小山薫堂を感動させた、滝野川稲荷湯の魅力とは。訪れるたびに知る、老舗に伝わる文化の種

  • 写真:筒井義昭、アレックス・ムートン
  • 編集&文:齊藤素子

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ピカピカに磨き上げられたタイルの床や洗い場。浴槽は井戸水を沸かした湯をたたえてお客さんを待つ。定期的に塗り替えられるペンキ絵は、男湯に富士山、女湯には岬の景色となっている。

入浴客の減少、施設の老朽化、オーナーの高齢化などで、銭湯の数はピーク時の10分の1までに減少したという。そんな銭湯を後世に残そうと奮闘する男たちがいる。今回は、2月23日から全国で公開予定の映画『湯道』の企画・脚本を手がけた小山薫堂さんと、東京都北区にある滝野川稲荷湯にフォーカスする。

放送作家の小山薫堂が提唱する「湯道」をご存じだろうか? 湯を尊び、湯を楽しみ、日本人が愛するお風呂について、その精神や様式を追求するという新たな“道”だ。この「湯道」が、生田斗真主演で映画になった。2月23日から全国で公開される。

1月27日(金)発売のPen最新号では、生田斗真をはじめとした出演者のインタビューや、作中で登場する聖地の数々を紹介しながら、本作の魅力に迫る。さらに、時代を超えて愛される名湯や、こだわりの詰まった湯道具も掲載。湯と「湯道」について大特集! 「湯への感謝」と「小さな幸せ」に、ぜひ浸ってほしい。

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ひと際目を引く宮造りの外観。開業当初は草津湯という屋号だったが、隣にお稲荷様があったことからいつの間にか稲荷湯と呼ばれるように。映画『テルマエ・ロマエ』のロケ地としても知られる。 神社仏閣を思わせる豪華なつくりは東京型銭湯の特徴だが、三段になった破風屋根は珍しい。看板は、映画『テルマエ・ロマエ』の撮影用につくられたものを引き取ったそうだ。

戦前からの街並みが残る東京都北区滝野川にある稲荷湯の創業は1913(大正2)年。関東大震災後の30(昭和5)年に建てられた現在の建物は戦火を逃れ、華やかな宮造りの外観や脱衣所の格天井といった東京型銭湯の特徴をいまに伝えている。

2019年、かつては従業員の住居として使われた築100年以上の隣接する二軒長屋とともに、稲荷湯は国の登録有形文化財に認定された。そんな建築的な魅力に加え、真摯な営業姿勢と湯主の人柄に惹かれ、放送作家の小山薫堂さんが20年以上、通い続けている。

薫堂さんが稲荷湯と出あったきっかけは「東京でいちばん遅くまで営業している銭湯を探していた」という、多忙を極める薫堂さんらしい理由。会社を設立して間もない頃のことである。当時はまだ二人だった社員と一緒に車を飛ばして、無事に湯に浸かった薫堂さんは、磨き上げられた浴場や清潔な脱衣所、そして女将の明るく温かな接客に感動する。

「奇をてらったことはひとつもないけれど、当たり前のことがちゃんと行われていると感じました」

幼い頃には銭湯を遊び場とし、自宅近くには常に行きつけの銭湯を見つけてきた湯好きの薫堂さんを感動させた稲荷湯との付き合いは今日まで続いている。

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2017年に亡くなった四代目女将の土本紀子さんはいつも笑顔で出迎えてくれた。「銭湯は清潔さがいちばん大事」という信条は守られている。

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ところで、ワールド・モニュメント財団(WMF)をご存じだろうか。65年に設立され、世界中の文化遺産の保護・保存に努める非営利民間組織だ。「文化遺産ウォッチ」プログラムでは“存続が危ぶまれ、修復・保全が今求められる文化遺産”を選定して保存活動の必要性を訴えている。20年、パリ・ノートルダム寺院やイースター島のラパ・ヌイ国立公園などと並び、稲荷湯が選定された。選定理由には建築文化的な価値だけでなく、銭湯が地域活性化の拠点になってほしいという社会的役割への期待も込められている。

17年7月、東京ドームでは薫堂さんがプロデュースに関わった国民的アイドルグループ嵐のイベントが開催されていた。

「昼の部と夜の部の間の時間に、無性に風呂に入りたくなって」

早速、稲荷湯に向かった薫堂さんは、番台に女将の土本紀子さんではなく妹さんが座っていることに驚き理由を尋ねると、数日前から体調を崩して入院していた紀子さんが今朝、息を引き取ったのだという。それでも休まずに営業するのは、こちらの事情はお客さんには関係のないことだからだと。そして、常連の親子連れに笑顔で挨拶をして話しかける姿を見て「すごいなあと。本物のプロ意識を見た気がしました」。この時の衝撃は、映画『湯道』の中にも描かれている。

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番台に座るのは、小学生の頃から銭湯の手伝いをしていたという五代目女将の土本公子さん。フロント式が主流になりいまでは希少な風景となった。

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稲荷湯の湯に浸かりながら薫堂さんが時々思い出す、紀子さんから聞いた話がある。

「毎年、12月31日の営業が終わると古い木桶をひとつだけ残して新調するそうです。薪を燃料にしていた頃には、1月2日の初湯で湯を沸かすときにそれを燃やしたのだとか。お客さんが新しい木桶を使うカーン! という乾いた音が響くと、ああ無事に新年を迎えたなあと思うそうです。生き方としてかっこいいと思いませんか」

いまから10年ほど前、薫堂さんが稲荷湯を撮影した写真にはこんな言葉が添えられていた。

「服を脱いだときに店主の土本さんと目が合ってしまい、赤面したのを覚えている」 

14年に全面改装を行った稲荷湯。汲み上げた井戸水を沸かす燃料は薪からガスに変わったが、入り口はフロント式にはせず昔ながらの番台を残した。大きな変化といえばあつ湯、普通湯に加えてぬる湯の浴槽が設けられたこと。これは、子どもも入れるようにという配慮から。あつ湯の温度は45〜46℃とのことだが。

「体感温度はもっと高いですね。あつ湯に浸かるのは数十秒……2分も浸かれば浴槽から四つん這いで出てくることになります。さっとあつ湯に浸かって水のシャワーに直行する。あつ湯と冷水シャワーの交互浴が心地よい」

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左:営業終了後、清掃を終えると木桶は美しく積み上げられる。 右:常に清潔な稲荷湯の裏側を知るため清掃作業に参加した薫堂さんだが、思っていた以上に操作の難しいポリッシャーに振り回され、積み上げられた木桶にコードが絡んでこの状態に。みなの大爆笑に救われる。

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22年6月には、改修工事が終わり、地域サロンとして再生された長屋と稲荷湯を会場にして薫堂さんのバースデーサプライズが行われた。長屋は誰でも立ち寄れる憩いの場として週末を中心に公開されている。

「たとえ四百数十円でも、お客様からお金をいただく以上は感動して帰っていただかなくてはいけない。だから髪の毛一本も落ちていてはだめなんです」

これは、紀子さんにうかがった先先代の教え。稲荷湯の信条は五代目の土本公子さん、俊司さんご夫妻によって守られている。

深夜に2時間かけて徹底的に磨き上げる清掃は、ひとえに訪れた人の心を動かすため。それこそが文化の種だと薫堂さんは考える。稲荷湯のとびきりの清潔さと誠実な商いの姿勢は、人々の心も温め、未来につながれる。

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銭湯の稲荷湯を守る、女将の土本公子さんと夫の俊司さんご夫妻。おふたりの手には「湯道」を極めたもののみが手にすることができる赤タオルがしっかりと握られている。

 

滝野川稲荷湯

東京都北区滝野川6丁目27-14
営業時間:15時〜24時30分 
定休日:水(月に一度連休あり)
料金:一般¥500
TEL:03-3916-0523

小山薫堂(放送作家)

1964年、熊本県生まれ。放送作家、脚本家、ラジオパーソナリティ、企業ブランディングなどマルチな分野で活躍。熊本県や京都市などの地方創生の企画にも携わる。2025年開催の大阪・関西万博ではテーマ事業プロデューサーを務める。京都芸術大学副学長。

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