食材に魅せられ移動する。雲仙と函館で料理をし、 地方の“点”になる

  • 写真:平川雄一朗(P2〜3)、岩浪 睦(P4)
  • 編集&文:渡邊卓郎

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雲仙と函館。素材に魅せられ移住したシェフの原川慎一郎さん。渡り鳥のような暮らし方は、未来を生きるためのメッセージでもある。現在発売中のPen最新号『理想の暮らしは、ここにある』より抜粋して紹介する。

現在発売中のPen最新号『理想の暮らしは、ここにある』。都心にこだわらず、好きな場所に住み、自由に働く……。オフィスから離れて仕事をこなし、家族との時間を優先する。そんな“当たり前”の生活を実践する人が、さらに増えている。答えはひとつではない。だが、共通するのは「新しい働き方」がトリガーとなったことだ。「理想の暮らし」とはいったいどんなものなのか? さまざまな人々のスタイルから考えたい。第2特集は『マティスの部屋』。近代美術の巨匠、アンリ・マティスが暮らしたユニークな部屋から、彼の絵画世界の魅力絵を考える。

『理想の暮らしは、ここにある』
Pen 2023年6月号 ¥880(税込)
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二拠点 長崎県雲仙市⇄北海道函館市

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原川慎一郎●BEARDシェフ。1978年、静岡県生まれ。国内外のレストランでの修業を経て、2012年、東京・目黒にレストラン「BEARD」をオープン。17年、カリフォルニアのオーガニックレストラン「シェ・パニース」の元料理長ジェローム・ワーグとともに東京・神田に「the Blind Donkey」をオープン。20年、長崎・雲仙に移住し、新生BEARDをオープンさせる。

原川慎一郎さんが東京を離れ、長崎県雲仙市小浜町に「BEARD(ビアード)」をオープンしたニュースを聞いた時、驚きとともに、地方に光が当たることの面白さを感じた人も多かったのではないか。2020年12月の開店から約2年半。温泉の蒸気が漂う海辺の小さな町に原川さんの暮らしも馴染んできた。

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左:ビアードから徒歩約50歩の距離にある宿「湯宿 蒸気家」で、料理に使う温泉水を分けてもらうのも日課のひとつ。右:小浜温泉の源泉温度は日本一の温度を誇る105℃。ビアードの料理には欠かせない素材だ。「小浜の温泉は海水の塩梅がちょうどいいので料理に適していますね。硫黄の香りも強くないので、野菜の味を感じてほしい僕にとっては、とても使いやすい温泉なんです」

「町のサイズ感がとてもいいんですよね。古くからの温泉街だからかもしれないですけど、外から来る人を受け入れる土壌があると思います。この町を歩いていると子どもの頃の記憶が思い出されることが多いんです。都会の刺激や出会いも楽しいんですけど、この懐かしい感覚も楽しいんです」

雲仙移住を決めたいちばんの理由には、この地で40年以上自家採種の有機農業を続けている岩崎政利さんの存在がある。

「岩崎さんの野菜のおいしさに衝撃を受けました。これまで多くの畑を訪ねてはきたのですが、岩崎さんの畑の野菜はまるで違いました。野菜が踊っていたんです」

 

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岩崎さんの黒田五寸人参をゆっくりとソテーする。

 

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ソテーした岩崎さんの黒田五寸人参の上に、生のスライス状のものが飾られる。温泉水でのばし、温泉が出汁のように感じられるピューレは岩崎さんから自家採種栽培を学んだ「田中たねの農園」の田中遼平さんが育てた金時人参を使用。

岩崎さんの畑を訪ねて以来ずっと気になっていた雲仙。やがて、オーガニック直売所「タネト」を主宰する奥津爾ちかしさんの誘いもあって移住を決意。とはいえ、以前から東京以外の土地に行くことを意識していたという。

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野菜、魚、温泉……豊かな素材が、身近にある幸せ

 

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東京で料理教室や飲食店を運営していた「オーガニックベース」の奥津爾さんが雲仙に移住し、2019年にスタートさせた「オーガニック直売所 タネト」には、岩崎さんや田中さんの野菜をはじめ、地域生産者のオーガニック農産物や、島原半島を中心に地元で使われる厳選された調味料などが並ぶ。

 

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左:原川さんが雲仙に移る大きなきっかけとなった岩崎さんの黒田五寸人参(右)。右:暮らしの近くでおいしい湧水が汲めることも原川さんの雲仙移住の決め手のひとつだったという。

「仕事や暮らしの場として、大都会の選択ではなく、自分のいる土地を掘る生き方もあっていいと思うんです。岩崎さんがされていることを世界の人に知ってほしい。ローカルの人が当たり前だと思っていたことが外からの視点が入ることで、ものすごいことだと知れたりしますからね。すると、自分の土地を誇りに思えますよね」

原川さんは料理だけではなく、暮らし方の提案をしているのだ。東京を離れて地方に拠点を移すことで、自身の変化も大きかった。

「雲仙に来て、心に余白ができました。東京にいる時の自分は常にコップの水がいっぱいの状態。それも楽しかったのですが余裕がありませんでした。ここでは、いい意味でもコミュニケーションが制限されるので人との付き合いもシンプルに深くなる。余白ができたことで、新しいものが入ってくるスペースも生まれ、野菜や素材に向き合う時間も増えたんです」

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左:小浜町は魚のおいしさも魅力。ビアードの近くにあって信頼を寄せる鮮魚店「田中鮮魚店」にも頻繁に通い、コミュニケーションをとっている。右:風の影響の少ない静かな橘(たちばな)湾。好漁場としても知られるこの場所で獲れた魚介類をはじめ、雲仙周辺の魚種豊富で新鮮な海の幸が並ぶ

原川さんの行動はひとりの人間の動きではあるのだが、各方面に波紋を起こしている。大きな波も始まりは小さなさざ波から。この行動の意味はとても大きい。

「地方が盛り上がっていくことが、お金じゃない価値観や豊かさを生むと思います。『勝負するのは都会』だけが正解ではなくて、暮らしている土地を楽しむ、大切にするという考え方があっていいと思うんです。それは次の世代に伝えていきたいことでもあります。サステイナビリティも自分の足元を大事にすることの積み重ねでしかないと思うんです。僕は地方の“点”になりたいんです」

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まるで湖のように波もなく、静謐な景観が広がる橘湾。島原半島の西側に位置するため、夕陽の美しさでも有名。
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田中さんの畑には毎週必ず訪れるという。岩崎さんから多くを学び、生まれ育った土地で有機農業をしている田中さんが住んでいたことも原川さんが雲仙移住を決めた大きな理由。「田中君は同志のような存在です」と原川さん。

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原川さんは22年7月に函館にもうひとつ店を構えた。雲仙に続いて点を増やしたわけだ。

「こんな点が増えていったら、日本が楽しくなると思うんです。僕が行くことで、函館にもなにかあるの? と思ってくれたらいい」

函館に拠点を構える決め手となったのは親しい友人の存在、信頼を寄せている野菜農家やワイン生産者などの存在が大きかったが、街の印象もよかったという。 

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原川さんが函館のカフェ・ウォーターにいる期間は、原川さんが手がけるレストランメニューになり、不在の期間はレシピ考案と監修をしたベジタブルプレートがランチタイムに提供される。
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東京・神田の「the Blind Donkey」の頃から親交のある函館「農楽蔵(のらくら)」のワインと、喜茂別町(きもべつちょう)「チーズ工房 タカラ」のチーズ。農楽蔵の佐々木夫妻がいたことも原川さんが函館に拠点をもつ理由になったという。

「函館は小浜にも少し似た空気感があって、懐かしさを感じる街なんです。いまの僕には土地で感じる懐かしい感情や、素朴な暮らしならではの豊かさを感じることが、とても重要なんです」

函館の拠点ができたことで、雲仙のビアードと函館の「CAFÉ WATER(カフェ・ウォーター)」を人が行き来するようになったという。原川さんの夢は、郷土色豊かなヨーロッパのように、日本の各地域が土地が本来もっている豊かさに誇りをもって、すべての地方が楽しくなること。

暮らしの拠点を考える時に、都市を中心にした思考をしなくてもいいことを原川さんの行動が教えてくれる。

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1921(大正10)年に建てられたビルをリノベーションした大三坂ビルヂングの1階にカフェ・ウォーターがある。

 

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古い蔵をリノベーションしたカフェ・ウォーターはビアードと同じくオープンキッチンのカウンタースタイル。共同オーナーである中村由紀子さんが店に立つ。

BEARD

長崎県雲仙市小浜町北本町2-1
☎0957-74-5557
営業時間:12時~15時30分(水、木)、18時~21時30分(金)、12時~15時30分/18時~21時30分(土)
定休日:日、月、火 不定休
www.b-e-a-r-d.com

 

CAFÉ WATER

北海道函館市末広町18-25
☎050-6870-5951
営業時間: 11時~16時L.O.
定休日:火、水

セカンドハウス、二拠点、移住、新しい働き方
『理想の暮らしは、ここにある』

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