京都洛北の古刹、大徳寺。その塔頭のひとつ、聚光院の書院に日本画家、千住博による群青の障壁画『滝』はある。
2002年、静岡県伊東市の聚光院伊東別院に障壁画を寄進したことから制作を依頼された。13年に書院が落慶するとともに『滝』を寄進し、今年で10年。昨年から5年半ぶりに一般公開(現在は終了)され、大きな注目を集めた。国宝に指定される狩野松栄・永徳父子作の障壁画で知られる聚光院に新たな障壁画を描き下ろすことは、大変なプレッシャーのある仕事であったと千住は振り返る。
「伝統の革新という命題への挑戦であるとも感じました。歴史を重ねてきた空間だからこそ、過去の類型にないものを目指さねばならない。伝統こそ現代性を必要としています。革新はコンテンポラリーアートのみに求められるのではないのです」
千住は『滝』で、胡粉、膠、和紙という伝統的な画材を選びながら、現代的な精神性をもつ表現を探った。美術史の流れのなかで自身がどうあるべきか。自らの歴史観をもちながら、過去に学ぶ姿勢を大切にしたいという。当初は松栄や永徳が描いた花鳥風月のモチーフに取り組んだものの、考えを改めた。滝を描くも、色を黒から群青に変更。こうして三度にわたって描き直された『滝』は、制作に5年を要したという。
「新たな表現に挑み、私にとっても転機となる作品になりました。ただ不思議なもので、こうして生まれた作品ながら、結果、日本美術の伝統に組み込まれたようにも感じるのです。こうして歴史は紡がれていくのだと学んだ仕事でもありました」
水の音が聴こえそうなほどに瑞々しさを備えた『滝』は、その鮮明な群青が空間に果てしない奥行きを生み出す。「青は実に不思議な色」と、千住は言う。
「地球や宇宙、そして生命を象徴する色です。時に温かく、時に冷静さを呼び覚ます色でもあるでしょう。岩絵の具から一色だけを選べと言われれば、私は真っ先に天然群青を選びます。どの色にも属さず、すべてを超越する色。だからこそ扱いが難しく、若い頃は扱いに苦労しました。また、なにより千利休の菩提寺である大徳寺聚光院は茶の湯の聖地ですから、そこにふさわしい清らかな水を思わせる色として群青を選びました」
寄進から10年を振り返りながら、年齢とともに作品の表現も変わっていくのだと千住は言う。「若い時の私が描いた滝は、飛沫がこちらに跳ねてくるような勢いをもっていました。聚光院では品格とともに温かみある白を描いた。まもなくロンドンで発表する作品はとにかくシャープでソリッドな感じを求め、大理石の粉末で白を描いています。それぞれの世代の私が、それぞれに表現した作品です。五十代で発表した『滝』もまた、あの時の私でなければ描けなかった作品でしょう」
万物が流転するように、千住の表現もまた変化を続ける。この春、軽井沢の北部にそびえる浅間山を描いた新作を発表する。アイコニックな富士山と違い、そこにわかりやすいフォルムはない。
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手に負えないエネルギー、それをそのまま描きたい
「浅間山は見る角度でまったく異なる表情をもつ、特異な活火山です。描いているうちに、絵から土石流や火砕流が私に向かって流れ出してくるように感じました。その手に負えないエネルギーそのものを描こうと決めたのです。活火山ですから、どこか不穏な不気味さがあります。ただ私は、そこに宇宙を感じたのです」
十代から絵を描き続けたいと願ったこと。その初心を大切にしなくてはならないと気づかせてくれたのが、聚光院伊東別院での制作だったと千住は振り返る。最近ではドイツを代表する現代作家、アンゼルム・キーファーの新作に刺激を受けた。戦争やパンデミックの発生など、世界的に不穏な状況が続くなかで抑圧されたエネルギーを描く姿に触発されたという。人生という有限な時のなかで、常に新しいことに挑みたい。日本画の大家として高く評価されながら、表現の新たな可能性を求める。千住の作品はさらに研ぎ澄まされていく。
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WORKS
『滝』
2013年に落慶した聚光院の書院に寄進された障壁画。構想から完成まで16年を費やしたという大作で、鮮烈な群青に純白の滝が浮かび上がる様子は「時の流れを象徴するモチーフ」として描かれたもの。通常は非公開。
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『Waterfall on Colors』
さまざまな色彩を背景に滝を描く。これまで外から滝を眺める構図を採用していたが、ここでは滝の内側から外の世界をのぞいた構図をとり、多彩な世界のありようを表現。滝壺の色はこれら色彩をすべて混ぜ合わせたもの。
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『浅間山』
浅間山とその周辺の自然をモチーフにした作品。和紙を揉むことで立体感を出し、活火山のもつエネルギーや山の凹凸をも表現しようと試みている。2023年12月25日まで軽井沢千住博美術館で開催される企画展で展示中。
※この記事はPen 2023年5月号より再編集した記事です。