Pen特別企画、コンテンポラリーアートとキャデラック【Vol.3】アンディ・ウォーホル(後編)

  • 監修:山本浩貴
  • 文:サトータケシ

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2016年にニューヨークで開催された『アンディ・ウォーホルへの手紙』展では、赤い1959年型キャデラック・エルドラド・ビアリッツという歴史的なモデルも展示された。

2022年、アメリカが世界に誇るラグジュアリー自動車ブランド、キャデラックが120周年を迎えた。革新的なデザインと技術、そしてその挑戦の近代史をコンテンポラリーアートとともに振り返り、未来への試みも紹介。全6回の連載の3回目は前回に続いて1960年代のポップアートを全世界に知らしめた奇才、アンディ・ウォーホル。16年にニューヨークのキャデラックハウス(現在は閉館)で開かれた『アンディ・ウォーホルへの手紙』に出品された作品を振り返りながら両者の関係を読み解く。

斬新だった『アンディ・ウォーホルへの手紙』展

前回も紹介したように、アンディ・ウォーホルは現代アートの潮流に大きな影響を与えたアーティストだ。ウォーホルはさまざまなアメリカンライフを、多彩な手法で表現したけれど、アメリカを象徴するブランドであるキャデラックも彼の題材となっている。

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山本浩貴

千葉県生まれ。一橋大学卒業後、ロンドン芸術大学にて修士号・博士号取得。2013年から18年にロンドン芸術大学TrAIN 研究センター博士研究員。韓国・光州のアジアカルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラル・フェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教を経て、2021年より金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻講師。

7年前にキャデラックがアンディ・ウォーホル・ミュージアムと共同で開催した巡回展示『アンディ・ウォーホルへの手紙』では、彼が描いたキャデラック関連の芸術作品も披露された。

この展示の内容で興味深いのは、ミュージアムのアーカイブから選ばれた作品の他に、ウォーホルの個人的な手紙や各界のクリエイターからのプレゼントが展示されたことだ。イヴ・サンローランやミック・ジャガー、あるいはニューヨーク州の公共事業部門との間でやりとりした手紙は、ウォーホルの人となりを知る手がかりになった。

 美術史と文化研究を専門とする山本浩貴さんは、『アンディ・ウォーホルへの手紙』展について、このように語る。

「ウォーホルの作品を中心にした展覧会は数多く開かれていますが、あえて作品と一緒にパーソナル・パブリックな手紙を展示した点において、本展は斬新でした。狭い意味での“美術”界だけではなく、音楽、ファッション、文芸などの隣接領域を含む、ウォーホルの交流の幅の広さがよくわかります」

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1986年に制作された『標識(keep out <立ち入り禁止>)』という作品。モチーフとなった83年型キャデラック・クーペ・ドゥビル・デレガンスは、全長5600mmを超える大柄なボディに排気量7ℓのV型8気筒エンジンを積む豪奢なクーペだった。

ウォーホルが描いたキャデラック

『アンディ・ウォーホルへの手紙』で展示されたキャデラック関連の作品は、以下のものだった。

『コスチュームに身を包んだ4人の男性達』(1950年代)と『車両』(1950年代)は、どちらも『Harper’s Bazaar(ハーパーズ・バザー)』誌の依頼を受けて手がけた作品で、作中で描かれているのは58年型のキャデラック・クーペ・ドゥビルだ。

『キャデラック』(1962年)は、黒鉛筆でスケッチブックに描いた作品。『7台のキャデラック』(1962年)は、まだ世に出ていない63年型のキャデラック・フリートウッドを想像したもの。黒のシルクスクリーンインクを用いて、スペシャルな4ドアハードトップを布に描いた。

『標識(keep out<立ち入り禁止>)』(1986年)は、ゼラチン・シルバーによる4枚の写真で構成されている。モチーフとなっているのは、83年型のキャデラック・クーペ・ドゥビル・デレガンスだ。

 これらの作品が展示された『アンディ・ウォーホルへの手紙』展について、山本さんは「『ブリロ・ボックス』などの有名作ではなく、どちらかと言えばあまり知られてこなかった作品を見せている点が興味深い」と語る。

 「カラーの水彩、鉛筆、シルクスクリーン、写真など、彼のメディア横断的な側面がよく表れていると思います。また、アーティストとしてはあまり一般的ではない、商業的クライアントワークが含まれていることは、広告デザイナーから出発したという彼のユニークな経歴を物語っています」

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『コスチュームに身を包んだ4人の男性達』と『車両』は、ともに1950年代の作品。描かれているモデルは、58年型のキャデラック・クーペ・ドゥビルだ。

 

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『アンディ・ウォーホルへの手紙』展の開催にあたり、アンディ・ウォーホル・ミュージアムのディレクター代理を務めたパトリック・ムーア(現アンディ・ウォーホル・ミュージアム館長)は、「キャデラックがアメリカを象徴するブランドとしてウォーホルの作品に使われた点は、私たちも非常に共感できます」と語った。

 

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アンディ・ウォーホル(1928〜87年)

ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。ニューヨークに移住すると商業的なイラストレーションで成功する。やがてアーティストを目指し、ドル紙幣やコカコーラのボトルを題材に描き始め、62年にはロサンゼルスのギャラリーで初の個展を開催。このときに『キャンベルのスープ缶』を発表。写真や動画など幅広い手法でアートを発表した。銀髪と黒縁メガネがトレードマークで、映画監督など意欲的に幅広い分野で活躍した。

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キャデラックというクルマは、クリエイティビティを刺激してくれる存在

このように語ってから、山本さんは『アンディ・ウォーホルへの手紙』展を以下のように総括した。

 「キャデラックなどのプロダクトも自身の芸術作品のなかに貪欲に取り込むさまは、ハイカルチャーもローカルチャーもごっちゃにしてポップアートという新しい潮流を切り開いたウォーホルらしいと思います。また、トルーマン・カポーティなどの著名人との関わりを示す手紙も、彼の領域横断性を示しており、ウォーホルというアーティストの核を示すような展示になっています」

キャデラックは、いつの時代もデザインやテクノロジーにおいて、最先端を行くブランドだ。多くのアーティストやミュージシャンが自身の作品や楽曲に登場させていることが、なによりその魅力を証明している。おそらくウォーホルにとってのキャデラックは、ミック・ジャガーやイヴ・サンローランと同じように、自身のクリエイティビティを刺激してくれる存在だったのだろう。

 

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『アンディ・ウォーホルへの手紙』展で会場に飾られた、1958年型のキャデラック・ドゥビル。

 

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ニューヨークをスタートした『アンディ・ウォーホルへの手紙』展は、その後ロサンゼルス、マイアミを経て、中東やヨーロッパも巡回し盛況のうちに幕を閉じた。