモデルと同じぐらいということで、きっとSNSで見る評判は芳しいものではなかったのではないかと思います。

しかしその50年後、現在の状況が、成功は決して一夜にしては成らず、ということを教えてくれています。現代の人は、すぐに結果を出さなければならないというマインドをもっていると思うのですが、否定から入るのではなく、ずっと先の未来にどうなるかを考え、プライドをもって時計づくりをする必要があります。必ずしもすぐにいい反響があるとは思っていません。50周年モデルの時も、もちろん同じ思いでした。

今日着けてきたブラックパンサーのモデルも、最初に発表した時はいまいちだという人もいましたが、2作目のスパイダーマンのモデルでこれだけの反響を得ています。オフショアに関しても、ローンチした当初は批判の声がありました。けれども、それらが現在どう評価されているかを考えてみても、時計づくりには時間がかかることをブランドとしてもしっかりと理解した上で、これからもプライドをもって時計をつくっていきたいと思います」

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こちらは第1弾のブラックパンサーモデル。

――過去のインタビューで、「私は10年間このポジションにいましたが、会社のためにも、そろそろ動くべき時期だと思います」とお答えになっています。なぜ「動くべき」だとお考えになったのですか。

「大きく分けて、ふたつの理由があります。まずひとつは、私の存在がオーデマ ピゲの中で当たり前になってはいけないと思ったからです。1人の人間が長く経営者として参画することで、本来であれば周囲がノーと言わなくてはいけないような局面でも、イエスと答えてしまうことがあり得ます。私の存在が当たり前になりすぎてしまうことが、必ずしも会社のためにいい面ばかりでもないということです。やはり定期的に新しいアイデアや、新しい視点をもった人を入れることが、会社にとっていいことではないかと思います。私自身、CEOとしてのキャリアの中で、オーデマ ピゲをもう十分、いい方向にもっていったという自負もあります。またふたつ目の理由としては、オーデマ ピゲで学んだことを生かして、自分自身の人生において今後やっていきたいことを、そろそろ始めてもいいかなと思ったので、退任の決断をしました」

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自身が退任後にCEO就任予定のイラリア・レスタに対しても期待を寄せる。

――先日、オーデマ ピゲの新CEOにイラリア・レスタが就任されることが発表されました。ご自身が退任された後のオーデマ ピゲに期待するものはどんなことでしょうか。

「次のCEOに期待することは、やはり何よりも1875年の創業以来、オーデマ ピゲというブランドが築いてきた部分を、そのまま継承していくことです。もちろん今後、彼女のディレクションのもとで、さらに多くの人が仲間となり、新しいイノベーションをもたらしてくれれば、とても良いことだと思います。オーデマ ピゲに対しては、まるで我が子に期待するような感じで、さらなる発展を願っているというのが正直なところですね。私はここで29年間過ごしましたが、ブランドの長い歴史の中では本当にわずかなごく短い時間でしかありません。その一部になれたことは光栄ですし、これから先もどんどん発展していってくれることを願っています」

インタビューの最後に、「オーデマ ピゲは楽しいブランドだということが伝わったら嬉しい」と微笑んだベナミアス。その表情には、大きな仕事をやり遂げたという自信と安堵の両方が浮かんでいた。来年からはレスタ新CEOの下、オーデマ ピゲの新たな歴史が刻まれていく。しかし、その根底にあるものはきっと変わらない。“挑戦”の二文字だ。

問い合わせ先 / オーデマ ピゲ ジャパン TEL:03-6830-0000